ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

イスラエルのシロで②・・・・この地は誰のもの?

2016年11月18日 | 祈り
シロの丘の頂上部には、シロの歴史を映像で観せる、銀色でハイカラな円形の建造物がある。そこに行けば、シロ近辺が一望できる。私は今回、間を見つけて近くの兄弟姉妹に問いかけた。「皆さん、ここから見える(パレスチナの)土地は、一体、誰のものなんでしょうね?」(写真では遠景にその建物が見える)

この際、ちょっとだけ説明をさせて欲しい。
シロは地理的には、ヨルダン川西岸、パレスチナ自治政府の中央部にある。このヨルダン川西岸というのは旧ヨルダン領で、旧エジプト領だったガザと同様、六日戦争の結果、イスラエルが占領支配をした所である。

こうして元は一つであったパレスチナに住むアラブ人は、三つ別れてしまった。1948年にイスラエルが誕生した際に、国外脱出しての難民の道を選んだアラブ人、自分たちの土地を離れずイスラエル人として生きる道を選んだアラブ人、そしてこの西岸自治区のようにイスラエルに占領され国を失ったアラブ人。
このヨルダン川西岸地区は、イスラエルの占領支配を経て、PLOのアラファト議長の下、粘り強く数々の抵抗の後に自治権という和平を得て、現在のパレスチナ自治政府となったのだ。

しかしその際の和平案が複雑怪奇である。この地は三つに分けられた。住民の住んでいる町だけ、それは全土の18%しかなかったのだが、行政も警察もPLO(現パレスチナ自治政府)のA地区。これと同じぐらいの行政はPLOだが、警察権はイスラエル軍のB地区。残り六割近くが行政も警察権もイスラエル軍だ。つまりパレスチナ自治区は上図の通り、自分たちの住まい近辺以外はほぼ、イスラエル軍に握られている。これでは国の体を成していない。そんな状態で国連やアメリカが、ヨルダン川西岸のイスラエルの支配地区にイスラエル人(この場合はユダヤ人)の町を作ることを違法として非難しているのだ。しかしイスラエルにとっては、AとかB地区以外に建設するのであれば、先住民族である自分たちのものであり、これは何ら違法ではないのだ。

国連やアメリカも、西岸自治区はパレスチナ人の土地なので、ユダヤ人が勝手に町を作り、この地を蚕食するのはけしからんとパレスチナ自治政府の肩を持った。しかしユダヤ人にとって、実はこの地こそ本来ユダヤ人の地なのだ。シロ、ナブルス(シェケム)、アイ、ヘブロン、ベェル・シェバなど、これらは聖書の重要な土地であって、すべてパレスチナ自治区にある。つまりヨシュア率いるイスラエルが最も初期に占領支配し、神に約束されたイスラエルの土地として確立したのは、実はまさにここ、この地なのだ。こここそ、元々は(三千五百年ぐらい前から)イスラエルの土地なのである。だからイスラエルは二千年の時を経て、帰ってきたのだ。つまり大家の留守の間に勝手に居座りを続けて、今まさに居住権を主張しているのがパレスチナ人、アラブ人と言うことになる。イスラエルから見れば、この地は絶対に譲ることのできない、神が約束された土地なのだ。(写真はシロの遺跡+公園の入り口)

「この地は、一体、だれの(どちら側の)土地なんでしょうか?」・・・・周囲の人々にそう尋ねながら、実は私自身も答えあぐねていた。何とか平和的に互いが共存できないものだろうか? しかし入植そのものがパレスチナ人の怒りを買っている現状では、それも難しいのだ。(神殿の丘を嘆きの壁から見る)

神殿の丘はもっと先鋭化している。ユネスコがアラブ人のものだと断定したようだが、誰がどう見てもそこはダビデが神に示され、ソロモンが神殿を建てた場所であるから、たとえ不在でも所有者はイスラエルである。破壊されようと、世界に住まうユダヤ人唯一の神殿跡にモスクを建てるなどとは、これは平和のことではなく、永遠の争いの種になるのは当然なのだ。


ケパ
コメント
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