園子温監督の奇天烈な作風を承知の上で臨まないと、珍妙な失敗作にしか見えないだろう。愛をテーマに往年の特撮怪獣映画の要素を取り入れつつ、実は「トイ・ストーリー」の日本版であったという、捻りを入れすぎたドラマツルギーを笑って許せるかどうかで、本作の評価は左右される。
主人公の鈴木良一はかつてミュージシャンを目指していたが、夢に破れて今は楽器の部品の製造会社で働いている。元々内気で仕事もさばけない彼は、職場では物笑いの種だ。ただ一人優しく接してくれる同僚の寺島裕子を好いてはいるが、まともに声をかけることも出来ない。ある日、いつもの通り良一がデパートの屋上で落ち込んでいると、露店で売られている一匹のミドリガメと目が合う。
運命的なものを感じた彼はその亀を買い、ピカドンと名前をつけて可愛がるが、会社で同僚にからかわれピカドンをトイレに流してしまう。下水道を流れていったピカドンは地下に住む謎の老人に拾われる。そこは捨てられたオモチャやペットが人間の言葉をしゃべる異世界だった。やがて良一とピカドンに思いもよらない展開が待ちうける。
正直言って、良一と裕子との色恋沙汰にはあまり重きを置かれていない。ピカドンを思い出して作った曲がひょんなことからヒットし、スターダムにのし上がっていく良一のサクセスストーリーに関しても通り一遍の印象しか無い。なぜか巨大化して街をのし歩くピカドンの扱い方は、なるほど昔の怪獣映画のノリだが、それほど盛り上がるわけではない。最も印象的なのは、地下に暮らす飲んだくれの老人のパートだ。
老人の“正体”については中盤以降には分かってしまうが、捨てられても一途に元の持ち主のことを思い続けるオモチャやペットたちの心情を切々と描くあたりは泣かされる。特にフランス人形のマリアと猫のぬいぐるみのスネ公とが、凸凹コンビの珍道中よろしく外界に繰り出し、マリアがかつて売られていた店の前で感慨に浸るまでのシークエンスは出色だ。
良一を演じる長谷川博己は同監督の「地獄でなぜ悪い」に続く怪演で、呆れつつも笑わせてくれる。裕子に扮する麻生久美子も“薄幸女優”の面目躍如で、ワザとらしいけど納得だ。老人役の西田敏行も、いつもは鼻に付く彼のクサさを本作では良い方向に作用させている。
関係ないが、プロダクションによって良一に提供された部屋に、McIntoshのスピーカーが置いてあった。たぶん型番はXR200だと思うが、同社のスピーカーが日本のポップスを上手く鳴らせるのかどうか、少し気になるところである。