三日前のこと、突然かの悪妻で有名な「ソクラテスの妻」のイメージが浮かんできて、それが大いなる過ちであることに気づかされた。
プラトンと並んで、ギリシャ哲学の祖とも柱ともされるソクラテスだが、彼の妻の悪評はつとに有名である。たとえばこんな話がある。
~ある時妻のクサンティッペはソクラテスに対して激しくまくしたて、彼が動じないので水を頭から浴びせた。しかしソクラテスは平然と「雷の後は雨はつきものだ」と語った~

ザッとこんな具合なのだが、おそらくソクラテスの頭の中は寝ても覚めても哲学で一杯であり、自分の身の回りのこと、家族のことなどにはほとんど関心を払わなかったのではなかろうか?偉大な哲学者ではあったかも知れないが、それだけにおよそ世事には疎く、身辺のことなどは赤ん坊の如き人物であった可能性が高い。
こんな男と結婚したら、現代では即座に離婚されかねない。哲学を論じない妻には、普通の夫婦のような対話は望めない。夫のだらしなさを注意しようにも、それを哲学的な弁証法で論じなければならないからだ。つい小言を言っても、まるで聞く耳を持たない夫に、とうとう頭に水をぶっかけると、平然と「雷の後は雨はつきものだ」とのたまう。
世界はソクラテスを賞賛しており、ソクラテスの言葉のみを聞いているので、妻の方はまるで分が悪い。悪妻の代表のようになってしまった。私は夫として経験から直感するが、悪妻にしてしまったのは、まず間違いなくソクラテス、あなたの非情な愛のない対応の故である。
それで、私はソクラテスにならないよう、聖書に教えられているように、妻を自分のからだのように、さらに愛した行きたい。愛するとは、具体的には些細なことでも感謝と関心を持って、共に話し、共感して生きていくことである。小言を聞くことは大切である。世の男性諸氏、ご注意めされ。 ケパ