バイクというのは本当にふしぎな乗り物だ。
夏は暑いし、冬は寒い。雨が降ったらカッパが必要だし、そのうえ危険が伴う。
こんなに不自由な乗り物なのに、いまだに降りられないのには理由がある。
バイカーズハイなどという言葉があるのかないのか知らないが、ツーリング中にいろいろな好条件が重なったとき、それはやってくる。
どういう状態かというと、身体とバイクとの境がなくなって、バイクを操作していることすら意識からなくなって、ただ自分が走っているという感じ。
むき出しの身体が数十キロのスピードで空間を移動していく、そんな感覚である。
危険な状態のように思われるかもしれないが、べつに猛スピードでワインディングを攻めているときのことではなく、景色のいい海岸線などをゆっくりと流しているときに、そういう感覚になることが多い。
わたしはこの感覚を味わうためにバイクに乗っているといってもいい。
だが、それはいつもやってくるわけではない。
今回の四国ツーリングではたのしい時間を満喫できたのだけど、残念ながらその「ハイ」な気分は味わえなかった。
まず天気が悪かったし、気温も低かった。時間的なゆとりもなかった。
でも本当の理由はそんなことではないとうすうす感づいている。
文字にしてしまうとそれが意識にのぼるので、あえて書かないでおくけど、一度身体が覚えてしまったあの感覚はなかなか消えはしない。
きっとこのままではもう味わえないのだと思う。
ああ、こういう飢えた感覚は写真表現になにか役立つのだろうか。
夏は暑いし、冬は寒い。雨が降ったらカッパが必要だし、そのうえ危険が伴う。
こんなに不自由な乗り物なのに、いまだに降りられないのには理由がある。
バイカーズハイなどという言葉があるのかないのか知らないが、ツーリング中にいろいろな好条件が重なったとき、それはやってくる。
どういう状態かというと、身体とバイクとの境がなくなって、バイクを操作していることすら意識からなくなって、ただ自分が走っているという感じ。
むき出しの身体が数十キロのスピードで空間を移動していく、そんな感覚である。
危険な状態のように思われるかもしれないが、べつに猛スピードでワインディングを攻めているときのことではなく、景色のいい海岸線などをゆっくりと流しているときに、そういう感覚になることが多い。
わたしはこの感覚を味わうためにバイクに乗っているといってもいい。
だが、それはいつもやってくるわけではない。
今回の四国ツーリングではたのしい時間を満喫できたのだけど、残念ながらその「ハイ」な気分は味わえなかった。
まず天気が悪かったし、気温も低かった。時間的なゆとりもなかった。
でも本当の理由はそんなことではないとうすうす感づいている。
文字にしてしまうとそれが意識にのぼるので、あえて書かないでおくけど、一度身体が覚えてしまったあの感覚はなかなか消えはしない。
きっとこのままではもう味わえないのだと思う。
ああ、こういう飢えた感覚は写真表現になにか役立つのだろうか。