ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

生きている意味

2015年04月23日 | 示されたこと
突然、意味がわかる時がある。

朝起きて居間に入ると、猫のコールが寄って来る。そのコールを抱き上げ、互いに頬をスリスリ。細くやわらかい猫毛に鼻を埋めて、初めはこの猫毛アレルギーを発症しそうだったことや、いつもこうして動作や言葉を交わし合うことを思い出していた。
人は愛する者に、つい声をかけたり、理屈なしに抱き寄せて触れる。それは自然な所作だ。神様と私たちの関係も実は同じなのだということ。神は独り子を十字架にかけられるほどに、私たち人を愛された。ホンモノの愛である。だから、本当はいつも私たちに神は語っておられ、ただ人が気づかないだけなのだ。
聞こうとしなければ、言われても上の空だし、第一、神が自分に語っていると思っていなければ、まずは気づかない。
ただイエス・キリストの神を信じていない限り、それは映画バードマンのような悪霊の声であり、逆に苦しめられてしまう。神の声は慎み深く、細く穏やかであり、その内容は真の愛に満ちている。心からこの方と交わり続けたいと思うようになるし、愛し返そうと願うようになる。

生きている意味は、この人を知るためであったし、交わるためであった。死ももはや、神の愛から私を引き離すことはできない。コールとスリスリしながら、私はそう、神を思った。 ケパ

† 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
(ローマ8:39)

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