Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

ライカを通じて職人の魂にふれる

2013年03月21日 | Camera


修理に出していたライカM2が1ヶ月半ぶりにもどってきた。
光線漏れの確認はすぐにはできないが、シャッターストロークとシャッタースピードの調子は完ぺきだ。
1/60秒くらいで切ったときの「チャカッ」という静粛な音がそれを教えてくれる。
なにもいわなかったけど、巻き上げレバーの感触もよくなっている。きっとバラしたときに注油してくれたのだろう。
お礼のメールを打ったら、すぐに返信があった。

 ご丁寧にカメラ到着のメールをくださりありがとうございます。
 仕上がりを喜んで頂けたようで嬉しいです。
 感触のよいライカは、写真撮影が楽しくなりますね。

ライカにかぎらず古いカメラは、こういう職人たちの手によって1台1台ていねいにメンテナンスすれば、いつまでも使うことができる。
いまのデジカメは使い捨ての家電製品のようになってしまって痛ましい。
なんでも売れればいいという価値観でモノをつくっていると、本当にいいものはどんどんなくなっていく。
そしていいものをつくったり修理できる職人もどんどん消えていく。

とても残念なことだけど、それが時代の流れというものなのか。
せめてライカを通じて職人の技というか魂にふれるよろこびを味わいたいと思う。

気合いの写真展をみる

2013年03月20日 | Life
暑くて4時半に目が覚める。しばらく横になってたけど、もう眠れなくて起きる。
早朝からきのう撮ったV大学の卒業式のデータを整理してDVD-Rに焼く。
そのあと使わない機材の荷作り。ヤフオクで売れたものだ。
10時からヘアカットへいく。誕生月の割引で2割も安くしてもらえた。

午後から南船場のナダール大阪でやっているコアラベア写真展を見にいく。
前回の「コンディション・グリーン」からほぼ2年半ぶりの写真展だ。
びっくりするのは彼の写真の変わらなさで、町なかでビビッときた人に声をかけてその場で写真を撮る。
10年間、この撮影スタイルは一貫している。
かつて写真学校の課題で出た「100人斬り」をまだやっているようだ。いったい何人斬ったの?

ロックが好きなので69枚の写真を展示したというのは彼らしいユーモアであるが、その中で外国人が多くなってきた気がする。
京都在住の彼が外国人を撮るのは自然なことかもしれないが、なかなか簡単には撮らせてもらえないだろう。
聞けば、声をかけて3人に2人は断られるらしい。だけど撮らせてもらった喜びが、またつぎの撮影の力になるという。
どこまでもストレートなこの制作態度にただただ脱帽である。

コアラベア写真展「気合いだけがコアラベアのガソリン。」は今月24日まで。最終日は作家在廊。

F4はデロリアンのように

2013年03月17日 | Camera
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でブラウン博士がつくったタイムマシン「デロリアン」は、かつてじっさいにあったアメリカの自動車メーカーDMCが製造した「DMC-12」というモデルが原型になっている。
このDMC-12のシンプルで力強いデザインは、イタリアの工業デザイナー・ジウジアーロの手によるものだ。
ジウジアーロは数々の自動車デザインを手がけているが、じつはニコンのF3からF6までのカメラも彼のデザインによるもので、先日手に入れたF4もそうだ。

そう思ってあらためて見てみると、直線的なデザインのなかに有機的なラインをうまく取り入れ、全体の印象は力強いけどどこかあたたか味のあるデザインが、デロリアンと一脈を通じているところがある。
ニコンのカメラデザインだけに限ってみれば、F3からF6に至る20余年という時の流れのなかで、徐々に曲線的な部分が増えて丸みを帯びてくるのだけど、でも使い手に媚びない一貫したポリシーのようなものを感じる。
いま流行りのエルゴノミックデザインとは一線を画した彼のデザインが、ニコンのカメラをニコンたらしめている。

エルゴノミック(人間工学)なんていうけど、わたしはあのグニャグニャしたデザインをいいと感じたことがない。
どこかのカメラメーカーがグリップ部をちょうど4本の指がかかるように凹凸のある形にしてたけど、人間の手の大きさなんてさまざまだし、握る位置にしても人それぞれ。
人差し指でメインダイヤルを回すためにシャッターボタンを中指で押さえる人もいるのだから、とうぜん握る位置は変わってくる。
そうすると「この場所を握れ」と強要するようなデザインは、かえって使いにくい。
人には人の使い方やコツがあるのだから、それを許容する幅というかフトコロの深いデザインこそが本物のデザインなのだと思う。
話が逸れた。



さて、クソ重たいニコンF4の使い心地であるが、ふしぎなことに撮影しているときはその重さをまったく感じない。
まえにも書いたボディとレンズの重量バランスのおかげでもあろうが、やはり使いやすいデザインによるところが大きいと思う。
わたしは手が大きいので、あまり小さなカメラはうまくホールドできないのだが、F4の無骨ともみえるグリップはわたしの手にしっくりと馴染んで、シャッターを切る瞬間に集中させてくれる。
また、中指が当たる部分と背面の親指が当たる部分がわずかに盛り上がっていて、そのおかげでしっかり握れるのでボディのブレを防ぐことができる。その形状が絶妙なのである。

かつてよく来た大和川の河川敷で写真を撮っていると、まるでそのころにタイムスリップしたような気持ちになる。
でも砂利道だったところが舗装路になっていたり今まさに工事中だったりすると、時の流れを感じざるを得ない。
だけどデロリアンのようなこのカメラなら、そのころの風景が写るかもしれない。

F4をなんと読むか

2013年03月12日 | Camera
ライカM2の修理が遅れているので、替わりにニコンFM2を使っていることはまえに書いた。
だがFM2に24-85ミリズームを付けると重量バランスが非常にわるい。やはり重いレンズは重いボディに付けなければダメだ。
そこで重いカメラをヤフオクで物色していたら、よさげなニコンF4を発見!
F4を「エフフォー」と読めば米軍の戦闘機を想起するが、「エフよん」と読むならニコンのカメラを意味する。
ちなみに「エフスー」なら台湾のアイドルユニットになるらしいが、それはともかく。

F4が発売されたのは1988年であるから、いまからちょうど四半世紀まえになる。
すでにオートフォーカスのカメラは登場していたが、プロ機としてはじめて実用となるAFが装備された記念碑的なカメラだ。
当時の報道カメラマンはほとんどがこのF4を使っていたのではないか。もっともプロはAFよりもマニュアルで合わせていたというが。

見つけたオークションに迷わず入札すると、競売にもならず(つまり入札者はわたしだけ)あっさり落札してしまった。
いまどきF4を使おうなんていう人はだれもいないのか。



さて、届いたF4を手にして、まずその大きさと重さにおどろいた。
24-85ミリのズームレンズを付けるとバランスはとてもいいけど、総重量は1800グラムにもなった。
当時のカメラマンはこれを2台(しかもバッテリーグリップとストロボ付きで)持って仕事をしてたわけだから、相当タフじゃないと勤まらなかっただろう。
わたしのような腕力のないカメラマンにはぜったいムリだ。

シャッターを切ると、精密感のあるキビキビとした音がする。思ってたほど大きな音ではなく意外と静か。
それに一眼レフ特有のミラーが跳ねあがるときの振動がほとんど感じられない。
くわしい構造はわからないけど、ニコンはもうこのころからミラーショックを抑えるバランサーを入れていたのか。
ボディの重さも手伝って、これなら1/15秒でもブレる気がしない。
さすがはニコン、腐ってもF一桁機である。

測距点は中央に1つだけだが、オートフォーカスの速さは十分だ。
ただし暗いところやコントラストの低い部分では合焦しにくいので、合わせやすいところを見つけてロックする必要がある。
またファインダーが非常にクリヤで見やすいので、マニュアルフォーカスで合わすのも苦にならない。
その場合、(レンズにもよるが)フォーカスエイド機能が使えるので便利だ。



このカメラの最大の特徴はボディのどこにも液晶パネルがないことだ。
いまのカメラはボタンを押しながらダイヤルを回し、液晶パネルの数字をセットするものが多いけど、このF4は各ダイヤルやスイッチに書かれた数字を見ながらセットする直読式なので、そこがアナログ感覚でわたしは気に入っている。

いやあ、このカメラ、なんかメカっぽくていいなあ。
この戦闘機のようなカメラで、どんな過激な絵が撮れるのだろう。たのしみだ。

撮るまえに乗りこえるべきこと

2013年03月11日 | Photography
いまから数年まえ、妻のからだは乳がんに冒されていた。
早期の発見だったので、幸い乳房までは切り取らずに、腫瘍(しこり)だけの切除で手術はすんだ。
ただそれから半年くらいは放射線治療をつづけ、その後5年間は毎年定期的に検診に通っていた。
とりあえず再発の可能性は低くなったものの、この間の不安や恐怖を考えると生きた心地はしなかったと思う。
おかげさまで現在はほぼ健康な生活をすごしている。

わたしはその手術の前後で彼女のようすを写真に撮っている。
そのときの自分の心境を思い出すと、いまでも泣きそうになるのだけど、でもそれは自分にあたえられた仕事なのだといいきかせて撮りつづけた。
そのうちの何枚かを組写真にして、ある写真コンテストに応募したら、偶然にも選ばれたことがある。
彼女の闘病とわたしの撮影がすこし報われた気がした。

そのコンテストの審査員の一人であった写真家の大石芳野さんが、今朝のNHKニュースに出ていた。
彼女は東日本の震災以降ずっと被災地に足を運び、取材をつづけている。
「まずここの人たちと精神的につながることが支援の第一歩」なのだという。
彼女の撮った写真はあたたかい。
そこに写っている人たちとの絆があるからだ。

12年もまえに大石さんは自分の写真についてこう語っている。→The Photographaer
「直接、彼らに何かをしてあげるのも大事ですが、自分の言動を見つめ直したり、たとえば、優しさに欠けていなかったかとか、あるいは弱い者をいじめていなかったかなと考えてみる。優しい心と理解が、やがて傷ついた人々に勇気と喜びを与えることになると思うんですね。共有するということは、そういうことでもあるんじゃないでしょうか。誰にでもすぐに何かができるわけじゃないですからね。そういうキッカケに、私の写真がなれるととてもうれしいなと思っています」

写真を撮るまえに乗りこえなければならないことがたくさんあるが、そうして撮影された写真には重みがある。