Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

橋を渡っていくべきところ

2013年05月19日 | Photography
きょうはSIGNの写真茶話会の最終回。
名残りおしいけど、何事もつぎのステージに行くためには、どこかでけじめをつける必要がある。
SIGN氏は今回が42回目で「しに」行く日だといったが、たしかにきょうは19日、「イク」のである。しかも5月で「ゴー」だ。

語呂合わせはともかく、きょうはこれまで撮ってきた写真を作品としてまとめなければならない。
SIGN氏はまずFさんがもってきた膨大な量の写真群をていねいに見ながら、その中から重要なカットを選りわけ、グループ化し、その前後を入れ替え、すっきりと見えるように編集していく。
わたしは自分の写真を見てもらうときは当然、ほかの人の写真がどのようにして作品になっていくのかに注目している。
その様子はいつもながら「SIGNマジック」だ。きょうこそ、そのタネを見破ってやる。



Fさんの写真は家族でお寺参りしたときに撮ったもので、そのほとんどが家族を写した写真か、参道に咲く花であったり樹木の写真だ。自宅で家族を撮った写真もある。
だが分量のわりには同じようなものばかりで情報量は乏しい。これは作品というより記念写真だな。
写真をはじめたばかりの学生さんなどはこういう写真をよく撮る。自分のなかに撮りたいイメージがないので、表面的な美しさやおもしろさだけで何でもかんでもシャッターを切ってしまう。
その結果、自分でもわけのわからない写真群ができてしまって、溺れそうになるわけだ。
それこそ一度溺れてみないと、そこから這い上がるときの苦しさや浮上する喜びもわからないけれど、素人さんにそこまで求めるのは苛酷というものであろう。

しかしながら、どんな写真にも(たとえ本人が気づいてなくとも)撮影者の主感や主題がある。
その隠れた(無意識の)主題を写真のなかから読みとるのがSIGN氏の役割。主題さえ発見できれば、あとはそれを効果的に見せるために編集するだけである。
SIGNマジックとは編集のテクニックだとカンちがいしていたけど、そうではないことが最終回のきょう、ようやくわかった。
それがマジックのタネといえばタネなのだが、彼の卓越した洞察力(それは写真に対してのみならず、それを撮った人間に対しても)があるからこそ成立するマジックであって、なかなかだれにでもできるものではない。

むしろ問題は彼がえぐり出してきたその主題を、撮影者自身が認めるか否か、かもしれない。
この写真茶話会に参加しはじめた当初は、わたしは写真学校の学生を連れていき、自分は見学者のような立場でその様子をただ見ていた。
なので、学生たちの写真群から彼が主題を抽出する行為は「ねつ造」ではないかと感じていた。
だが学生たちが卒業し、今度は自分の作品をもって参加するようになると、その主題がねつ造ではなかったことを知る。
この話をしだすと、わたしのおいたちから書かねばならないから割愛するが、とにかくSIGN氏の洞察力に脱帽して以来、なんとかしてそのワザを盗んでやろうとこの写真茶話会に参加してきたのである。



心のなかにコンプレックスやなんらかの欠落感のない人間はいないと思うが、そういうネガティブな要素が写真表現の原動力になったりする。
その部分に自分自身が気がつき、それをどのようにポジティブな形へ昇華していくのか。
写真表現というのは本当に深い。ちょっとでも覗いてしまったら最後、あとはどんどん突き進むのみだ。
まさにそうして橋を渡っていくのである。

かくして8時間にもおよぶSIGNの写真茶話会はおわった。

日本電波塔の存在感

2013年05月16日 | Life


国会議事堂に入るのははじめてなので少しわくわくしていたのだが、「カメラマンの方は正面ゲートまえでお待ちください」と門前払いされてしまった。
泣く泣く正面ゲートへ行くと、同じようなカメラマンがすでに二人ほど待機している。
カメラマンという人種は「撮影禁止」と書いてあっても、こっそり盗み撮りしたりするので、もうはじめから中には入れてもらえないというわけだ。
だけど議事堂内の写真を撮るのがどうしてダメなのか、理由がわからない。
空港が有事のときの軍事施設になるので撮影できないというのはなんとなくわかるけど。

30分もしないうちに生徒さんたちが衆議院棟(向かって左側)から出てきた。
先に撮っている学校を見ながら、クラス写真の順番を待つ。
カメラマンの立ち居ふる舞いを見ていると、その写真の良し悪しは見なくてもだいたいわかるもんだ。
うまい人は指示が的確で、しかも言葉数は少ない。動きもきびきびしている。
それはカメラマンだけに限らないが。



東京タワーに登るのは久しぶりだ。
スカイツリーができたおかげで観光客の足は遠のいているのかもしれないが、タワーとしての存在感というかフォルムの美しさでいえば、スカイツリーなど東京タワーの足元にもおよばない。ただ背が高いというだけ。
1階からエレベーターで大展望台に登ると、北東の方角にスカイツリーがうっすらと見える。
直線距離で10キロも離れていないが、まわりのビルが多いせいか、霞んで見える。向こうからこちらはどんなふうに見えているのだろう。

以前はなかったけど、「ルックダウンウィンドゥ」という強化ガラスの窓が足元にあって、そこから150メートル下の地上が見える。
生徒さんたちはそこに立って、おおいによろこんでいる。
おみやげ売場にはキティちゃんのコーナーがあって、ご当地キティちゃんがたくさんぶら下がっている。
大阪といえば、やっぱり「通天閣」に「大阪城」そして「たこ焼き」というわけか。
客を呼びこむために涙ぐましい企業努力がなされている。



皇居外苑の近くにあるレストランで昼食をとり、リニューアルした東京駅から新幹線にのって新大阪へもどる。
3日間で1000カットも撮れなかったから、今年もまた赤字だ。あーあ。

品がなくてくだらないもの

2013年05月15日 | Life


東京ディズニーランドができて今年で30年になるそうだ。もうそんなになるのか。
仕事で何度も行っているが、プライベートでは息子が幼児だった20年ほどまえに一度行ったきりだ。
そのころとはアトラクションもずいぶん変わっているのだろうが、わたしの印象はまったく変わらない。
ひと言でいうと「品がない」のである。

テーマパークなんてどこも同じようなものだろうけど、こういう「つくりもの」を夢の世界だと感じられるか、それともニセモノの世界と感じるか。
わたしはもちろん後者なので、まったく楽しめない。
でもそういう感覚は年齢とは関係がないようで、わたしよりも高齢の夫婦や友だち連れの人たちが嬉々としている姿をみて、どうしてあんなに楽しそうなのかとふしぎに思う。
そもそもアメリカの商業文化なんて下品なだけの下らないものだという偏見をわたしはもっているので、ディズニーなんて高がしれている。
そんなひねくれた人間だから、ここでは撮影にも力が入らないのである。



さて、11時に入って21時に集合するまでの10時間、あまりにも長いのでわたしは途中で抜けて、じつは都内のある写真展を見にいく予定であった。
どうせパレードなんていつも同じ。去年撮ったものを使えばいい。
そう思っていたのに、なんと今年は30周年でパレードの内容がリニューアルしたというのだ。
たしかにシンデレラ城のディスプレイも去年と少し変わっている。これじゃ去年のカットは使えないな。

というわけで脱出計画は断念。15時と19時半のパレードを撮りながら、1時間ごとにランド内を歩きまわって生徒さんを探す。
ひと回りしたらベンチに座って休憩。おかげでたくさん本が読めたよ。
結局、きょう一日で撮れたのはたった12グループ。これでは入園料すら回収できない。
一応、入園まえにクラス写真を撮ったからいいけど、まあとにかく疲れました。

あしたは国会議事堂と東京タワーへ。

世界遺産のふもとで

2013年05月14日 | Life
仕事もせずに昼間からプリントなんか焼いて、のんきなカメラマンだと思っているだろうが、そんなことはない。
きょうから二泊三日でE中学校の修学旅行に同行する。ちゃんと仕事もしているのである。



1日目のきょうは富士の樹海と洞窟探検だ。
新幹線で静岡までいき、そこからバスにのりかえて朝霧高原へ向かう。
途中、新東名高速道路を走ったが、トンネルの中が非常に明るい。
よく見るオレンジ色のライトではなく、白色のLEDライトがたくさん点いていて、ヘッドライトを付けなくても前方の車がよく見える。
バスガイドの話では、ライトの照らす方向が真下ではなく、前方を向いているという。安全設計ですね。



朝霧高原に到着。いいお天気でロケーションも最高。昼食のあと、富士山をバックにクラス写真を撮る。
そこから少し走って青木ヶ原樹海へいく。
各クラスでそれぞれインストラクターに付いて探検開始。こういうのが一番撮りにくいんだな。
ご承知のように富士山は火山の噴火によってできた山なので、ここ青木ヶ原一帯も火山の溶岩によってできていて、その地下にできた岩のすき間がいくつもの洞窟になっている。
火山岩は非常に硬いので、狭い洞窟の中で頭や腕などをぶつけるとかんたんに切れる。
インストラクターの指示でヘルメットと長袖の服を着用する。



沖縄のガマを想像していたが、中に入るともっと狭くて、頭を何度も上の岩にぶつけた。
持っていったペンライトは非力で前方がよく見えない。前をいく人のあかりをたよりに座った姿勢で歩いていく。けっこうきつい。
「ここにライトを当ててみてください」とインストラクターがいうので、生徒さんたちが照らすと、きれいな氷の塊ができていた。
ストロボなしでシャッターを切ってみたら、なんとか写っていた。

それから洞窟を出て、べつのクラスの樹海探検にも同行する。
ここは自殺の名所として知られている場所だが、わたしたちが歩いたところはほとんど道らしい道がないので、自殺したくなくても一度入ったら出てこられない気がする。たしかに樹海だ。
ちなみにもっと歩きやすい遊歩道もあるらしい。

今夜は山中湖畔にある6つのペンションに分宿する。
夕食後、巡視の先生といっしょに各宿をまわって、スナップ写真を撮って本日の業務は終了。
あしたは写真屋泣かせのディズニーランドへいく。

力のあるネガから生まれるもの

2013年05月12日 | Photography


先日、大正区で撮ったネガを、きょうは朝からプリント。まずベタ焼きからだ。
この日のカメラはニコンF4で、レンズはズミクロンR50ミリを付けて、ほとんど絞り優先のオートで撮ったけど、露出がみごとにそろっている。
露出の正確さはニコンならではだが、ハイエストライトからディープシャドーまで飛ばずつぶれず、しっかりと描写されているのはライカレンズのおかげだと思う。
ニッコールだともっとシャドーがつぶれてしまう。あるいはシャドーを出そうと露出を多めにかけると、今度はハイライトが飛んでしまう。
レンズが光を透過する詳しいメカニズムはわからないけど、要するにそのレンズのもつ再現域が広いか狭いかというお話。

上の煙突の写真は、半逆光なので本当は煙突は暗く、屋根はもっと明るい。
煙突を際立たすために屋根の部分は複雑な焼き込みをおこなって、全体に暗くしている。
こういう作業がうまくいくかどうかは、焼き込みの腕よりもじつはネガの調子に負うところが大きい。
調子のよいネガのことを経験豊富な人たちは「力のあるネガ」と呼ぶ。
本来なら力のあるネガをプリントするときは、引伸し機のフィルター号数を下げてもっと軟調に焼くのがセオリー。
すると細かいディテールが隅々まで再現される。さらに印画紙もバライタを使えば、素晴らしい「ファインプリント」ができるはずだ。

だけど、わたしの今の写真はファインプリントとはちがう気がする。もっとザラついた、あるいはドロドロした、きもちの悪い、毒気のある、そういう感じを定着したいのである。
細かいディテールを見せたいのなら、もうデジタルで撮れば済むことだ。フィルムでしか表現できないことをやらないと意味がないと思っている。

14時に予定していたプリントを終了。ヨドバシカメラへブック用のファイルなどを買いにいく。
さあ、いよいよ編集作業だ。