ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

街でのワンシーンから

2015年09月11日 | 随想
月曜日に船橋の街を貫く幹線、国道14号線〔千葉街道〕を走っていた。赤信号で停止すると、次のような撮影シーンが見られた。


撮影隊をバックに説明を受けているのは、テレビでよく見る俳優さんである。私が注目したのは、普段は見ることのないのだが、撮影の段取りというか、説明をしている人である。
おそらく私の長女も、某制作会社でこのような仕事をしているのではあるまいか、かつて聞いた説明からそう想像したのである。かつてカメラクルーをしていた経験を生かし、撮影の現場での差配をしているとのことだった。そんな仕事場を一瞬覗いたような気がした。
付け加えるべきはこの俳優さんの、謙虚な姿勢である。
ケパ



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恩讐を乗り越えて

2015年09月11日 | 示されたこと
1945年から6年経って生まれた私は、戦後世代だ。私の父は帝国海軍下士官から、終戦時には尉官だった。いわば叩き上げの職業軍人である。
その私が戦争について父と一番争っていたのが、天皇の戦争責任問題であった。最高責任者が責任を負わないのは合点がいかないと言う私を、何度「天皇がいたからこそ戦争を終わらせることができたのだ」と言って諭したことだろう。しかし私には理解できなかった。


改めて、当時の事情を、リアルに伝えることのできる映像の力はすごいと感じる。文字や聞くことから得られる情報の量とは桁違いだ。昨年の「終戦のエンペラー」や今年の「日本で一番長い日」を観ることで、父の没後35年経って氷解した。

最近になって韓国や中国の高官から、先の戦争について天皇の謝罪を要求する声が聞こえた。それを機に日本の世論が一気に嫌韓、嫌中に変わったように思うが、知らないということは、恐ろしいことだと思う。
しかしまた、なぜそれぞれ違いはあるものの、この両隣国は70年という年月が経っても、これほど謝罪を言い続けるのだろうかと不思議に思う。もっとも互いに殺しあったはずのアメリカとは、打って変わって、不動の同盟国となり、今でも中国の領土野心やAIIBなど、あらゆる面で信頼し合って対応している。これがどれほど日米双方に互いの利益をもたらしているか、計り知れない。
人間関係でも、国際関係でも、憎み殴り合うより友好関係を積み上げる方が互いに益となる。我が国は常に70年間ぶれずに、謝罪と経済協力を続け、それが両国の今日の発展の土台となったことは明らかだ。しかしながら今日の両国の反日は、それが自らの政権保守のためだったとしても、おそらくそのために、取り返しのつかない損失を自らの国に招くことになるだろう。国家百年の計を見ない狭量な指導者がいる反面、国民の命のために身を捨てて戦争を終結させた天皇をいただいていた日本。その日本をゆるし、援助したアメリカの存在は、「ゆるすことの力」がどれほど大きな力であることを証明している。

私たち個人も、ゆるさないで憎むところがあったとしたら、それはかえって自分自身をドス黒く腐らせ、不健康にしている。受けたどんな傷や屈辱であっても、相手をゆるし愛する、それは自分自身の罪に目をとめることから可能になる。神を信じる者には、十字架のキリストの眼差しが、その土台の力になるのだが・・・。 ケパ
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