Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

京都で作品展を2つ見る

2011年05月22日 | Life
午前中、インドの写真のRAW現像など。

午後から京都三条のギャラリー射手座へ吉田重信さんの作品展「臨在の海」を見に行く。
吉田さんは福島県いわき市在住で、今回の震災と原発事故によって一時は避難していたが、現在は自宅へ戻っているという。
会場には白菊がびっしりと敷きつめられ、中に入ることはできない。
ああ、この菊の花は震災で亡くなった人への慰霊なのだな。
じっと見ていると、奥の方に10センチほど背の高い菊が並べられていることに気づく。
それが押し寄せる津波のように見えて不気味だ。
だが左隅に赤いライトがあって、それが会場内の唯一の照明となっているのがこの作品のポイントだと思う。



本人さんがいらしたので少し話をする。
じつはこの作品は震災前からすでにこういう形にすることは計画されていて、慰霊のつもりで考えたのではないという。
でも震災のあと、赤いライトが付け加えられたそうだ。
なるほど、やはりあの赤い灯は希望の光なのだな。
ギャラリー射手座はきょうで閉廊する。
さいごの締めくくりという意味も含めて、メタファーの効いたインスタレーションであった。



つづいてニュートロン京都で西川茂さんの作品展「in between」を見る。
ここはギャラリーではなくカフェの奥に設けられたスペースを使った展示会場だ。
そのなかに入って見ることもできるし、カフェの方からお茶をのみながらゆったりと見ることもできる。
西川さんの作品は1辺40センチくらいの正方形のカンバスに、きれいなグラデーションの彩色がされている。
離れて見ると、その1枚1枚がタイルのように壁面を飾っていて、とても気持ちのいい空間になっている。
作品にどんどん近づいていくと、カンバスのなかに小さなトンボが2匹飛んでいた。
いや、待てよ、1匹はトンボじゃなくてヘリコプターだ。
あまりにも小さい(1センチくらい?)のでちょっと離れるともう見えなくなるのだけど、たしかに1枚1枚に2つずつ描かれている。

近づいて1枚のカンバスを1つの作品として見ると、それは夕焼け空に飛ぶトンボとヘリコプターの具象画なのだが、それが集合して大きな壁面となったときには美しい抽象画に変貌する。
まさに具象画と抽象画の「間」を行き来する、おもしろい作品だ。
そしてトンボ(自然)とヘリコプター(人工物)との間をもかるがると超越する、スケールの大きさをもった作品でもある。
ニュートロン京都も今月いっぱいで閉廊するらしい。



夕食は妻と近くの居酒屋へ飲みにいく。

ガンガーの流れを表現する

2011年05月21日 | Photography
わが家では毎月の家計の計算はわたしの仕事なのだが、以前エクセルでつくった簡単なフォーマットがあって、そこに1ヶ月分の買い物したレシートと預金通帳、それにカード会社からの請求書を見ながら打ち込んでいく。
30分ほどでできる作業なのだが、今月は連休とそのあとインドへ行ってたので、計算するのをすっかり忘れていた。
朝一番にその計算をし家計簿をつける。
先月はほとんど仕事をしてなかったことに気づき、少しあわてる。

そのあと家中の暖房器具をロフトに片づけ、替わりに扇風機を3台出してくる。
本格的な夏までできるだけエアコンは使わずに、扇風機でのりきろうと思う。
インドのあのくそ暑い部屋で1週間のりきったのだから、もうわたしはこわいものなどない。(かな?)
昼食に徳山物産の韓国冷麺をたべる。
中華冷麺よりもコシがあってうまい。



きのう、iMovieを使ってインド旅行のスライドショーをつくりはじめたのだけど、再生すると勝手に写真がズームアップするので困っている。
なんとかそれを解除したいと試行錯誤するが、どうしてもわからないので、映像作家のヨシダミナコさんに電話して教えてもらう。
すると写真を取り込むときに、いったんiPhotoに保存しておくことがわかった。
アップルのアプリはいろいろ連動してるので、意外な盲点を知る。
そうして現像したカットをどんどんiPhotoに放り込んで、それからiMovieで呼び出すとはたしてうまくいった。

きょうも午後からスライドショーの編集のつづき。
来週の授業で生徒たちに見せるつもりだ。
スライドショーのおもしろいところは、音楽とシンクロさせて写真を見せられるところだ。
インドで買ってきたラヴィ・シャンカルのライブCDと、お店で奨められたニラドリ・クマールのCDを聴きくらべ、写真のイメージに合う曲をさがす。
ラヴィの超絶技巧もすごいけど、ニラドリの情感たっぷりの演奏がガンガーの川の流れにふさわしい気がするので、結局ニラドリの方をえらぶ。
最近の彼はエレクトリック・シタールでロックっぽい曲をやってるけど、このCDではまだアコースティック?シタールを弾いている。
ジョージ・ハリスンも負けます。



[きょうの夕食]
・アジのみりん焼き
・焼シュウマイ
・鶏もも肉とセロリと舞茸の味噌煮
・フルーツトマトとキュウリの甘酢づけ

ピントの厚みをイメージする

2011年05月20日 | Class
インドから帰国して、きのうは少しゆっくりしたが、きょうからまた仕事だ。
仕事しないと夏の旅行費が捻出できないからね。
インドの話はおっつけ紹介する予定。
で、3週間ぶりの写真学校の授業は「被写界深度について」。



一般的に、被写界深度は絞りを開けると浅くなり(つまりピントの合う範囲が狭くなり)、絞っていくにしたがって深くなる。
あらかじめ撮影しておいた写真をプロジェクターで見せながら、絞りを変えるとどのように絵が変化するのかを説明する。
素人さんは絞りを開けて背景をぼかすことが「良い写真の秘訣」みたいにカンちがいしているが、背景のボケ方と写真の良し悪しとは関係がない。
むしろレンズの力(大口径の明るいF値のレンズを開放で使う)に頼らない表現の方がわたしは好きだし、写真の内容も良くなるのではないか。
背景にあるうるさいものを何でもかんでもぼかしてしまうのは、安直すぎるというものだ。
ほんの少しアングルを変えればうるさいものをフレームアウトできるのに、そういう手間を惜しむというか、いろんな工夫をしないというのでは写真は良くならない。

わたしは使う焦点距離によって、どこまで絞ればどこまでピントが来るか(つまり被写界深度はどのくらいか)というイメージが頭のなかにできている。
イメージがなくてもデジカメのモニタを拡大表示すれば、だいたいのところはわかるけど、それではプロ失格だ。
たとえばスウィーツを撮るときと集合写真を撮るときとは、たとえレンズが同じでも使う絞りの値はちがう。
また同じ商品でもイメージカットとして撮るのか、カタログ用として撮るのかでもちがってくる。
必要なのはピントを1点と捉えるのではなく、ピント面を含めた前後にある被写界深度をピントの厚みとしてイメージすることだ。
フィルム面に平行な面(厚み)がいまどこにあるのか、そのなかに被写体を入れるという考え方だ。
ぼかすことよりも、ぼかさない(つまりシャープに見せる)ことの方が、じつは大切なのである。



まあ、ことばで言ってもなかなかイメージできないと思うので、何度も撮って自分なりのデータを頭にたたきこんでほしい。
Fさんは小さなエヴァのフィギュアと格闘中。
エヴァ初号機は第3使徒サキエルと格闘中だが、このときすでにパイロットの意識はなく初号機は自らの意思で戦っていた。つまり暴走中



[きょうの夕食]
・舞茸とたまごの中華スープ
・小エビと春キャベツの甘酢あえ
・厚揚げのあんかけ
・蒸し鶏のゴマだれ風

旅する目的

2011年05月18日 | Life
きょう、インドから無事に帰国した。
インドで猛烈な暑さと日差しを浴びてきたので、日本の太陽はまだやさしさを感じる。
たった1週間であったが、いろんなことを感じ、考えた旅であった。

わたしが滞在していたところは、デリーから約600キロ南東に位置するバラナシという町で、ガンジス河のほとりにある。
ここは日本の小説にもたびたび登場する有名な場所で、ヒンドゥー教の聖地だ。
何カ所もあるガート(沐浴場)では、川の向こうに登る太陽に祈りをささげる多くの人たちの姿を見ることができる。



投宿していたのは日本人女性が経営するクミコハウスという安宿だ。
バラナシに着いて、いくつかの宿をまわったがどこも満室で、さいごにたどり着いたのがここだった。
あまりきれいとは言えないシングル部屋だが、ベランダからガンジス河が一望できるのが気に入った。

朝8時になると「ご・は・ん・でーす」という大声がして、同時に2匹の犬も鳴きだす。
するとみんな食堂にやってきて、好きなだけお皿に盛るというビュッフェ方式の朝食。
大きなヤカンに入ったチャイも飲み放題だ。
3階のドミトリーには日本の青年たちが6~7人、韓国の青年たちが4~5人泊まっていて、みんな楽しそうにやっている。
たまたまわたしの横に座った日本人女性はここに1ヶ月半もいるそうで、彼女を含め長期滞在の人が多かった。
「どこか面白いところは?」と聞くと、ガンガー(ガンジス河のこと)にいるインド人を見るのが面白い、と彼女はいった。



またべつの日に横に座った日本人の青年はまだ2週間ほどの新参者だが、とくに町を見てまわることなく、1日中ドミトリーの青年たちとしゃべったり、昼寝をしたり、ボーッとしてるらしい。
わたしのように「写真を撮る」という明確な目的はなく、ただそこで寝起きして、1日が過ぎてゆく。
そういう目的のない旅もあるのだな。
朝食を食べながら青年たちと話していると、みんなフツーの若者で、礼儀正しいし、退廃的な感じはいっさいしない。
だが、ことばの端々に日本での生活に不適応を起こして、こんなインドくんだりまでやってきたという感じを聞きとり、少し悲しい気持ちになった。
彼女彼らから聞いた具体的な話はここには書かないが、みんなそれぞれにカルマを持ってここバラナシにやって来ている。
そのカルマをガンガーに流して昇天すること、それが彼女彼らの旅の目的なのかもしれない。

ガイドブックにも載っていないクミコハウスで偶然出会った若者たちを通して、あらためて日本を知る。

[きょうの夕食]
・ちらし寿司
・刺身いろいろ
・鶏の唐揚げ
・切干し大根の煮もの

アイ・アム・エイジアン

2011年05月17日 | Life
インド旅行7日目。
いよいよきょうバラナシを発ち、デリーへ、そして日本へ帰国する。
あっという間の1週間だったが、いろいろなものを見て、感じ、考えることのできた貴重な時間であった。

チェックアウトの時間ぎりぎりまでクミコハウスの部屋ですごす。
ベランダからさいごのガンガーを見る。
部屋代を精算し、クミコさんとシャンティーさんとボピー(ワンちゃん)の写真を撮らしてもらう。
どうぞお元気で。



大通りへ出てオートリクシャーで空港へ向かう。
途中、大渋滞にまきこまれ何度も迂回するが、なかなか進まない。
1時間半もかかってようやく着く。
お礼のつもりで少し多めに運賃をわたす。

待合室で座っていると、若者がやってきて「中国人ですか」と聞かれる。
この1週間でよく中国人あるいは韓国人かと聞かれて、日本人だと答えると「本当に?」といわれた。
じっさい難波や心斎橋を歩いてると、わたしでも日本人か中国人か韓国人か判別できない人がいるから、インド人にはわからなくて当然か。
SoftBankの孫氏にいわせると「世界から見ると韓国人も日本人も中国人も誤差みたいなものだ」とか。
もうそういう時代なのだとあらためて思う。
(それにしてもわたしのどこが中国人に見えるのか? べつにいいけど)
声をかけてきた青年はじつは北京に住む中国人で、バラナシには3週間ボランティアの仕事で来ていたという。
彼には日本人の彼女がいるそうだが、家族に反対されて結婚できないとこぼしていた。
さいごにその彼女の写真まで見せてくれたが、とても美しい女性であった。
人生いろいろあるものだ、がんばれ若者よ。

旅先でいろんな国の人たちと話をするのはおもしろい。
だがいつも自分の英語力のなさが壁になって、表面的な会話に終始してしまうことが残念でならない。
もっと深い話ができれば、さらに充実した旅ができそうなのだが。
いっそのこと、外国へ移住してしまおうか。
そうすれば少しは会話ができるようになるかもしれない。本末転倒?

15時32分、エアコンの効いていないAI410便テイクオフ。