ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

人間の願いと神の計画

2015年10月24日 | 示されたこと
今朝、夫婦でデボーション(賛美や祈り、聖書を読むこと)していた時のこと、新しい賛美集「風のひびき3」の56番の、「我が宝」を賛美していると「あなたが決めておられるように、私を生かしてくださいー」の言葉にしびれた。というか、この信仰、この霊性にかーっと火が燃え上がるような思いがした。

私の人生は自分のものではなく、実は神のものであり、計画を持って神は私は造られた。だからどうぞ神様、この私をあなたのご計画通りにお使い下さい。私はそれが、私の考えることよりも最善であることを知っています!


このように神を愛する者には、一人ひとりに神の最善のご計画がある、そんなことはこの群れに来るまでは聞いた事がなかった。だから・・・私はある事柄を思い出していた。
それはまだ私が三十歳ぐらいの時である。クリスチャン同士の結婚だったが、三年経っても子どもが与えられていなかった。前妻は当初から子どもが欲しくて欲しくて、しんどい思いをして婦人科にも通ってもいた。
そんなある時、現牧師の義父でもある高名な牧師が客員メッセンジャーとして講壇に立たれ、語られたその言葉の中に「子どもは神の祝福である」という一節があった。それに前妻は反応して「では私は祝福されていないのだ」と受け取った。後で泣きながら私にそれを言うので、私はつい、その牧師に「子どもができない夫婦は、どう受け取れば良いのでしょう?」と個人的に尋ねた。すると牧師は「ムッ」とされて、そのお返事がいただけなかったことをである。

もし今の私なら、即座に「子どもが生まれるのは祝福ですし、生まれないことにも神の御心があり、そのことを通してお二人にとって最善が表されることでしょう」と答える。
信じる者にはすべて神の最善の計画があり、それは人間的な願いとは必ずしも合致しない。だから冒頭の賛美「あなたが決めておられるように、私を生かしてください」に私は、霊と魂を震わさせられるだ。 ケパ





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