(原題:CAPTAIN MARVEL)2018年に公開された「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」と、近々封切られる「アベンジャーズ エンドゲーム」とを“繋ぐ”役割はあるが、それ以外の価値を見い出せない。正直言って、冒頭に流れるマーヴェルの著名なライターだったスタン・リーに対する追悼メッセージだけ見て、劇場を後にしても別に困らないと思う。
1995年、宇宙帝国を築いたクリー人のエリート特殊部隊“スターフォース”の女性メンバーであるヴァースは、繰り返し見る悪夢に悩まされていた。ある時“スターフォース”に宿敵スクラルが潜伏する星トルファでのミッションが与えられる。ヴァースは戦闘中にスクラルの司令官タロスによって囚われるが、何とか脱出して帰還する途中にトラブルによりトルファの近くにある星系に属していた地球に墜落する。
彼女が流れ着いたのはロスアンジェルスだったが、特殊能力を持った彼女に諜報機関S.H.I.E.L.D(シールド)のエージェントであるニック・フューリーと新人のフィル・コールソンが接触する。ところが彼女を追ってスラクルの連中も来襲し、たちまちバトルが勃発する。
キャプテン・マーベルことキャロル・ダンヴァースは、「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」のラストでフューリーが助けを求めた相手だ。よって今回は彼女のプロフィールと、どうしてキャロルがS.H.I.E.L.Dと関わるようになったかを描くパートのはずだが、作りが雑である。
そもそもキャロルの性格がハッキリしない。彼女は米空軍のパイロットだったが、事故で偶然にクリーに拾われ、その際に記憶を失っているという設定だが、あまり自主的に動いているように見えない。ただ周囲に流されているだけだ。後半でスラクルの立場とクリーの真の狙いが明らかになるものの、何やら取って付けたようなモチーフであり、果ては四次元キューブの争奪戦がどうのこうのという、あまり興味を覚えないネタが展開される。
また終盤近くで覚醒したキャプテン・マーベルの能力は“無限大”であり、弱点らしきものが見当たらない上に戦い方も特徴が無い。要するに、主人公に明確なキャラクターが付与されていないのである。演じるブリー・ラーソンは頑張ってはいるが、DC陣営のワンダーウーマンを演じるガル・ガドットに比べれば器量が見劣りするのは否めない(笑)。
フューリー役のサミュエル・L・ジャクソンは楽しそうに演じてはいるが、フューリーが片目を失った背景が“脱力もの”であったように、何やら悪ノリの感がある。敵役のジュード・ロウの扱いも工夫が無い。監督はアンナ・ボーデンとライアン・フレックの連名だが、才気は感じられない。それにしても、キャプテン・マーベルは次作でどういう働きをするのだろうか。“何でもあり”のオールマイティな強さは、作劇の幅を狭めてしまうと思う。そのあたりを製作側がどう判断するのか、見ものではある。
1995年、宇宙帝国を築いたクリー人のエリート特殊部隊“スターフォース”の女性メンバーであるヴァースは、繰り返し見る悪夢に悩まされていた。ある時“スターフォース”に宿敵スクラルが潜伏する星トルファでのミッションが与えられる。ヴァースは戦闘中にスクラルの司令官タロスによって囚われるが、何とか脱出して帰還する途中にトラブルによりトルファの近くにある星系に属していた地球に墜落する。
彼女が流れ着いたのはロスアンジェルスだったが、特殊能力を持った彼女に諜報機関S.H.I.E.L.D(シールド)のエージェントであるニック・フューリーと新人のフィル・コールソンが接触する。ところが彼女を追ってスラクルの連中も来襲し、たちまちバトルが勃発する。
キャプテン・マーベルことキャロル・ダンヴァースは、「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」のラストでフューリーが助けを求めた相手だ。よって今回は彼女のプロフィールと、どうしてキャロルがS.H.I.E.L.Dと関わるようになったかを描くパートのはずだが、作りが雑である。
そもそもキャロルの性格がハッキリしない。彼女は米空軍のパイロットだったが、事故で偶然にクリーに拾われ、その際に記憶を失っているという設定だが、あまり自主的に動いているように見えない。ただ周囲に流されているだけだ。後半でスラクルの立場とクリーの真の狙いが明らかになるものの、何やら取って付けたようなモチーフであり、果ては四次元キューブの争奪戦がどうのこうのという、あまり興味を覚えないネタが展開される。
また終盤近くで覚醒したキャプテン・マーベルの能力は“無限大”であり、弱点らしきものが見当たらない上に戦い方も特徴が無い。要するに、主人公に明確なキャラクターが付与されていないのである。演じるブリー・ラーソンは頑張ってはいるが、DC陣営のワンダーウーマンを演じるガル・ガドットに比べれば器量が見劣りするのは否めない(笑)。
フューリー役のサミュエル・L・ジャクソンは楽しそうに演じてはいるが、フューリーが片目を失った背景が“脱力もの”であったように、何やら悪ノリの感がある。敵役のジュード・ロウの扱いも工夫が無い。監督はアンナ・ボーデンとライアン・フレックの連名だが、才気は感じられない。それにしても、キャプテン・マーベルは次作でどういう働きをするのだろうか。“何でもあり”のオールマイティな強さは、作劇の幅を狭めてしまうと思う。そのあたりを製作側がどう判断するのか、見ものではある。