ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

羊・ヒツジ・神の子羊

2017年12月18日 | 
実に有用で人間に依存する不思議な動物がいると私は思う。それが羊という動物である。(私の教会のマーク)

子供時代、私は朝晩世話をするニワトリ20羽ぐらいとメス山羊(ヤギ)1頭を任されていた。他に耕作用の牛1頭も小屋にいた。
その思い出はいろいろあるが、聞くところによると羊というこの家畜動物、不思議である。私が触れてきたニワトリや山羊は、当たり前だが結構動物丸出しで野性味があった。基本家畜であっても動物は人間に従順ではない。逃げる専門だし、時に反抗もする。もっとも身近な犬にしろ猫にしろ、人間を離れて野犬や野良猫がいるわけで、人を離れても生きることができる。

ところが、である。羊だけは人間を離れては生きていけない。狼とかライオンに対し、逃げるための速い足、立ち向かう角や牙もない。かと言ってハリネズミとか、亀のような防御もない。ただ人間の羊飼いだけが羊の守り、盾であって頼りなのである。

だから羊には牧羊犬という人間の代理の動物にも従うほど、人間に極めて従順だ。野生種のいない羊、これほど人に依存する動物は存在しない。だから私は思うのだが、進化論者が何を言おうと、羊は神が人間のために特別に創造して下さった唯一の動物なのだ、と。

羊と暮らせば、それだけで人は生きることができる。草さえあればウールと言う贅沢な毛糸や布地を生えさせ、暖と乳、肉を提供してくれる。羊は何一つ無駄になるところがない。だから聖書の時代から古来、羊は人々の主要な財産であった。

アブラハムからヤコブ(イスラエル)、モーセ、ダビデに至るまで、聖書の主要な人物は皆、羊飼いかまたはその経験者であった。だから聖書を理解するには、羊に関しての知識が必要である。羊はまたその弱さと従順さのゆえに、神の子羊と呼ばれるイエス・キリストの別名でもある。これほど光栄に満ちた動物はいない。

羊は自分の羊飼い人を離れることは、基本、ない。それは即、死を意味する。どの羊も自分の牧者の声を聞き分ける。そして良い羊飼いは、自分の羊のためには命をかけて護る。
私たちは羊のように、神に従って生き、命を得るはずなのに、聞き従わない山羊になってしまって、愚かにも危険な急峻の崖で生きようとしている。自我という野生の山を降り、神の羊になりたい。

もっと羊がほしいケパ





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