元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ドゥーム・ダーム」

2025-03-21 06:07:50 | 映画の感想(た行)
 (原題:DHOOM DHAAM )2025年2月よりNetflixから配信された、インド製のアクションコメディ。この国の娯楽作品に付き物のミュージカル場面は出てこないし、3時間を超える作品も少なくない中、本作は108分にまとめられている。ならば物足りないのかというと、断じてそうではない。これは快作だ。最初からラストまで、存分に楽しませてくれる。

 ムンバイ在住の獣医のヴィールは、お見合いによりコヤルと結婚する。ところが新婚初夜に2人の男が住居に乱入。ヴィールに向かって“チャーリーはどこだ!”と問い詰める。彼は“チャーリーなんて知らない”と答えるが、相手はまるで信じず、拳銃を振りかざして脅迫する。辛うじてその場を脱出したヴィールとコヤルだったが、今度は別の男から“チャーリーを連れてこないと両親の命は無い”という電話が掛かってくる。



 どうやら、昨今ムンバイを騒がせている強盗団の犯行現場をヴィールの伯父が撮影することに成功し、その動画をチャーリー・チャップリンのステッカーが貼ってあるメモリーに格納したまではいいが、そのメモリーが婚礼の引出物の袋に混入したらしい。新婚カップルは強盗や悪徳警官に追われつつ、くだんのメモリーを探し出すハメになる。

 ヴィールは高所恐怖症に加えて閉所恐怖症の、まるで気弱な男。対してコヤルは結婚前は大人しく淑やかな女性に見えたが、実は大酒飲みで暴れん坊のハジケた性格。この2人の“本性”が騒動の最中で明らかになってくるあたりは本当におかしい。特にヴィールによる“交通マナーを遵守したカーチェイス”の場面は大笑いさせてもらった。

 主人公たちを次から次に襲うトラブルは、予想が出来ないものばかり。それらが息つくヒマも無いほどテンポ良く繰り出されて、しかも効果的なギャグも挿入されるというのだから、映画的興趣は高まる一方だ。ヒッチコック作品でお馴染みの“追われながら事件を解決する話”を納得できるレベルで踏襲している監督のリシャブ・セスの腕前は、かなりのものだと言って良い。それにしても、くだんのメモリーの在処が判明する終盤の展開は、本当にケッ作だ。

 ヴィール役のプラティク・ガンディー、コヤルに扮するヤミー・ガウタム、共に絶好調。特にガウタムは典型的なインド美人ながら振る舞いが破天荒で、かなりの実力者と見た。エイジャス・カーンにカビン・デイブ、ムクル・チャッダといった脇のキャストも、馴染みは無いが良い仕事をしている。
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「ゆきてかへらぬ」

2025-03-17 06:06:00 | 映画の感想(や行)
 作品のエクステリアはとても魅力的で、昨今の邦画の中では突出したクォリティを示す。キャストも全員が上質のパフォーマンスを見せ、批判すべきところは見つからない。また、シッカリとした演出は好感が持てる。しかし、映画としてはあまり盛り上がらないのだ。これはたぶん、作劇のコンセプト自体に問題があったのだと思う。

 大正時代、京都のマキノ映画制作所に所属する若手女優の長谷川泰子は、年下の学生である中原中也と出会い、一緒に暮らし始める。やがて2人は東京に転居するが、彼らを後に高名な文芸評論家となる小林秀雄が訪ねてくる。小林は中原の詩人としての早熟な才能に惚れ込んでおり、意気投合する。泰子は才能溢れる彼らから仲間はずれにされたような気分になるが、やがて小林も彼女を好きになり、複雑な三角関係が始まってしまう。



 とにかく美術やセット、衣装デザインなどの素晴らしさに圧倒されてしまう。おそらくは綿密な時代考証に基づいた精緻な画面造型、そして儀間眞悟のカメラによる思い切ったアングルからの映像は、眺めているだけでリッチな気分になる。主役の広瀬すず、木戸大聖、そして岡田将生の演技は万全。特に木戸は初めて見る役者ながら、そのナイーヴな持ち味には感心した。

 しかし、この映画には中原中也の文学者としての非凡さや、小林秀雄の並外れた批評眼などにはまったく言及していない。もちろん、体裁はメロドラマだからそんなのは必要無いという言い方も出来るだろうが、よく知られた人物たちを扱っているのだから彼らの才能を紹介するのは当然だ。また、そういうモチーフを挿入することによってドラマは盛り上がる。

 脚本は大御所の田中陽造だが、そのシナリオの元になっているのは長谷川泰子の回想録「ゆきてかへらぬ 中原中也との愛」なのだ。つまりは、ヒロインの視点によってしか物語は綴られていない。これでは映画を作る上で失当ではないだろうか。優れた“外観”を持っていながら作品として物足りないのは、そのせいである。

 それでも、16年ぶりに長編映画のメガホンを取った根岸吉太郎は頑張っていたとは思う。同じく田中陽造の脚本による「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」(2009年)よりは落ちるが、「透光の樹」(2004年)に比べれば遥かにマシ。根岸が今後も映画を手掛けていくのかどうかは不明だが、この世代に属する他の監督が次々と世を去ってしまった現在、彼には新作を期待したいものだ。
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「ファイアーブランド ヘンリー8世最後の妻」

2025-03-16 06:10:06 | 映画の感想(は行)
 (原題:FIREBRAND )正直、映画としてはあまり面白くはない。だが、取り上げた題材とキャストの奮闘、そして時代劇に相応しいエクステリアの創出はチェックする価値はある。観て損は無いレベルには仕上げられていると思う。2023年の第76回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門出品作だ。

 16世紀前半の英国は、テューダー朝のヘンリー8世が統治していた。彼はこれまで5度の結婚を経験しているが、その5人の妻は処刑や追放などで不幸な末路をたどっていた。1543年に彼が6番目の妻として迎えたのが、イングランド北西端のカンブリア出身のキャサリン・パーだ。知的で面倒見の良い彼女は王の信頼を得ていたが、実は英国教会を設立したヘンリーとは異なる宗教観を持っていた。やがてキャサリンが異端者であるという報告が王の耳にも入り、彼女は窮地に追いやられる。



 ヘンリー8世の妻を扱った映画は過去に何本か撮られていたが、最後の王妃であるキャサリンを主人公にした作品は、たぶんこれが初めてだ。宗教ネタを軸にしたエピソード自体は興味深いものがあるが、本作では効果的に描かれてはいない。単に史実を並べるだけで、各セクトの首魁は誰でどういう手管を繰り出してくるのかという、ドラマとしての動きが少ない。

 また、キャサリンが結婚前に付き合っていた、トマス・シーモア男爵についての言及も無い。主に扱われるのが、中年になって著しく肥満し、さらに馬上槍試合で負った古傷の後遺症にも苦しむヘンリーの世話をするヒロインの姿だ。まあ、それは事実なのだが、大して盛り上がるようなネタでもない。カリン・アイヌーズの演出は平板で、メリハリを付けた作劇は最後まで見られなかった。

 とはいえ、主演のアリシア・ヴィキャンデルと王に扮したジュード・ロウのパフォーマンスは見事だ。ノーブルで蠱惑的なヴィキャンデルも良いのだが、J・ロウの(かつての彼とは似ても似つかない)醜く太って扱いきれなくなったヘンリーの造型には驚かされた。この役者の引き出しの多さには感心する。エディ・マーサンやサム・ライリー、サイモン・ラッセル・ビールといった脇の面子も良好だ。また、エレーヌ・ルバールのカメラによる奥深い映像と、よく考えられた衣装や美術は見応えがある。
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「セプテンバー5」

2025-03-15 06:10:06 | 映画の感想(さ行)

 (原題:SEPTEMBER 5 )実録物らしい緊迫感はあり、最後まで引き込まれることは確かである。ただし、鑑賞後の満足度はそれほど高くはない。これはひとえに、扱われている事件は広く知られており、その“結末”も皆が分かっているからに他ならない。主題や各モチーフは骨太ではあるのだが、本作ならではのインパクトには欠ける。このあたりが、各賞レースでは今ひとつ振るわない理由かもしれない。

 1972年9月5日、開催中のミュンヘンオリンピックの選手村で、パレスチナ武装組織がイスラエル選手団を人質に立てこもる事件が発生。当大会のテレビ中継を担当していたのは米ABCだったが、現地にいたのは報道番組とは無縁のスポーツ専門の放送クルーたちだった。しかし、他セクションからの応援をアテにする余裕など無い。テロリストの要求はエスカレートするばかりで、状況が逼迫する中、彼らは徒手空拳でこの難局に立ち向かう。

 突発的な非常事態が起きた際の、マスコミの対応はどうあるべきかは過不足無く描かれているとは思う。畑違いの業務を強いられながら、知恵と工夫で一つ一つ難題を解決していくスタッフたちの苦労は理解出来る。しかもそれらが次々と切羽詰まったタイミングでクリアされていく様子は、映画的興趣は十分喚起される。

 しかし、ここで描かれているのはあくまでも“マスコミの対応”に過ぎないのだ。この事件の背景になっている中東情勢や、肝心のテロリストと当局側との交渉の状況、そして警察の動きといった、本質的なエリアには踏み込んでいない。テレビ局の苦労話ばかりをドラマティックに前面に出しても、何か違うという気がする。

 それでもティム・フェールバウムの演出は上手く機能しており、作劇に弛緩した部分は無い。ピーター・サースガードにジョン・マガロ、レオニー・ベネシュ、ジネディーヌ・スアレム、そしてベンジャミン・ウォーカーなどのキャストは達者だが地味だ。もっとも、それがまたリアリティを醸し出している。

 なお、本作を観て思い出したのがスティーヴン・スピルバーグ監督の「ミュンヘン」(2005年)である。あの映画はミュンヘンの人質テロ事件の“後日談”をイスラエル諜報特務庁の立場で描いた作品だったが、題材自体の求心力が高く、感心したことを覚えている。やはり実際に起きた事件を劇映画として扱うには、作家性を上手く織り込まなければ印象が薄くなるのは仕方が無いことなのだろう。
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「ララミーから来た男」

2025-03-14 06:15:23 | 映画の感想(ら行)
 (原題:THE MAN FROM LARAMIE)1955年作品。勧善懲悪の図式を取ることが多かったそれまでの西部劇とは異なり、複雑な人間関係をフィーチャーし、一筋縄ではいかない展開を見せる。公開当時は異色作として受け取られたことだろう。かといって面白くないわけではなく、各キャラクターは十分に“立って”おり、適度な活劇場面も挿入される。

 ワイオミング州にあるララミー砦の陸軍大尉ウィル・ロックハートは、同じく軍属であった弟を新式の銃を持ったアパッチ族に殺され、その銃をインディアンに売った男を探し出すため、幌馬車隊の商人を装って銃取引の現場と思しきニューメキシコ州にやって来た。ところがその地域を仕切っているバーブ牧場のデイヴやヴィックらに襲われ、商品を焼き払われてしまう。



 それを知ったバーブ牧場の主人でデイヴの父親のアレックは、ウィルの損害を弁償する旨を申し出る。アレックの姪のバーバラの助力を得てこの町に滞在することにしたウィルだが、デイヴらを取り巻く一族の確執により、彼の身にも危険が迫ってくる。

 主人公の弟を殺したのはアパッチ族であるにも関わらず、ウィルは先住民を恨んでいないことが興味深い。もちろん実際問題として、アパッチ族を敵視しても事態は好転するはずがないのだが、本作ではそれを“当然のこと”にしている。やはり本作が製作された時期が、西部劇の内容の分岐点だったのだろう。



 映画の基本線は西部劇版“家族の肖像”という体裁で、もちろんウィルは活躍するのだが、ドラマの中心はバーブ牧場を経営する者たちの愛憎劇だ。特に、デイヴと遠い親戚筋であるヴィックとの関係性は奥行きを持って描かれる。アンソニー・マンの演出はウエスタンとしての外観をスポイルすることなく、巧みに人間群像劇としてのアプローチに徹している。

 マン監督とのコンビはこれで5本目となるジェームズ・スチュアートの演技は、さすがに安定している。アーサー・ケネディにドナルド・クリスプ、アレックス・ニコル、アリーン・マクマホンといった顔ぶれも手堅い。ヒロイン役のキャシー・オドネルは典型的美人タイプではないのだが、実にチャーミングだ。チャールズ・ラングのカメラによる、ニューメキシコの茫洋たる荒野の風景も良い。
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「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」

2025-03-10 06:15:53 | 映画の感想(か行)
 (原題:CAPTAIN AMERICA: BRAVE NEW WORLD)巷の評価が芳しくないので期待はしていなかったが、実際観てみたらけっこう楽しめる。もちろん、この手のシャシン特有の“一見さんお断り”の雰囲気は拭えず、私もこのシリーズを全部チェックしているわけではないので、中身をすべて理解したとは言い難い。それでもあまり不満を覚えることなく、最後まで付き合えた。

 インド洋上に突如出現したセレスティアル島には、アダマンチウムという宇宙一の強度を持つ鉱物が埋蔵されていた。その資源をめぐって、各国の利害が交錯する。アメリカ大統領のサディアス・ロスは、事態収拾のため首都ワシントンにてサミットを開催することを決め、スティーヴ・ロジャースから“正義の象徴”である盾を託され二代目キャプテン・アメリカを襲名したサム・ウィルソンらに協力を依頼する。ところが、謎の組織の暗躍によって会議は紛糾。果ては世界大戦の危機まで訪れようとしていた。サムは弟分のファルコンことホアキン・トレスと共に、この難局に立ち向かう。



 敵の首魁はマーベル映画好きならば御馴染みなのかもしれないが、そうではない観客は前振り無しに出てこられても戸惑うだけだ。また、ロス大統領も“訳あり”であり、終盤には桜が満開のポトマック河畔で大立ち回りを見せるものの、唐突な感は否めない。ロスの側近の政府高官である、ルース・バット=セラフのプロフィールも掘り下げて欲しかった。

 しかしながら、活劇場面になると俄然引き込まれる。格闘シーンの段取りも感心できるものだが、白眉は空中戦である。特にサムは先代とは違い飛行能力があるので、ファルコンと“編隊”を組んでのバトルはスピード感がありスリル満点だ。アクション演出には定評があるジュリアス・オナーは良い仕事をしている。

 登場人物の中で一番印象的だったのは、日本の総理大臣の尾崎だ。アダマンチウムの精製技術を持つのは日本だけという設定で、当然そのトップも大きな責任感を持つ。しかも、劇中での日本は大きな軍事力を持っており、インド洋に機動部隊を派遣するなど積極的な手段に打って出る。尾崎を演じる平岳大のスマートさも勘案すると、現実の日本の首相との器の違いを痛感して苦笑いしてしまう。なお、この役名は1910年代に首都ワシントンに桜を移植した当時の東京市長である尾崎行雄に由来している。

 主役のアンソニー・マッキーをはじめ、ダニー・ラミレスにシラ・ハース、カール・ランブリー、ティム・ブレイク・ネルソン、セバスチャン・スタン、リヴ・タイラー、そしてロス大統領に扮するハリソン・フォードと、役者は揃っている。アベンジャーズの再結成も暗示させ、このシリーズを追いかけるのは今後も楽しみだ。
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「ソーシャル・クライマーズ」

2025-03-09 06:10:53 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SOSYAL CLIMBERS )2025年2月よりNetflixから配信。何と、フィリピン製のラブコメだ。フィリピン映画は過去に何本か観ているが、いずれも映画祭での鑑賞で、中身は社会派ドラマやサスペンス物などのヘヴィなものばかりだった。それだけにラブコメというのは珍しく興味を持って接したのだが、これがけっこう緩い。とはいえ面白くないわけではなく、大きな不満もなく鑑賞を終えた。配信作品ならばこのレベルでも許されるだろう。

 マニラの高級住宅の販売仲介を生業にしている不動産ブローカーのジェサと、フィナンシャル・プランナーのレイとの出会いはあまりスマートなものではなかったが、相思相愛になり互いに結婚を意識するような関係になっていた。ところが2人は思わぬ詐欺に遭い、多額の借金を抱えるハメになってしまう。窮地に瀕した彼らは身分を偽り、売りに出されている高級住宅にオーナーのフリをして住み込み、隣近所の富裕層から金をだまし取ろうとする。だが、この住宅地に出入りする画商が2人の正体を見破ったため、事態は紛糾する。



 いくらジェサが不動産に詳しいといっても、簡単に高級住宅に家人として潜り込めるはずがない。また、事情を知らずに物件の内見に訪れる客と、住民たちがニアミスするサスペンスも大して盛り上がらない。極めつけは、レイに思わぬ絵の才能があり、高値で売れる可能性がクローズアップされることだ。いくら何でも無理筋で、それだけ絵心があるのならば事前に前振りを入れるぐらいの作劇の工夫をするべきだ。

 しかし、あまり気分を害さず最後まで付き合えたのは、主演の2人の健闘に尽きる。ジェサに扮するマリス・ラカルとレイ役のアンソニー・ジェニングスは、本当に愛嬌があって好感度が高い。何となく応援したくなってしまうのだ(笑)。たぶん本国でも人気俳優なのだろう。話は終盤で紛糾してくるが、ストーリーを壊さない程度に留めているのは納得する。そしてもちろん、最後は収まるところに収まるのだ。

 ジェイソン・ポール・ラクサマーナの演出に特筆すべきものはあまり無いが、取り敢えずは安全運転に徹している。リッキー・ダバオにカルミ・マーティン、バート・ギンゴーナ、チェスカ・イニゴといった脇の面子はもちろん馴染みは無いが、皆良くやっていたと思う。
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「聖なるイチジクの種」

2025-03-08 06:20:12 | 映画の感想(さ行)
 (英題:THE SEED OF THE SACRED FIG)イランを舞台にしたサスペンス編。かなりシビアな題材を扱っており、ドラマ運びもヘヴィなタッチなのだが、如何せん脚本の完成度が低い。加えて167分という、かなりの長尺。エンドマークを迎えるまでは、けっこう忍耐力を要した。2024年の第77回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を獲得するなど高い評価は得ているのだが、個人的には受け付けない内容だ。

 テヘランの司法機関に勤務するイマンは、20年にわたる真面目な勤務態度が評価されて予審判事に昇進する。ところが与えられた仕事は、反政府デモの逮捕者を冤罪で処罰するための御膳立てである。さらに、報復の危険があるため家族を守る護身用の拳銃が国から支給される。ある日、自宅で厳重に保管したはずの銃が消えてしまう。当初はイマン自身の過失かと思われたが、やがて妻ナジメや長女レズワン、次女サナの3人のうち誰かが隠したのではないかという疑惑が生じる。不穏な空気が流れる中、事態は思わぬ方向へと狂いはじめる。



 シナリオも担当したモハマド・ラスロフの仕事ぶりは褒められたものではなく、各キャラクターの性格付けがハッキリとしないまま、やたら深刻な筋書きばかりが語られる。そもそも、拳銃が紛失する必然性が曖昧だし、終盤で明かされる“犯人”の設定もまるで説得力が無い。映画は不穏分子を手当たり次第に検挙する当局側の不正義をまず告発しなけれけばならないはずが、主人公一家のゴタゴタばかりが長時間前面にて出て来てしまい、観ている側は途中で面倒くさくなってくる。

 後半のイマンの言動に至っては完全なホラー映画のノリで、いったい何を見せられているのかと呆れるばかりだ。それでも、監督は本作により母国イランで政府を批判したとして複数の有罪判決を受け、判決確定後にドイツへの亡命を果たしている。この程度で生きるか死ぬかの選択を迫られることになるとは、彼の国の情勢はひと頃より良くない雰囲気になっているのだろうか。そのあたりが垣間見えたのが、この映画に接したことの唯一のメリットだと思う。イマンに扮するミシャク・ザラをはじめ、ソヘイラ・ゴレスターニにマフサ・ロスタミ、セターレ・マレキ、ニウシャ・アフシとキャストは皆好演。それだけに中身の薄さが残念だ。
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「ナイスガールズ in ニース」

2025-03-07 06:21:58 | 映画の感想(な行)
 (原題:NICE GIRLS)2024年8月よりNetflixから配信されたフランス製のアクションコメディ。ハッキリ言って、あまり上等ではない。筋書きが行き当たりばったりで求心力に欠け、登場人物たちも映画を最後まで引っ張るだけの存在感が希薄だ。もちろん、劇場でカネ払って観る場合とは違ってテレビ画面での鑑賞だから過度な期待は禁物だが、もうちょっと気を利かせて欲しかった。しかしながら、映像面では見るべきものはある。

 フランスの南東部のニースの警察署に勤める女性刑事レオは、親しかった同僚のルドが出張先のハンブルクで殉職したことを知る。彼女は自分で犯人を挙げようとするが、上司のエルナンデスはドイツから派遣された刑事メラニーにこの事件を任せようとする。メラニーと強引にコンビを組んだレオは、凄腕ハッカーのバットを仲間に引き入れて、捜査を始める。



 主人公2人に魅力が乏しいのが致命的で、通常この設定だと性格と信条が正反対でチグハグな言動により笑いを呼び込むのが普通だが、本作の場合は両人とも似たような無鉄砲なタイプで面白味に欠ける。バットは冷静に振る舞うのだが、それだけでは盛り上がらない。

 この事件はニースで開かれる環境サミットの責任者を亡き者にして環境問題の解決を後退させようとする組織の仕業なのだが、どうも動機としては弱いし、なぜルドが犠牲になったのかも釈然としない。主人公たちよりも、敵の女スナイパーの方が数段目立っている始末。

 ノエミ・サグリオの演出はピリッとせず、テンポが良くない。こんな調子なので、活劇場面が連続する後半の印象も薄い。レオに扮するアリス・タグリオーニとメラニー役のステフィ・セルマは大した存在感はなく、バットを演じるバティスト・ルキャプランはいくらかマシだが、全体的に面子不足は否めない。

 ただし、舞台になった南仏ニースの風景は素晴らしく美しい(世界遺産でもある)。こういう土地で長期のバカンスを楽しみたいと、本気で思えてくるほどだ。ニースといえば、毎年2月に開催されるカーニバルは有名だし、ジャズフェスティバルも知られている。このあたりをフィーチャーしてくれれば、なお良かった。
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「愛を耕すひと」

2025-03-03 06:11:25 | 映画の感想(あ行)
 (原題:BASTARDEN )見応えのある大河ドラマだ。作劇が冗長になる点も少しあるが、崇高な使命を達成するために、立ちはだかる幾多の困難に正面からぶつかる主人公の姿は感動を呼ぶ。また、あまり知られていなかった彼の国の近世の有様が紹介されているのも興味深く、鑑賞後の満足度はかなり高い。

 18世紀のデンマーク。ルドヴィ・ケーレン大尉は軍を退役したばかりだが、手持ちの財産はほとんど無かった。そこで彼は貴族の称号をかけて、広大な荒れ地(ヒース)の開拓に着手する。だが、その土地を支配している有力者フレデリック・デ・シンケルは、開拓者の名声がケーレンに集まることを恐れ、露骨な妨害工作を仕掛ける。一方ケーレンは、デ・シンケルの非道な扱いから逃げ出したメイドのアン・バーバラや、身寄りの無い褐色の肌を持つ少女アンマイ・ムスらと、まるで家族のような関係性を構築する。デンマークの作家イダ・ジェッセンによる実録小説の映画化だ。



 正直言って、映画作家が好んでやりたがるヴィジュアル面でのケレンやトリッキィな展開等が無いのは、物足りなく感じる向きもあるだろう。しかし、正攻法に徹する方がこういう歴史ドラマでは効果的なことがある。ましてや、本作で扱われている題材は本国の歴史好き以外の観客にはお馴染みではない。だから愚直なまでにストレートな手法に徹するのも、決して間違いではないのだ。

 しかしながら、主人公とデ・シンケルとの関係は“真面目な庶民と悪代官”という。娯楽時代劇の鉄板の設定であることも確かである。エゲツないことを平気で繰り出してくるデ・シンケルと、それに耐えつつも何とか逆転の方策を練るゲーレンとの対立は、それがエスカレートするほどドラマ的に興趣を呼び込む。

 終盤、ついには究極的に手荒な方法を選ぶデ・シンケルに対し、これまた堪忍袋の緒が切れたような実力行使に走るケーレンとその仲間の姿は、カタルシスが横溢してかなりの盛り上がりを見せる。この一件から年月が経過した状況が紹介されるラストに至っては、主人公の功績と尽きせぬ夢が強く印象付けられ、余韻を残す。

 ニコライ・アーセルの演出は骨太で、前半部分は小回りが利かない箇所も見受けられるが、概ねドラマ運びは揺るがない。主演のマッツ・ミケルセンは、まさに横綱相撲。そこにいるだけで絵になる存在感は、映画を最後まで引っ張るには十分だ。アマンダ・コリンに敵役のシモン・ベンネビヤーグ、子役のメリナ・ハグバーグに至るまでキャストは万全。ヒースの茫洋とした風景を捉えた映像も良い。
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