■ 昨日のエスプレッソ講座で、某社のエスプレッソ用の不味い焙煎豆を飲み比べれば、まあ、飲めたものではない。が、
それを、カフェ・ラテにすれば、ミルクが勝ち、女子供には「美味く感じる」はずだ。男にはミルキー過ぎる。当然ながら、これはミルクのマスキング効果である。
女子客が、主体の店なら、これはこれで正解かもしれない。
日本では、女子で「エスプレッソ」は飲まないからだ。
5秒で立ち去ることもない。
5時間は居座るかもしれません。
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■ 日本のカフェでは、現在、「エスプレッソ単体」では注文が中々入らないから、これで良いかもしれないけれど、
それがエスプレッソ単体なら「不味くて飲めない」という負のスパイラルで、いつまで経っても日本のエスプレッソは良くならない。
これから先もずっと、「スッパプレッソ」が続いて行くのだろう。
■ 本物のエスプレッソを知ることから始まってないから、日本ではエスプレッソ・カルチャーはない。 特に現状なら、なくても困らない。なくても困らないが、何処かで「美味しいエスプレッソ」を飲みたい人はいるだろう。
商売は本物を追求すれば、お客さんは離れてゆく。
100円寿司の方が繁盛しているのを見れば判るだろう・・。
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■ イタリアでは「カフェ・ラテ」は基本的にないのです。注文もない。
殆ど「caffe]つまり、エスプレッソである。カプチーノは朝だけ、ブリオッシュと共に。だから、バリスタはラテ・アートはしてしない。ただ、それだけである。
源流が違う。ということは日本では「本流」がないだけではないか?
全体として、見せ掛けだけのものが流行り、本質が理解されてないような気がします。社会全体がそうな気がしてなりません。
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