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・・・⛄ 冬がやってきました ⛄・・・

武田神社

2018年03月17日 | walking

「兜を忘れたのか信玄?」川中島の合戦を描いた絵

昼からの予報、「要害山」は断念し、武田神社を散策しました。

「武田通り」甲府駅北口~武田神社へ続く(やや登り直線の)参道

円光院と「信玄公火葬塚」へ寄り道です   

野辺の道

墓ではなく、「火葬塚」とありました

信玄公の「墓」はこのほか、

山梨県内では大泉寺、恵林寺、長野県の諏訪湖、長岳寺と竜雲寺、和歌山県高野山、

愛知県福田寺、京都の妙心寺など全国にあるようです。

これは信玄公が遺言によって、喪を3年間秘めていたことや万一の外敵を恐れて、

埋葬地をしていた結果とも【推測されて】います。

江戸時代に建立された「墓・火葬塚」

 オオイヌノフグリ 

庚申塔 

積翠寺背後の釣り鐘をふせたような要害山に、信玄公の父・武田信虎公が

永正17年(1520)に築いたのが要害城。標高は770m。

戦の際に立てこもるのを目的とした詰め城で、山頂を整形して主郭とし、

山腹にも連続的に郭を配置し防備を固めています。   【解説より】

「円光院」、信玄公の正室・三条夫人の菩提寺です。

説三和尚を住持として開山し、甲府五山の一つに加えて保護しました。

三条夫人が元亀元年(1570)に没したので、この寺に葬りました。

名刹の雰囲気が漂っていました

「三条夫人墓所」新しい・・・・

事情通に聞くと「傾いていた墓所を掘り返しリフォーム」したそうです。

墓室には何もなかったとも(盗掘にあった?)

隣りの墓所ですが、こちらのほうが由緒ありそうでした

サンシュ 

菜の花 

これは珍しい「牛供養塔」、「頭観音」は多いが・・・・

武田神社:武田信玄公をまつった神社で、大正8年(1919)に創建された。

この地は、元来、武田氏三代(が63年に渡り国政を執った由緒ある「躑躅ヶ崎」の館跡で、

国の史跡に指定されている。    

躑躅ヶ崎の館は戦国大名の館としては全国最大規模を誇るもの。

 

土塁も築かれていました。

種々の話を聞かせてくれたシルバー人材センターWさんです。

「躑躅ケ﨑の館」内も発掘作業が行われていると教えてくれました。

出てくるのは古銭ぐらいだと・・・・・。

豪華な朝食でした

朝からデザートです