猫のコールと暮らし始めて、もうすぐ5年になる。この子は完全な家庭内猫で、たった一度だけ脱走した経験があるものの、かなり懲りたようで、その後はない。だからコールには猫社会の会議も縄張りもなく、猫より人間が仲間だと思っている節がある。
コールと暮らして最初いつも思ったのは、「言葉が通じたらなあ」である。長年、猫屋敷の主人だったドルカスに比べ、慣れない私には、超かわいいのだけれども、毛むくじゃらで気ままな家族との意思疎通がわからなかった。
しかしよくよく観察すれば鳴き声でも「ニャアー」を原則に「ニャオーン」「ニャァーァン」「ニャ」「フーッ」という変化形があり、耳や尻尾の立て方、振り方の違いがある。特に目やボディアクションが関心や気持ちをかなり表現してくれるのは、人間と同じだ。特筆すべきは、言葉がないので、言葉に騙されないことだ。
コールと密接に暮らす時間が経つにつれ、互いに偽ることのできない心を通わせることができるようになった。例えばこの前、私が気づかずにうっかりコールのシッポを踏んでしまい、「ギャッ」と跳ねたコールは大量の毛を私にむしられた。「ご、ごめんなさい」と謝る私に、コールは一瞬で了解し、全然怒らなかった。意図的か事故なのか、猫にだってそれぐらいはわかるのだ。またコールにとって、餌の自動給餌機人間と化している私が、早天のお祈りに集中している時など、少しの時間ならそばでじっと忍耐して待つことすらしてくれる。これはこれで、結構優しい子なのである。
素晴らしきかなペットライフ、である。 ケパ
コールと暮らして最初いつも思ったのは、「言葉が通じたらなあ」である。長年、猫屋敷の主人だったドルカスに比べ、慣れない私には、超かわいいのだけれども、毛むくじゃらで気ままな家族との意思疎通がわからなかった。
しかしよくよく観察すれば鳴き声でも「ニャアー」を原則に「ニャオーン」「ニャァーァン」「ニャ」「フーッ」という変化形があり、耳や尻尾の立て方、振り方の違いがある。特に目やボディアクションが関心や気持ちをかなり表現してくれるのは、人間と同じだ。特筆すべきは、言葉がないので、言葉に騙されないことだ。
コールと密接に暮らす時間が経つにつれ、互いに偽ることのできない心を通わせることができるようになった。例えばこの前、私が気づかずにうっかりコールのシッポを踏んでしまい、「ギャッ」と跳ねたコールは大量の毛を私にむしられた。「ご、ごめんなさい」と謝る私に、コールは一瞬で了解し、全然怒らなかった。意図的か事故なのか、猫にだってそれぐらいはわかるのだ。またコールにとって、餌の自動給餌機人間と化している私が、早天のお祈りに集中している時など、少しの時間ならそばでじっと忍耐して待つことすらしてくれる。これはこれで、結構優しい子なのである。
素晴らしきかなペットライフ、である。 ケパ