ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

誓いについて

2014年07月15日 | 聖書

Photo  最近、NHKの朝ドラの「アンと花子」を観ている。今朝は念願かなって花子の結婚式だった。観ていて「意義あり」の続出には笑わさせられた。たぶんキリスト教式の独特の習慣だろう。が、昨今多い式場付属のチャペル結婚式では聞いたことがない。結婚式の出席者を単に、見届ける人とするか「二人が(重婚などをしていない)結婚にふさわしいとの証人」としてみているのかの違いだろう。


 それにしても今日のように「誓う」ということだが、クリスチャンは下記の聖書にあるように、「誓う」ということができない。私も二十歳でバプテスマ(洗礼とか浸礼とかいう)を受けて以来、結婚式以外では誓ったことがない。ただし結婚式では「誓いますか?」と聞かれ、「ハイ」と今朝のように答えるしかない。神の前に誓ったからには、相手の不貞以外には決して解かれることはない。だからアメリカなどでは牧師が「離婚」することは、イコール失職することを意味する。

 「誓う」こと、これには正直、足が震えるほどの非常な決心を伴った。通常は生涯で一度だけのことでもある。

 しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。(マタイ伝5:34-36)

    

ケパ

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