社民党も政権離脱した「辺野古問題」。
カフェオレが住んでいる神奈川県は米軍基地数が16あり、沖縄県の43に次いで日本で2番目に多い県である。
実際に米軍機が住宅地に墜落し民間人の犠牲者が出る事故もあったのだが、その割に自分の居住地が基地から遠いためか私自身は基地県の実感や危機感がまるでなく、基地問題はどこか他人事でもあった。
(てか、神奈川や沖縄に基地ってそんなにたくさんあったのかというレベル)
個人的にはアメリカの抑止力については疑問を持ってるし単純に基地がない方がいいに決まってるじゃん的な考えなのだけど、基地にまつわる雇用問題や日米関係など実のところ政治的なことはさっぱりなのでそこんとこを発言するのは控えたい。
で、「辺野古といえば」なのだけど…私が中学の時に文通していた子がまさに沖縄県名護市辺野古の女の子だった。
今から思えば当時は沖縄が日本に返還された直後で、「本土と沖縄の交流」的な意味合いで中学の行事の一環で沖縄県の中学生との文通が始まったのではないかと思う。
その頃の私は「辺野古」を「へのこ」と読むのかどうかもわからず、返還が沖縄や沖縄県民にもたらす影響や辺野古に基地があることも考えたこともなく、普通に女子中学生同士のやりとりだった。
沖縄の海はキレイなんだろうな~くらいしか沖縄への思いがなかった気がする。
その子とは高校卒業までぼちぼち文通が続いてて、高校卒業後上京して働いていたけど私は東京に住んでいたにもかかわらず結局彼女に一度も会うこともなかった。
「会おうね」って言ってたけど、いつでも会えるという気持ちと、私これでもかなりの人見知りだから尻ごみしちゃってさ、そのうち彼女は長野にお嫁にいってしまった。
多分21歳位だったんじゃないかな。何年かしてお子さんと一緒の年賀状をもらったけど、それから四半世紀以上音信不通のまま過ぎてしまった。
だから今「辺野古」と聞く度にと彼女のことを思い出すのである。
あの時彼女は沖縄が日本に返還されたことについてどう思っていたのか、それで生活どう変わったのか、基地に対してどういう思いを持っていたのか、基地と隣接する暮らしはどうだったのか、そして今辺野古沖への普天間飛行場の移設をどういう気持ちで見つめているのか…。
他人事だった基地問題が一気に身近に感じられるようになったのが「辺野古」なのである。
快食…
快眠…
快便…
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