ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ピースフル

2011年08月20日 | ゴスペル

 毎月2回のゴスペルの練習があるのですが、今月は第1週金曜と、第3週金曜・・・つまり昨日ありました。昨日は素子さんの指導の練習日でしたので、気合いが入ります。
なのに家を出る時から、ガック
と落ち込みました。この時間にこの混み方と思うほど首都高が混んでいて、思わず「主よ・・・この渋滞ですか。感謝します・・・」
 やっと船橋についたと思ったら、もうすぐ近くなのに車が進みません。

船橋駅周辺Kanndenti1は南から北へ車の移動が大回りなのです。思わず私は車から降りて、ダッシュ
しかし素子さんをお待たせしてしまいました。さらには大事なキーボードのACコード
の半分を忘れてしまった私でした。しかし
 あぁ・・・それなのにこのキーボードなんとラッキーなことに、乾電池でも使えたのです。よかったと、ほっとしてケパさんが乾電池を買いに走り、なんと105円で4本×3で練習です。(さすが消耗時間は早い気がする・・・)  いろいろな困難で感謝の日でしたが、いつも楽しいレッスンですから、練習が無事出来て本当に感謝しました。 ドルカス

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幸せな牧師

2011年08月20日 | 感謝

 『少年老い易く学成り難し』は、Gakusha_2 「若い頃から寸暇を惜しんで勉強しなさい」という意味だが、私は何と55歳で牧師になり、訓練を受け、3年半後の59歳寸前で1地方教会の牧師として按手(就任)を受けた。これは少年どころではない、世間では功成り遂げた末に近い年での新米牧師スタートである。これで『学成り』はどうなるのか?と普通は心配になるはずだ。

 ところが本人の自覚は全くないどころか、まるで『少年』のつもりである。これは本人が言うのだから間違いない。55歳であらかじめ語られてた通り、神は私の人生をリセットされた。残念ながら赤ちゃんには戻れなかったが、若者に戻った。本当の人生がスタートした感じだった。それから血湧き肉躍る日々が始まった。Cersio

 奇蹟的ではあったが、周囲のだれも傷つけず、おろそかにもせず、導かれて上京した。東京では何もかもが初めての経験で、とにかくがむしゃらに取り組んだ。不思議に体はこわれなかった。だが人間は弱い。やがて心がこわれそうになった。そのタイミングで、新しく妻が与えられた。妻といると
不思議、18歳の少年に戻った感じがした。


 年は確かに人による。○○歳らしくとか分別ぽく振る舞うと、本当にその年になる。今私はホームページの言語であるタグを1から学んで、教会のHPを作っている。ピアノレッスンを受けながら、賛美と礼拝の歌って伴奏を始めた。全く年を感じない。おまけにテニスのシングルスを年甲斐もなく若い人に挑んで、勝負、また勝負。年からの学(学び)は、体だけに限定です(^0^)。


 でももっとも学べるのは、ドルカスと祈り、いつも一緒に4つの目で世界を見ていること。どうやら牧師は、二人三脚でするのにピッタリな職業らしい。「たった一人しかいない伴侶を愛しきれないで、どうして愛されるのだろうか?」ところが、自分にそんな愛の力など、哀しいほどない。ただ私たちの罪のために死んでくださった十字架上の神が、その愛をくださっているだけだ。それで私たちは幸せだ。先ず、神の愛がある。値なきこの私に。 (ケパ)

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