ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

主よ、癒してください

2015年10月15日 | いやし
私は今でも、都会の人混みの中で特に痩せた女性を見つけてしまうと、一瞬のうちに過去の記憶を呼び戻してしまい、少しの時間身動きがでくなくなってしまう。その話は今から20年前後、前にさかのぼる。

散々回り道をして、病気であることがわかり、ようやく専門の精神科の病院にたどり着いて、その医師に治療方針を聞くと・・・
「あなたの奥さんのような、四十過ぎて、しかも源であり治療の柱とも言える母親を失って発症した拒食症のケースは、これまで治った例がありません。すべていろんな形で亡くなられています。覚悟しておいてください」と医師から宣告されたのだ。そして数年するとそれは、決して言い過ぎではない現実に、私は地の底をのたうち回っていた。それで最後の希望を信仰に立ち返って神の癒しに求めると、友であり、ともに教会を長年支えてきたつもりの牧師から次のように言われた。

「あなたの信仰は危険です。旧約の時代はともかく、完成された聖書がある今は、特に聖霊の著しい働きを必要としません。聖霊、聖霊と言うカリスマの人たちによって、キリスト教会は多くの混乱に陥れられたのです。あなたは夢を見、その夢や幻がいきなり現実になるとでも思うのですか?そうではない。神はいつも人を介し、人を通してご自分の計画を実現されるのです。(※つまり神は個人に直接語られることはない、癒やしに応えられることもない)祈ったりするのではなく、すぐに病院に入れなさい。

祈りすら拒否された私は、信仰にではないものの、これほど教会というものに深く絶望したことはなかった。バプテスマを受け、三十年近くになる私の教会生活は、一体何だったのだろうか?聖書にはキリストと弟子たちによって、信じる者にあれほど多くの癒しと奇跡がもたらされたというのに、そしてそれはどこにもこの時限り、もう終わったとは書いて無い。むしろ信じる者には、その印として現れるとすら書いてある(マル16:17)というのに。全能の神に癒やし、病からの救いを求めなくて、それでもクリスチャンなのだろうか?

今では私はあの時、友だった牧師が危険視したカリスマ派の牧師である。そして明確に彼が危険視した理由とその根本的な誤り=聖霊なる神を信じていない、を理解している。三位一体の神を信じると言いながら、実は聖霊なる神を個人的に知ることも、体験することもできていない人々に聞くとは、私自身も何と愚かだったのだろうかと今では思う。
癒しは聖霊なる神の働きであり、聖書が語っている「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。(マルコ16:17-18)」は今でも真実である。要は信じる者には癒しが現れ、信じない者には現れないのだ。病の人よ、特に医学から見放された人々よ、来たれカリスマ派の教会に。神には不可能はない、ただ信仰があれば。 ケパ




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