土曜の朝の阿川佐和子の対談番組、その日のゲストは山本陽子。
久しぶり~。
母と一緒に観ていたのだがそこでふと思った。
母は以前から人の話を聞いていない
それは自分の中で勝手に結論を決めているから話の内容はどうでもいいのだ。
と、思っていたが、それだけではなかった
山本陽子がほほ~と思うような前向きなステキな話をしている間、母はず~と彼女の顔や化粧や着物のことを批評していた。
ドラマでも、毎日のように観てるのに登場人物の関係性や主人公の名前、果ては半年経っても主人公が誰かさえ把握できないのが不思議だったし頭が悪いのかと思ったけど、話の筋よりその時々の役者の顔や衣装にしか意識が向いていないからだとようやく納得した。
今までそれに気がつかなかった私もアホだけど
だんだん「第三者」の目で母を見るようになったから、ようやく気付いたのか
さて、愚痴るの続きの続き。
実はこれを書くのはちょっと勇気がいる。
だから今まで書かなかったけど、私の母に対する悶々とした部分のひとつであることは確かだ。
父は私が小2の時、脳卒中で急死した。
母はその後私が高2の時に再婚した。
再婚まで母は何人かの男性と不倫をしていた。
前の前の記事で母のことを「故意じゃない後妻業」と書いたが、母はある意味魔性の女なのである。
父が亡くなった時、母は30代後半。
ただでさえ依存体質の母がその若さで独り身になったら寂しくて誰かに頼りたくなる気持ち、それは自分もある程度大人になったら理解できるようになった。
でもやっぱり不倫は許せないし、私はそういうのが生理的にイヤなのだ
父の死後、我が家は祖母と母と私の3人暮らしだった。
小3と小4の夏、その人は祖母と母と私を旅行に連れていった。
母は子どもにはわからないだろうと思ったのかもしれないけど、家庭のある人が自分の妻子以外の家族を伴って旅行する意味は子どもながらに知ってたし、夜中にその人と母が布団の真ん中に寝る私の上で手をつないでいるのを見た衝撃は今でも忘れない。
私、その頃にはストーリーものの漫画を結構描いてたから、意外とおませさんだったんだよね(笑)
でも旅行の雰囲気をぶち壊さないために楽しんでるふりをして過ごすのはすごく心がモヤモヤした
それから母は会社の上司とも不倫をしていた。
前の人と別れてからの付き合いなのか、かぶっていたのかはわからない
子どもを隠れ蓑に使ったのか、一度その上司の子ども達と一緒に(上司の奥さんはもちろん抜きで)川遊びに連れていかれたことがあった。
年頃は私とほぼ同じだったけど、向こうはどう思ってたのかな?
その時も楽しいフリをしたけど、ビミョ~な空気感を感じてたのは私だけだったのか
中1のある夜、母と上司が我が家でキスしているところを目撃した。
夜に男が訪ねてくるのは絶対何かあると察知して、家政婦は見たの如くそ~っとのぞいた結果だったのだが、予感はあったとはいえ中1の多感な時期だしね~、どれだけ衝撃だったか
その場に乗り込んで(?)「出ていけ」って叫んで修羅場になったけど、母はまだごまかせると思ったのか、それとも娘の気持ちより男の気持ちが離れるのが嫌だったのか、私に謝ったり言い訳することもなく「怖い夢でも見たんでしょう。早く寝なさい」などと言ってその場を収めようとした。
私もそこからグレちゃえば何かが変わったのかなと思うけど、当時はホントいい子だったから、許せない気持ちを押し殺したのである
母の再婚相手は母の遠縁の女性のご主人。
その人は自分の妻の葬儀で、弔問に来た母に心を奪われてしまったのだった。
猛アプローチの結果、付き合うことになったようだが不倫はまだ続いていた。
再婚を勧めたのは私なのだが、正直言えば私だって妻の葬儀で別の女性を見初めるようなエロおやじと結婚なんてしてほしくなかった
だけど17歳の小娘が母の不倫を止めるにはそれしか方法がなかったのである。
妻を亡くして1年も経たない時期だったけど、不倫よりはましだと。
再婚して不倫は終わりを告げたのかはっきりとはわからないけど、実母の話だと上司は泣く泣く身を引いた(?)らしい。
私は再婚相手の籍には入らず、一緒に住むこともしたくなかったので、母の再婚後は祖母と二人暮らしをしていた。
祖母が家事はしてくれて、今思えば高校生にもなって家事も手伝わずにのうのうと暮らしていた(生活費は母が再婚相手からもらって仕送りしてくれていた)のは反省だが、祖母が作るお弁当は鮭が丸ごと一匹ド~ンとご飯に乗ってるようなものだったので、たまに泊まりに来た実母が色とりどりのお弁当を作ってくれた時はちょっと嬉しかった。
ちなみに再婚前も家事は祖母がしていたので、私は母にお弁当を作ってもらった記憶がない。
だから母が今でも自分は料理上手な家事の達人を豪語していると、「あなた、ほとんどやってないでしょ」と言いたくなる。
そういえば、母の再婚で「もうこの先母の面倒を見なくていい」と肩の荷が下りてホッとしたのを覚えてる。
当時は母のことが大好きだったけど、無意識に母と一緒にいたらこの先重荷を背負うことになる予感がしたのかなぁ。
同居の時、何でその時の直感を思い出さなかったのか…悔やまれます
話は反れたが、その再婚相手も結婚後たったの4年で心筋梗塞で急死した。
年が離れてたから60代だったが、不倫相手も全員60代で死んでいる。
父に至っては48歳だった。
そう考えると母は本物の「魔性の女」である
母はおそらく「恋愛」をしたことがないんじゃないだろうか。
自分が好きになるより相手から惚れられてなんぼというのが持論だ。
美貌を武器に男を虜にするのだが、そこは無意識なのに相手のチョイスには必ず打算もある。
またも余談だが、父も母と知り合う前に家まで買って一緒に住んでいた人がいたのに父はその人を捨てて母と一緒になったらしい。
私は父は江戸っ子で正義感の強い一本気な人だと尊敬していたので、その話を知った時は少なからずショックだった。
一緒に住んでいた女の人が不憫だし、父もまた魔女の毒牙に…と。
しかも母はわざわざその人の家の近くに出没し、目の前をわざと通ったりするようなイケズをしたようだ。
不倫していた時も、上司の妻が不倫監視のために同じ職場にパートでやってきたそうだが、上司のプレゼントの赤い靴をわざと履いて二人で出かけるところを見せつけたとか。
「優位に立ちたい」願望がそれらの行為で「勝った」になったということだ。
それに私がすごくイヤなのは、母が不倫相手のことを今でも思い出話として何食わぬ顔で話す(もちろん不倫してたことは言わない)こと。
母が不倫相手の葬式に行った際、奥さんがもてなしてくれた話を時々自慢げに話すけど、堂々と弔問に行くこともびっくりだし、その時の奥さんの気持ちを考えない母の気持ちが理解不能。
前はイヤイヤでも聞いてたけど、何度も同じ話をするし聞くと不愉快になるから最近は「その人の話は聞きたくない」と拒否ってます。
そういう態度を取る私に対して不満はあるものの不倫はバレてないと思っていて、平気でそういう話をするのは罪悪感もゼロなんだろうね。
そして変な話なのだが、母が私の夫とそりが合わないのは、単にたった一人の家族だった私を取られた嫉妬とか夫が母の理想とかけ離れているからだけではなく、母の毒牙にかからなかった唯一の男だからじゃないかと思う時がある
男として母になびくとかなびかなかったということまではないにしても、夫はお世辞やおべっかのような営業トークが全くできない人なので、日常的に「お義母さん、今日もキレイですね」くらいのことが言える人ならここまで恨まれなかったのでは?と。
ま、私にとってはそういうことを言えないところが夫のいいところだと思っているし、選択は間違ってないので
正直母と同居する時、夫も早死にするんじゃないかとちょっと心配だったもん
まだわからないけど…
70代になってからも私を家まで送ってきてくれたイラストの大先輩を一目で虜にしちゃったこともある。
今は定期検診で病院に行くぐらいしか外出の機会がないけど、受診日の前日には必ず美容院に行くし、たった5分の診察のために何時間も服選びしている。
88歳でも全く女を捨てていないのには頭が下がる(?)し、それが若さと長寿の秘訣だと思うけど、母の魔性ぶりを知ってるだけに全然嬉しくないのである
やっぱり母が子どもを授からなかったのは必然で、一生「女」として生きて「母」になるべきではなかったのだ、と改めて思う。
(お子さんが授からない方に対しての冒涜ではないですうちの母に対してだけの思い)
長文連発で長年くすぶってた思いは吐き出したけど、多分まだまだ言い足りない。
これからも続くであろう不毛な戦いにどこまで耐えられるかなぁ
人の振り見て我が振り直せ。
私自身も誰かを傷つけるような人間にならないように気をつけよう。
とにかく母が死ぬまで私も夫も元気でいられますように