ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

心の病 考

2017年09月25日 | 祈り
最近読んだ本で、「一般的に、病識の欠如は精神病の特徴である」とあった。関連して、故新井牧師がアンテオケ教会での特設講義において「セルフイメージが・・・」と言われ続けていたのも、このことであると思った。広辞苑で病識を開くと

びょう‐しき【病識】ビヤウ‥
精神的疾患を持つ者が、自分が病気だと自覚すること。神経症の人はこれを持つが、精神病の人ではこれを欠くことがある。病覚。

とある。確かに広島時代、身近に接した幾人かの人々には病識が乏しかった。それが無いためになのか、医師に従うどころか、かえって精神科医を自分で操縦したがった。聞いている私はとんでもないことだと思ったが、結構それが彼らの常識であるらしかった。それではなかなかなおらないわけである。

私は結構スポーツをするので、常に勝ち負けという誤魔化しようも、とり繕いようもない結果がその都度、突きつけられるわけである。半世紀近く経つが、私の知るかぎりスポーツする人に、精神の病の人を一人も思い出すことができない。つまり現実の自分と乖離しないスポーツマンは、心の病になりにくいのかも知れない。と同時に、クリスチャンにも、これまでたった一人にしか出会わなかったのだが。

クリスチャンの割合は0,2パーセントぐらいなので仕方ないかも知れないが、それにしてもこれは「ありのままの自分」を知る、受け入れることの重要性を物語っている。キリスト教は、神の御子イエス・キリストがすべての人間の罪のために十字架にかかってくださったと信じる教えである。
一体全体、教祖というか宇宙と世界を創った存在が、罪深い人の身代わりになって帳消しにしたという教えがあるだろうか❗ 無い。

どんなにスポーツをして、セルフイメージが正しかろうと、それはその競技内だけであって、自分の肉の罪深さが解消されているわけではない。まして親とか周囲の圧迫や期待に、誤った自己像(セルフイメージ)に固執せざるを得なかった病の人々には、十字架は何と素晴らしい福音であることか❗ 十字架だけが罪を完全に赦し、傷を癒し、ありのままの自分を受け入れられ感謝する道を開く。

病める人、己の罪を知る人よ、三位一体の神を信じる教会に来たれ。

 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。(ガラテヤ5:1)




ケパ




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