5月14日、鎌倉を歩いてきた。
:鎌倉駅
今回のコースは「切通しシリーズ第弾」
鎌倉駅 ⇒宝戒寺 ⇒東勝寺跡・腹切りやぐら ⇒祇園山 ⇒八雲神社 ⇒名越切通し ⇒鎌倉駅
真夏日だったが、祇園山、名越(なごえ)切通しはさわやかな風が吹いていた。
:段葛
段葛(だんかずら)は、置石(おきいし)ともいいます。
1182年3月に、頼朝は、妻政子の安産の願いを込めて、鶴丘八幡宮の前より由比が浜の
大鳥居の辺まで、この参道を築いたと言われています。
現在は国指定史跡「鶴岡八幡宮境内」の一部に含まれ、所有者は宗教法人鶴岡八幡宮。
・・・来年まで改修工事中です。
:宝戒寺
通称「萩の寺」時期を外れていました。
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地味なお寺でした。
東勝寺跡、北条高時腹切りやぐらへ。
:滑川
滑川のせせらぎです、相模湾へ流れ込みます。
:東勝寺跡
東勝寺は、第三代執権北条泰時が葛西ヶ谷に創建した北条氏の菩提寺だった。
(この寺は、有事に備えた城塞の意味をもった寺院であったと推測される)
1225年、新田義貞の軍勢を迎え撃つべく、第十四代執権北条高時ら北条一門が当寺に篭もったが、
成すすべもなく自ら火を放って自刃した世にいう東勝寺合戦。
150年に渡る鎌倉幕府は滅亡した。
11:20 祇園山ハイキングコース入口です。
:腹切りやぐら
一族郎党800余人がここで自決したと伝えられる「腹切りやぐら」
:同内部
心霊スポットらしい。(幸いにも、私は霊感がないので、っても支障はなかった)
:祠
:中間点
シイ、カシ、ツバキ、ヒノキ、アオキが茂っている。
:道
こんな感じの道が続きます。 両側は住宅地がせまっていました。
:展望台
11:45 展望台 西側が開け、相模湾はがたち、霞んでいました。
:八雲神社
11:58 八雲神社へ降りてきました。
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昔の人(新羅三郎:しんらさぶろう)は巨人だったようです。
:安養院
尼将軍と呼ばれた、頼朝の妻政子の墓がある。
12:05 安養院、ツツジは終わっていました(山門から)
境内に田代観音堂があるため、坂東三十三所観音の「第三番札所」になっている。
12:10 ”名越踏切(横須賀線)を渡ります。 再度”名越坂踏切を渡り返します。
この坂を上って行きます。(左側は住宅地、右は横須賀線)
右側の道を直進、”名越切通し入口になります。
:庚申塔
古道を物語る石仏、昔からの道であった証左です。
苔むした石段(往時のもの?)を上ります。
:分岐
「名越切通し」入口です。
:名越切通(なごえきりどうし)はかっての鎌倉から三浦へ通じる要路(三浦道)でした。
名越の地名は「難越」(なごし)から転化したものといわれ、ここを越えることは困難を
要したことを物語ります。
名越切通は防衛施設だった?
「道」そのものより防衛施設そのものだったといわれています。
狭く屈曲した道と、切通し周辺には平場・堀切・置石などの遺構が見られます。
それはこの切通しを通る道が三浦半島の三浦氏の本拠地へと繋がっているからなのです。
鎌倉の実権を握った北条氏にとって、最後で最大のライバルが三浦氏でした。
北条氏は名越に山荘を構え、ここ名越坂に砦を築き三浦氏の進入を防ごうとしたと
考えられています。
一番狭い場所です。
:説明図
:葬送遺構のまんだら堂やぐら群
まんだら堂やぐら群は葬送関連遺構(施設)です。
やぐら群の他にも尾根頂部に建てられている石祠が知られ、
塚状の盛り土や五輪塔などの石塔類が多く見られます。
近年に名越切通とその周辺部の発掘調査が行われていて、荼毘跡や土坑、
火葬骨などが出土していることからこの一帯が葬送施設として利用されていたことが
明らかになっています。
中へは入れませんでした。
トンネル上が名越の切通しとまんだら堂やぐら群のある場所です。
:安国論寺
おりから、老人の団体が御入場です。
:市場
鎌倉野菜「トマト」を購入しました。
:
鎌倉駅前(御成口)「RONDINO」で昼食です。
(少し色がない?ウインナーも入っていない)味はまずまずです。
次回は”プリン(多くの人が食べていた)を注文です。
:豊島屋
良く見るキヤッチ・フレーズですね。
:胡蝶蘭
鎌倉駅前参道側に新しく開店した「豊島屋」のスイーツのお店です。
:シャガ :ユキノシタ :ユリ
:ノハラフウロ :ヘビイチゴ :ネコノメソウ
道で出会った花たちです。
歩程:約6.5km、約15,000歩、約3時間
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twins
端午の節句です。
お馴染みの「menu」です。
:hinata
:mei