先週は忙しかった。その上、自分のしたメッセージ原稿が土曜日に上がる始末である。(※ 船橋教会の週報及びメッセージ集のブログは、当の牧師が要約して書いている) これはつまり、ようやく前日遅くになって、主日礼拝のメッセージにとりかかったことを意味する。
せめてテーマだけでも示されたら(基本、メッセージは神から示されたり、聞いたりして形作る)、どんなにホッとするだろうか、と。しかしその日は睡魔に時間切れ・・・。
朝になった。これがどんなに危機的な状況か、牧師ならずともパニックものである。しかしまた、主はにより頼めば何とかしてくださるという、妙な信頼感もあるにはあった。で、追い詰められた必死さで「神様!」と助け求めて祈った。すると肉的なのかどうかよくわからない、都合の良い示しが来た。「コーヒーを買いに行きなさい」 エッ?
当然吟味するのだが、これはちょっと難しい。このような害もない場合、従ってみることにすることが多い。そう決めて、明けて間もない外に出た。気がつかなかったが雨上がりの直後だった。傘をささずに歩く人が見えた。そこで300メールほど先のセブンまで歩き出すと、雨がポツポツ。歩けば歩くほどさらに雨の密度は増す。コンビニにさえ行けば傘は買えるし、何とかなる。ようやく駆け込んでコーヒーをゲット。次に傘を買おうとすると、やたら高い傘しか置いてない。忙しいのにこれでは帰れない。
ここがポイントの一つなのだが、私たちクリスチャンは、すべて神の御手の内にあるので、偶然は無い。ならばコーヒーを買ってのこの雨にも、神のご計画があるはずである。そこで「主よ、どうしましょうか?」と祈ると「雨はすぐに上がる」と。ならばと、私は店の外の、いつもは愛煙家たちがいるひさしの下で、コーヒーをすすりながら止むのを待つことにした。普通なら、吟味ミス!とがっかりするところだが、そうではなく妙な信仰の感覚、これには意味がある、そんな感覚があった。
さて、コーヒーの湯気を吸ってゆっくり景色を見たその先に、セブンの電光掲示版の大きな土台があった。見上げると夜は眩しいであろう看板がある。ハッと、私はありありと三年近く前のこと、まさにこの看板をドルカスと見た時のことを思い出していた。
それは船橋に住まいを移そうと、家探しをしており、まさにこの場所の二階を内見に来ていた時の事である。私は値段や広さ、間取りが気に入って、心は完全に《成約》の段階に入っていた。しかしドルカスが最後に業者に「あのう、うちには猫がいるんです。ペットOKですか?」と突然言った。この一言で、私たちは物件を諦めざるをえないことになった。その事を思い出したのである。正直さは時には、このようなことになる。
私は明瞭に主の御心がわかった。「ウソをつかないこと、正直であること。聖霊様を主とした歩みとは、偽ることができないこと。それは聖霊の証印でもあること」 これがメッセージのテーマだと。
気がつくと、雨は通り雨のようにすでに上がっており、私は喜んでルンルン🎵と帰って行った。
せめてテーマだけでも示されたら(基本、メッセージは神から示されたり、聞いたりして形作る)、どんなにホッとするだろうか、と。しかしその日は睡魔に時間切れ・・・。
朝になった。これがどんなに危機的な状況か、牧師ならずともパニックものである。しかしまた、主はにより頼めば何とかしてくださるという、妙な信頼感もあるにはあった。で、追い詰められた必死さで「神様!」と助け求めて祈った。すると肉的なのかどうかよくわからない、都合の良い示しが来た。「コーヒーを買いに行きなさい」 エッ?
当然吟味するのだが、これはちょっと難しい。このような害もない場合、従ってみることにすることが多い。そう決めて、明けて間もない外に出た。気がつかなかったが雨上がりの直後だった。傘をささずに歩く人が見えた。そこで300メールほど先のセブンまで歩き出すと、雨がポツポツ。歩けば歩くほどさらに雨の密度は増す。コンビニにさえ行けば傘は買えるし、何とかなる。ようやく駆け込んでコーヒーをゲット。次に傘を買おうとすると、やたら高い傘しか置いてない。忙しいのにこれでは帰れない。
ここがポイントの一つなのだが、私たちクリスチャンは、すべて神の御手の内にあるので、偶然は無い。ならばコーヒーを買ってのこの雨にも、神のご計画があるはずである。そこで「主よ、どうしましょうか?」と祈ると「雨はすぐに上がる」と。ならばと、私は店の外の、いつもは愛煙家たちがいるひさしの下で、コーヒーをすすりながら止むのを待つことにした。普通なら、吟味ミス!とがっかりするところだが、そうではなく妙な信仰の感覚、これには意味がある、そんな感覚があった。
さて、コーヒーの湯気を吸ってゆっくり景色を見たその先に、セブンの電光掲示版の大きな土台があった。見上げると夜は眩しいであろう看板がある。ハッと、私はありありと三年近く前のこと、まさにこの看板をドルカスと見た時のことを思い出していた。
それは船橋に住まいを移そうと、家探しをしており、まさにこの場所の二階を内見に来ていた時の事である。私は値段や広さ、間取りが気に入って、心は完全に《成約》の段階に入っていた。しかしドルカスが最後に業者に「あのう、うちには猫がいるんです。ペットOKですか?」と突然言った。この一言で、私たちは物件を諦めざるをえないことになった。その事を思い出したのである。正直さは時には、このようなことになる。
私は明瞭に主の御心がわかった。「ウソをつかないこと、正直であること。聖霊様を主とした歩みとは、偽ることができないこと。それは聖霊の証印でもあること」 これがメッセージのテーマだと。
気がつくと、雨は通り雨のようにすでに上がっており、私は喜んでルンルン🎵と帰って行った。