昔昔、私がお世話になった海外の人達から遂に一通のクリスマスカードが来なくなりました。その時、私が20代前半です。その時の方々も八十、九十歳になられてるでしょう
多分、老人ホーム、あるいはあの世に行かれてることがほとんどでしょう。
しかし、彼らの声や笑い声、仕草は今でも一つ一つ思い出すことできます
久しぶりにロンドンに行くと風景は何一つ変わってない。自分だけがタイムスリップして歳をとったオッサンになっているのに愕然とします。
バスは現金が使えない。(そんな事って!)
鉄道の会社名は変わっているし、紙のタイムテーブルはほとんどなく、スマホで調べるしかない。
ホテルは一軒一軒直接聞くこともなく、スマホで簡単に選べる時代に
時代はどんどん便利になって
世界中のどこにいようと、日本の誰とでも瞬時に連絡が取れる。
それでも私は孤独でいたい。
20代前半からバカみたいな旅を続け、ずっとひとりで風の吹くまま歩いてきた。孤独が好きとか嫌いとかいう問題ではない、私は「孤独」である
子供の頃から大好きだった、デビッドジャンセンの逃亡者あるいはアメリカのロードムービーで、そういうものにも多少影響されているのでしょう
それから幾星霜、手元に未だにBSA(バイク)はなく、勿論 Eタイプジャガーもあるわけもなく、無為にあの頃の未来に生きてます。
2021年はどんな年になるのでしょうか?
この異常事態に、
私は今の「自粛警察」のような人々の考え方に反対する。絶対にマスクをしなければ市民じゃないよ、という考え方にどうしても賛同できません。
社会で全員がマスクをしている世の中なんてのは、とても異常であるという大前提を見失っています。(SFの世界・・)
第一、医療従事者が差別されたりすることなんて異常だと思いませんか?
看護婦さんの子供が幼稚園に来るな!とか他の親が言うなんて鬼畜の所業です。キXXX。人間じゃない。だから何を言っても通じることはない。
身を投じて他人の世話をしている人達は「尊敬」すべきじゃないですか?
それが日本人の常識じゃなかったですか?
日本人(百姓根性)はどうして同じ間違いを繰り返すのでしょうか?
今の状況は1986年エイズパニックと同じ状況なのです。松本市で発生したパニックで長野県ナンバーの車が首都圏東京に入れなかったり、嫌がらせをされ、或いは個人や団体を特定することがまるで正義のように振舞われる。
今もその当時と全く同じじゃないですか?
実際、今でも田舎では来店する他府県からバイクや車の県別の台数を調べて、自粛せよと叫ぶ百姓五人組みたいな田舎の爺じいさんが全国に沢山いる。
自分たちの野菜を売る「道の駅」は公共のものだからセーフだと言う。
これってキXXXです。
こういう連中をキXXXと言わず、誰をキXXXといいますか?
2021年、XX警察みたいな考えは止めに・・
中世では疫病の発生は「ユダヤ人」の仕業と考えられ、大虐殺が行われました。
20世紀でも、ヒトラーはハイパーインフレの世の中に「ユダヤ人」を触媒にして「反共」の風で煽り全体主義に火をつけました。
社会全体がマスクしてる風景なんて異常なんだという思いを基本に持たない限り危ない。それに「マスク」が万全の備えだと勘違いしない事だ。
「考えること」をしない爺さん連中が一番、ヤバイ。
マスクしてまで用もないのにホームセンターやイオンに来るな。
「ぽっくり逝きたいな」と平素言うなら、マスクなんかするな。
(人に移す云々は屁理屈)
五人組みたいな考え方は異常なのだ。
自分が罹病することより「他人に移さないような配慮」云々言い出す前に考えるべきだ。
クラスターは限られた環境で、飲食会で起きている。