今朝の船橋(2月6日木曜)は、朝9時過ぎまで濃い朝霧に包まれていた。船橋で暮らして五年、こんな幻想的な景色は初めてのことだ。
船橋は文豪が療養しに来るほど、東京からごく近場なのに、はっきりと東京より晴天が多いし、しょっちゅう海風が吹き、ゆえに冷え込まない温暖な良い所だ。だから霧なんかおよそ関係ない土地のはずだった。(ニュースにも)
これにはいくつかの偶然が重なっている。
前日の水曜日、船橋は日中かなりの雨が降った。真冬なのにそう冷たくはなかった雨である。夕方には雨が上がり、夜が冷え込んだ。 その上珍しく無風状態が今朝まで続いたので、湯気のように霧が出たのだろう。すごい偶然が重ならなったわけだ。(これは普段の同じ場所)
実は私は霧が懐かしい。故郷は広島の吉田と言って、ダムができるまでは一年中濃い霧が出る霧の町だった。朝9時過ぎて、いきなり霧が晴れるまで、その日の天気がわからない。霧が晴れるまでは3メートル距離を置くと、もう人の弁別ができないほどのすごい霧に包まれる。船橋の霧レベルではない。
学校に通うのは、道を覚えているからだが、もし知らなかったらお手上げである。霧の中を歩いていると、人が突然現れて、「なぁんだ、隣をずっと歩いていたのは君だったのか」とかいう話になる。そんな風に音はすれど、分からないといつワクワク感がいつもあった。
《閑話余談》ドライバーの場合--------
後年、車を運転するようになると、霧はかなり危険な状態となる。夜の闇は照らせば見えるが、霧は照らすと余計分からなくなる感じである(黄色のフォグライトも、実はあまり頼りにはならない)。だから微速前進から解放された峠道などでは、けもの道とクロスし、鹿と衝突する事が多い。鹿は霧を利用して里に下り、山では得られないご馳走朝ご飯を食べるようで、身を隠してくれる霧が事故というアダとなるのである。しかしどういうわけか鹿はすぐ立ち直り、後にはラジエターを壊して煙を吹き上げる車だけが取り残されるケースが多い。鹿た無いと諦めるか(笑)、鹿と(ムシ)できなかった不運を嘆く(><)かだ。
私は祈っていたので守られたのだが。
ケパ