1841年に金目当てに誘拐され、南部に奴隷として売られた自由黒人を描いた作品で、彼は解放されるまで12年間も南部のプランテーションで生き抜いた。奴隷は家畜同様に所有物としてムチ打たれ、殺され、使い捨てられた。奴隷の値段も家畜程度であったという。しかし元々の奴隷というものはなく、彼の場合は犯罪の犠牲者であるが、大部分はもともとアフリカの大地で自由に生きていた人々なのだ。
後で調べてみると、北部の自由黒人がこのような目にあったのは、次のような背景があった。
1:奴隷貿易がイギリスに次いでアメリカも禁止され、綿花などの生産を奴隷に頼る南部諸州は、労働力供給不足に陥っていたこと。
2:逃亡奴隷が北部まで逃げると、北部諸州はその引き渡しを拒んだこと。これは映画でも主人公を逃亡奴隷として扱っているように、秘密裏に捕縛し南部に連れ帰るか、売って利益を上げようとする組織が発生していた。
3:強固な人種差別者が南部に存在し、北部のアフリカ系黒人は元々奴隷であるとし、黒人すべてを再奴隷化しようと画策していた(戦後もK・K・Kなどに引き継がれた)。
主人公が解放されたのが1853年だが、奴隷法があったような時代、そして南部の奴隷制で富裕となった南部人の政治力で、結局彼を売った音楽仲間二人は無罪、南部へ運んだブローカーも無罪になった。この事態に対し、ちょうど主人公を助けたカナダ人大工ような、神の前に人はみな平等であるとするクリスチャンたちによって奴隷をアメリカの国辱とする論争が持ち上がった。結局7年後に奴隷解放論者であるリンカーンがアメリカ大統領になり、第二次大戦をしのぐ、アメリカ史上最大の戦死者62万人を出した南北戦争(右絵)がはじまった。このことは昨年の映画「リンカーン」にも詳しい。
この南北戦争が始まるまでの8年近く、奴隷から解放された主人公は、南部の奴隷救出のための活動に身を挺し、経験を書物に著し、おそらくはこれらのために最後は殺されている。
私はこの映画を観て、このような非道な黒人奴隷制度を廃する為、南北両軍併せて死者だけで62万人の白人たちの血が流されたこと。そしてそれは今日のような人権人道主義者たちの手によってではなく、真のクリスチャンたちが、南部の恐るべき犯罪的偽クリスチャンと戦った血の勝利であることを知った。またこの映画の主人公のような、南部の同じ黒人たちのために命を惜しまず働いた勇気もあったことだろう。
さらにこの黒人奴隷の話を、遠い国のことのように考えてはならないと思う。我が国にも奴隷制こそ存在しなかったが、差別問題があり、今だに自分は元武士であるとかないとか・・・・・血筋を誇る話もまれには小耳にはさむ。これら血筋家柄を云々する話を聞く時ほど、耳をふさぎたい思いをすることはない。時には語る人の目を「じーっ」と見てしまう。真底人間の弱さ、罪深さを思い、悲しいからである。かつてわたし自身にもあった、悔いてやまない差別の心を思い出す時でもある。
神の前に人は皆平等である。この世ではともかく、この映画でも再三語られたように、神の審きの前ではどのように自分の罪を申し開きするのであろうか?私の過去も含め、徹底的に神の前に悔い改めるしか道はなく、また神に罪を告白すればそれは必ず赦されることが救いだ。
ケパ