「兜を忘れたのか信玄?」川中島の合戦を描いた絵
昼からの予報、「要害山」は断念し、武田神社を散策しました。
「武田通り」甲府駅北口~武田神社へ続く(やや登り直線の)参道
円光院と「信玄公火葬塚」へ寄り道です
野辺の道
墓ではなく、「火葬塚」とありました
信玄公の「墓」はこのほか、
山梨県内では大泉寺、恵林寺、長野県の諏訪湖、長岳寺と竜雲寺、和歌山県高野山、
愛知県福田寺、京都の妙心寺など全国にあるようです。
これは信玄公が遺言によって、喪を3年間秘めていたことや万一の外敵を恐れて、
埋葬地をしていた結果とも【推測されて】います。
江戸時代に建立された「墓・火葬塚」
オオイヌノフグリ
庚申塔
積翠寺背後の釣り鐘をふせたような要害山に、信玄公の父・武田信虎公が
永正17年(1520)に築いたのが要害城。標高は770m。
戦の際に立てこもるのを目的とした詰め城で、山頂を整形して主郭とし、
山腹にも連続的に郭を配置し防備を固めています。 【解説より】
「円光院」、信玄公の正室・三条夫人の菩提寺です。
説三和尚を住持として開山し、甲府五山の一つに加えて保護しました。
三条夫人が元亀元年(1570)に没したので、この寺に葬りました。
名刹の雰囲気が漂っていました
「三条夫人墓所」新しい・・・・
事情通に聞くと「傾いていた墓所を掘り返しリフォーム」したそうです。
墓室には何もなかったとも(盗掘にあった?)
隣りの墓所ですが、こちらのほうが由緒ありそうでした
サンシュ
菜の花
これは珍しい「牛供養塔」、「頭観音」は多いが・・・・
武田神社:武田信玄公をまつった神社で、大正8年(1919)に創建された。
この地は、元来、武田氏三代(が63年に渡り国政を執った由緒ある「躑躅ヶ崎」の館跡で、
国の史跡に指定されている。
躑躅ヶ崎の館は戦国大名の館としては全国最大規模を誇るもの。
土塁も築かれていました。
種々の話を聞かせてくれたシルバー人材センターWさんです。
「躑躅ケ﨑の館」内も発掘作業が行われていると教えてくれました。
出てくるのは古銭ぐらいだと・・・・・。
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豪華な朝食でした
朝からデザートです