12月14日高輪泉岳寺へ、「義士祭」を見てきた。
泉岳寺駅です
2分
あいにくの、正面が中門、周囲はこの通り(・・らしい雰囲気です)
山門
:泉岳寺は曹洞宗の寺院。慶長17年(1612年)に、徳川家康が外桜田に創立された。
ところが、寛永の大火によって焼失、現在の高輪の地に移転してきた。
時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、
毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、今の泉岳寺になった。
浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のもの。
赤穂藩主浅野家の菩提寺であったことから、元禄15年の義挙の後は、
赤穂四十七義士の墓所となった。
「大石内蔵助吉雄」銅像、故人の思いは、知る由もないですが
本堂、雨にもかかわらず、人は出ていました
赤穂義士墓地へ
浅野内匠長矩公と正室瑤泉院の墓所では「墓前供養」が始まっていた
:元禄十五年十二月十四日、本所松坂町の吉良邸に討ち入った赤穂義士。
吉良上野介の首級を上げ、主君である浅野内匠頭の仇を見事に討ったあと、
死罪切腹となり泉岳寺に遺体が集められた。
簡単な葬儀の後、彼らは全員内匠頭(たくみのかみ)の墓の横にあった
竹藪を切り開いた場所に葬られたとある。
赤穂義士の墓の並びが書かれています
同じような作りの墓が並んでいます。
興味を引いたのは戒名、「刃」や「剣」が入っています。
:堀部安兵衛が「刃雲輝剣信士」、大高源五が「刃無一剣信士」等々・・・
戒名は死出の旅に出る亡くなった者が名乗る名前です、非常に重要な意味を持つ。
出きるだけ良い戒名を付ける事が、亡くなった方への何よりの弔いでもある。
「刀」や「剣」は刃物そのものを指す言葉であり、この様な不吉な単語は普通は絶対に使用しない。
例外が「罪人への懲罰的意味での銘銘」です。
「罪人が生きている時に終生の罪を担う証として刺青を入れられる事」と同じです。
「死んで後も罪人として永遠の罪を担わされる」意味では、更に悪意に満ちた名前と云えるかもしれません。
戒名は泉岳寺の住職、酬山長恩がつけたと伝わっている。
「院」「居士」の院号をつけられたのは大石内蔵助だけで、あとの義士は「信士」号である。
内蔵助の戒名は「忠誠院刃空浄剣居士」。
忠誠院の字はまさしく「忠臣蔵」の主人公にふさわしい院号である。
四十七士は今「義士」と呼ばれますが、
当時は犯罪者であることを考えると当然の処置だといえます。
:実は、同じ事が浅野内匠長矩公にもおきています。
戒名は「冷光院殿前朝散大夫吹毛玄利大居士」。
一見、良い名前にも見えますが、是も罪人特有の最悪の戒名です。
「冷光」はその名の如く冷たい光で不吉な言葉、「吹毛玄利」は抜き身の刃を現す。
戒名をそのまま訳すと「不吉な冷たい光を放つ抜き身の刃」、不吉な戒名です。
線香の煙が凄かった、多くの外人さんも墓に手を合わせていました。
最後にお墓ですが、誰が何時作ったのかは不明だそうです。
同じような墓石だったので、同じタイミングで建立されたのは推測できますが?
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昼食は浅草まで足を伸ばし食べてきました。
「葵丸進」牡蠣の天麩羅です・・・初めて食べた、美味、値段もいい。
浅草は正月モード、外人しか歩いていませんでした。
2016年12月”浅草寺とスカイツリー”
線香臭い話にお付き合いいただき感謝します。