元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ギルバート・グレイプ」

2014-02-10 06:38:03 | 映画の感想(か行)
 (原題:WHAT'S EATING GILBERT GRAPE )93年作品。公開当時は評価が高い映画だった。しかし、スウェーデン出身の監督ラッセ・ハルストレムの出世作「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」ほどの感銘はない。これはアメリカで撮っていることと無関係ではないと思う。

 舞台になるアイオワ州の田舎は、トウモロコシ畑と草原がどこまでも広がる土地だ。そこに生きる主人公たち。屈折した家庭、鯨のように太った母親、自殺した父親、知恵遅れの少年。社会から隔絶された彼らに残された道は、地平線に向かって歩いて行くか、それとも地平線を見ながら生きるかしかない。



 ジョニー・デップの若者はアメリカ映画でよく描かれる放浪する青年ではなく、町から出て行かない。彼に代表されるように、この“大草原の小さな家”は、心の中に不安と孤独を抱えた彼らのシェルターなのである。最後には当然ここから出ていくことになるのだが、本作は一応はまとまりを見せていた“小宇宙”から外部へと踏み出す主人公たちを描くビルドゥングスロマンなのだ。

 ただ、監督がヨーロッパ人のためか、多くは微妙な隠喩やメタファーが多用されている。その意味では、これ見よがしに説明的シークエンスを挿入して観る側をシラけさせてくれる凡百のドラマよりはポイントが高いだろう。ベルイマン映画でおなじみのスヴェン・ニクヴィストのカメラも落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 しかし、どこか違和感があり作品に没入できない。デップをはじめジュリエット・ルイスやレオナルド・ディカプリオらは好演(特にディカプリオの演技には圧倒される)。でも、当時のハリウッドの若手人気スターが顔を並べると、それだけでこの作品のカラーがある程度決定されてしまう。ヨーロッパの作家による深々としたタッチも帳消しにされるのではないか。舞台となる小さな町は「マイライフ・・・・」における村と同じような役割を果たすはずだが、陰影のないアメリカ中西部の風景がその寓話性を薄めてしまう。

 銀色の屋根を持つトレーラー群や果てしない草原はアメリカでなければ撮れないのはわかるが、別にそれがなくても北欧の厳しい自然や清涼な空気があれば、これよりもっと格調の高い映像に仕上がったのではないかと思う。配役も有名スターは不要。その方が余計な先入観なしに素直に感動できたはずだ。
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「小さいおうち」

2014-02-09 08:28:27 | 映画の感想(た行)

 老いても果敢に新しい題材に挑む、山田洋次監督の“気合い”が感じられる一作。もちろん監督のリベラルな姿勢が変わったわけではない。ただ、いわゆる“クセ球”を採用したアプローチは、今までにはない意欲的なものだと言えるだろう。その意味でも観る価値はある。

 大学生の健史は大叔母のタキが亡くなった後、生前彼女が書きためていた自叙伝の最終章を見つける。昭和11年。東北の田舎から上京したタキは、山の手にある赤い屋根の“小さいおうち”でお手伝いさんとして働きはじめる。そこに住む平井家は、玩具会社に重役として勤める主人の雅樹、その美しい妻である時子、そして幼い息子の恭一の3人家族だった。タキはすぐに彼らと打ち解け、穏やかに暮らすことが出来た。

 そんなある日、平井家に雅樹の部下の青年・板倉が現れる。時子は彼に夫やその仲間にはない独特の魅力を感じ、板倉も彼女を好きになり始める。この危うい関係をタキは心配しながら見守っていたが、やがて板倉に召集令状が届いたことから、事態は急展開を迎える。

 家族の絆を描いてきた同監督には珍しく、本作では不倫というインモラルなモチーフを提示する。しかも、抑えた描き方ではあるが、直截的であることには間違いない。ならばこの映画は家族の崩壊を扱っているのかというと、決してそうではないのだ。人妻のよろめきも、周囲の疑心暗鬼も、やがて来る戦争という極限的にインモラルな事象を前にしては、民衆のいとなみの一つに過ぎない。

 そういえば、この映画のほとんどが大戦前夜の期間に割かれているが、すでに中国戦線などで激しい戦いが展開されていたとは信じられないぐらい、市民の生活は明るい。戦前はすべてが暗かったと思い込んでいた健史に代表される戦後世代の、大雑把すぎる史観(らしきもの)に対するアンチテーゼになっているようだ。

 原作は直木賞を獲得した中島京子の同名小説だが、私は読んでいない。各論評を読むと、原作とはかなり違うらしい。小説ではタキには同性愛的傾向があったり、恭一は連れ子で、雅樹は性的不能者といったネタがあるようだが、映画では切られている。“だからケシカラン!”とする映画評もあるが、私はそれで構わないと思う。

 タキが板倉に寄り添いたいことを暗示させるような映画の作りは、時子が板倉あてに書いた手紙をタキが自ら渡したいと直談判するシークエンス(この部分だけが手持ちカメラ)の盛り上がりに繋がっている。

 終盤、映画は現代に戻るが、各登場人物の意に沿わない運命を決定付けたものは、(何度でも言うが)やはり戦争だ。家族の“内側”の問題ではなく、どうしようもない“外部”の圧力によって翻弄される彼らの苦悩と、だからこそ慎ましい一般市民の生活の掛け替えのない大切さを訴える作者の姿勢には共感出来るものがある。

 時子役の松たか子にとっては「告白」と並ぶ代表作になることは間違いない。若い頃のタキに扮する黒木華の演技は素晴らしく、雅樹役の片岡孝太郎も憎めない小市民を軽妙に演じる。倍賞千恵子、吉岡秀隆といった山田組の常連や、妻夫木聡、橋爪功、吉行和子、夏川結衣など前作「東京家族」からの連続登板の面々も加え、キャストは実に安定している。

 本作では描写不足と思われる箇所もないではないが、ここ数年高水準の作品をリリースし続けている山田監督の力量は、映画ファンとしてはやっぱり無視出来ないと思う。
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Dynaudioのスピーカーを購入した(その2)。

2014-02-08 08:50:38 | プア・オーディオへの招待
 新たにメイン・システムのスピーカーとして導入したDynaudio社の製品は、昔から“使いこなしが難しい”と言われてきた。しかし前のアーティクルで触れたように、納入当初から良好なパフォーマンスを披露してくれたので、まずは一安心といったところだ。

 とはいえ、今後もセッティングは詰める必要がある。畳の部屋で、しかも絨毯が敷き詰められている状態は、どう考えても環境が良くない。とりあえずは、厚めの御影石ボードを調達。スピーカー側には付属のスパイクをセットし、スパイク受けを兼ねてACOUSTIC REVIVEの金属製インシュレーターを使用した。いわば“点”で接地させることになったが、当然のことながらまだ不十分だ。



 いずれは畳を貫通して下の板張りまで達するようなピンを複数導入し、その上にボードを置く等して、より堅牢度を高める必要があるだろう。ただ、その前に(壁からの距離を含めた)スピーカーの位置を決定しなければならない。時間を掛けてのトライアル&エラーが不可欠になってくるが、オーディオファンとしてはそれも楽しみの一つだったりする(笑)。

 Dynaudio社のモデルは今も昔もバイワイヤリング接続には対応していないが、私にとってはこれも有り難い。何しろケーブルをもう一本引くことになると、ウチの場合は部屋の全面模様替えに匹敵する難事業になってしまう(爆)。接続はシングルで十分だ。

 それにしても、改めて思うのは更改前のDIATONEの製品をはじめ、むかし趣味のオーディオが隆盛を極めていた頃に長らく“主流”であった国産大型ブックシェルフのスピーカーの数々は、(一部を除いて)何と音楽性に乏しかったのかということだ。もちろん、従来型の形態の国内メーカー品を好むマニアもいることは承知しているが、少なくとも私にとってはもはや用は無い。



 もしも90年代以降のオーディオ不況が起こらず、80年代後半の状況がずっと続いて国内メーカーが好調だったならば、我々エンドユーザーはヴァラエティに富んだ欧米ブランド製品の音色をあまり知ることも無かったのだと思うと、何とも複雑な気分になる。

 最後に、新旧EXCITEシリーズの音の違いについて述べたい。店頭で聴き比べたのはX32の後継モデルのX34ではなく、コンパクト型の前機種X12とニューモデルのX14だ。サイズはほぼ同じながら外見の印象は異なるし、サウンドはもっと違う。

 ひとことで言えば、音場の展開がまるで別物だ。新シリーズは音場が奥に広がる。対して旧モデルは景気よく前に出てくる。陰影の深さが印象的な新機種と、屈託の無い明るさが身上の旧製品(注:もちろんこれは私個人の印象だ。リスナーによっては、違うインプレッションを持つかもしれない)。どちらを良いと感じるかは、もはや好みの問題だろう。

(この項おわり)
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Dynaudioのスピーカーを購入した(その1)。

2014-02-07 06:33:37 | プア・オーディオへの招待
 メインシステムのスピーカーを、やっと更改することが出来た。新たに導入した機器は、デンマークDynaudio社のEXCITE X32である。

 ただし、この製品は現行モデルではなく、2013年にEXCITE X34にモデルチェンジされている。どうしてわざわざ前のモデルを買い求めたかというと、後継機種発売に伴い従来モデルのディーラー在庫品がとても安く手に入れられたからだ。何しろ私はケチなので、手出しする金は少ない方が良いのである(笑)。

 とはいえ、決して“格安で売りに出ているから、とにかく買ってしまおう”という安易な姿勢で購入したのではない。このシリーズは以前から何度も試聴しており、そのパフォーマンスには魅力を感じていた。特にコンパクト型のEXCITE X12は、現在サブ・システムで使用中の英国KEF社のLS50と最後まで迷ったモデルである。だから今回の“在庫処分品”の話は、まさに渡りに船であった。



 EXCITE X32はトールボーイ型と呼ばれるフロアスタンディング・タイプの製品だ。小型のブックシェルフ・タイプでは、クラシックの管弦楽曲の再生において十分なスケール感が得られない場合が多い。オーケストラ物もよく聴く私としても、用途に合った買い物だったと言える。残念ながら外観は定価に見合った高級感を醸し出しているとは言えないが、私はルックスをあまり気にしないタイプなので、まったく問題は無い。

 さて、実際に我が家のリスニングルームで音を出してみると、思わず笑みがこぼれてしまった(^^)。

 それまで使用していたスピーカーは、DIATONEDS-1000ZXという製品であった。三菱電機がプロデュースし、長らく国産スピーカーの代表格として君臨していたこのブランドの、最後期のモデルである。同社がピュア・オーディオから撤退してかなりの年月が経つが、今でもDIATONEの4桁シリーズには根強いファンがいる。しかし、それに代わって自室に鎮座することになったDynaudioのスピーカーは、レベルの違いを見せつける。



 最初に鳴らしたのはジャズ・ヴォーカルのディスクであったが、スピーカーの位置も細かく調整していない段階で、歌い手の声がセンターにビシッと定位したのには感動してしまった。これは以前のスピーカーでは実現出来なかったのだ。いくらセッティングを詰めても、インシュレーターやケーブルを替えても、ヴォーカルは左右チャンネルの真ん中から聴こえてこなかった。挙げ句の果ては“定位の悪いディスクは、元の録音が良くないのだろう”などと決め付けたものだ。しかし、今やそれは間違いで、本当は使っている機器の能力が劣っていたからだったことが分かる。

 音像・音場の表現力は、DS-1000ZXよりも上質。目の前がパァッと広がったような開放感を覚えた。そして何より音色の明るさが心地良い。サウンドの各要素に生気が漲り、有機的な響きをもって聴き手に迫ってくる。レンジは広く、妙な特定帯域の強調感も無い。このブランドは鳴らすジャンルを選ばないことは試聴の段階から分かっていたが、自室でもどんなタイプの音楽を再生してもサラリと鳴らしてくれるのを目の当たりにするに及び、本当に嬉しくなる。

 少し懸念していた手持ちのACCUPHASE社のアンプとのマッチングも悪いところは無く、本当に良い製品選びをしたものだと思う。・・・・まあ、我ながらホメ過ぎだという気もするし、上を見ればこれより優れたスピーカーはいくらでもあるのだが、今回の取得価格を考えれば文句の付けようが無い(^^;)。

(この項つづく)
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「五人の斥候兵」

2014-02-04 06:35:12 | 映画の感想(か行)

 昭和13年作品。「五番町夕霧楼」や「湖の琴」等で知られる田坂具隆監督が手掛けた戦意高揚映画で、彼の戦前の代表作と言われているものだ。今回、福岡市総合図書館映像ホールにて初めてスクリーン上で観ることが出来た。

 岡田中尉が率いる部隊は北部中国で最前線にあったが、戦況は膠着状態に陥っていた。そんな中、本隊から敵陣の偵察命令が下る。隊長は五人の兵士からなる斥候隊を組織し、敵陣地に潜入させる。五人は川の対岸に多数の中国兵がトーチカを築いていることを発見。偵察を終えて部隊に戻ることにしたが、敵に見つけられて攻撃を受ける。何とか逃げ出すことに成功するものの、五人は離ればなれになってしまう。

 陣地には一人また一人と兵士たちが帰還したが、木口一等兵だけ夜遅くなっても戻らない。そんな中、本部から明朝敵陣を占拠せよという命令が下される。

 画質・音質共にノイズが酷く、特にセリフはほとんど聴き取れない。また、映画の前半部分は部隊の日常生活を淡々と追っており、盛り上がりに欠けるのは否めない。しかし、五人が偵察に乗り出す中盤以降はスピーディーな演出で惹き付けられる。特筆すべきはカメラワークで、五人が一列縦隊になって敵陣めがけて疾走するシーンは、素晴らしい高揚感を味わえる。また、緩急を付けるように静的な場面が幾度か挿入されているのも効果的で、休憩シーンなど本当に“一息ついている”雰囲気がうまく表現されている。

 武人そのものといった岡田中尉に扮する小杉勇をはじめ、見明凡太朗や井染四郎等の五人の各キャラも“立って”いるのも見逃せない。それにしても、せっかく敵中での必死の行動を終えて帰還しても、翌日には総力戦に身を投じなければならない理不尽さには、戦争の無常さを感じずにはいられない。しかも、隊員達は揃いも揃って気の良い連中に描かれているので、余計そう思う。

 なお、本作はプロパガンダ映画とはいえ丁寧な作りが評価され、その年のキネマ旬報ベストテンのトップを飾っている。さらには第6回のヴェネツィア国際映画祭ではイタリア民衆文化大臣賞を受賞した。これは、日本映画で初めての三大国際映画祭における受賞である。今から考えると、大したものだ。
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「四十七人の刺客」

2014-02-03 06:40:50 | 映画の感想(さ行)
 94年作品。市川崑監督による“新解釈の忠臣蔵映画”という触れ込みで拡大公開されたが、まったくもって気勢の上がらない出来に終わってしまった。少なくとも、同時期に公開された深作欣二監督の「忠臣蔵外伝 四谷怪談」のヴォルテージの高さとは比べようがない。

 池宮彰一郎による原作は読んでいないのでハッキリしたことは言えないが、これは赤穂側と吉良側という二項対立の図式を作り、権謀術数によるシミュレーション・ゲームのような構造にしたかったのだと思われる。そうでなかったら、このあまりにも素っ気ない作劇は説明出来ない。



 ところが、映画の進行はそのようなRPG仕様(?)に準拠していないのだ。対立軸が見当たらず、それぞれが自分の陣営内で悶々とするばかりで、ドラマのベクトルが全然外には向いていかない。

 今回ばかりは大根モード全開の大石内蔵助役の高倉健や、冗談としか思えない色部又四郎役の中井貴一の白塗り顔、作り手の演技指導も本人の演技する意志も不在だと思わせた宮沢りえ等のパフォーマンスに呆れていると、討ち入りのシーンの決定的な迫力のなさに絶句した。

 吉良邸を要塞に見立てて緻密な活劇パターンでも構築してくれれば失点も抑えられたかもしれないが、そのあたりも落第点。とにかく、緊迫感がほとんど無い。加えて、何やら奇を衒ったようなラストの大石内蔵助のセリフを突きつけられ、面食らってしまった。

 なお、私は本作を公開前の試写会で観たが、驚いたのが映画の中盤あたりから、かなりの数の客がゾロゾロと帰ってしまったこと。高倉健と中井貴一の舞台挨拶があったにもかかわらず、こんな体たらくになってしまったのは、作品のレベルを如実に示していたと言えるだろう。
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「大脱出」

2014-02-02 06:44:16 | 映画の感想(た行)

 (原題:ESCAPE PLAN )意外に楽しめた。シルヴェスター・スタローンとアーノルド・シュワルツェネッガーという“フィジカル優先、ロジックは二の次”(笑)という面子を揃えていながら、筋書きはけっこう凝っていてディテールも練られている。さらにはタイムリーな時事ネタも織り込んでいるあたりもポイントが高い。

 主人公プレスリンは世界的なセキュリティ会社のコンサルタントで、脱獄のプロだ。彼の役割は各地の“脱出不可能と言われる刑務所”にわざと収監され、見事にそこから脱獄することにより、警備の甘さを指摘することである。

 この会社に当局側から新しい依頼が持ち込まれる。早速ブレスリンは仕事に取りかかるのだが、予定通り収監される前に何者かの手によって拉致され、見たこともないような監獄に入れられてしまう。彼は囚人たちのボスで謎めいた男ロットマイヤーと協力して何とか脱出を試みるが、例によってそこに冷酷な所長が立ちはだかる。

 意外にも、前半まで主人公達は肉弾戦よりも頭脳戦を主に展開する。冒頭、スタローン御大扮するブレスリンが警備厳重であるはずの刑務所から脱獄するシークエンスは、けっこう理詰めだ。また、この謎の監獄のアウトラインを知ろうとする主人公の振る舞いも、さらに理詰めだ。そして看守一人一人のクセを見抜いて、それによって綿密な脱出シミュレーションを構築させようとする、そのプロセスはまさに理詰めである。何とスタローン御大、やれば出来るじゃないか(爆)。

 対するロットマイヤーを演じるシュワ氏は“受け”のスタンスかと思いきや、油断のならない男として上手く立ち回り、時には母国語のドイツ語を駆使しての陽動作戦を買って出るあたりはなかなか見上げたものである。

 で、後半はもちろんアクションの釣瓶打ちだ。特にシュワ氏がヘリコプターの銃座から機関銃を外して撃ちまくる様子は、過去における彼の活劇場面を彷彿とさせ、千両役者の感がある。刑務所の造型はなかなか面白いし、主人公2人を陥れようとした黒幕の正体も、まあ途中で予想出来る向きもあるとは思うが(笑)、凡百の活劇物よりは気が利いていると思う。またその背景にあるのは、国際金融に関する巧妙な陰謀だったりして、リアリティは確保されている。

 ミカエル・ハフストロームの演出はソツがなく、ジム・カヴィーゼルやカーティス・ジャクソン(50セント)、ヴィンセント・ドノフリオ、エイミー・ライアンといった脇のキャストも悪くない。
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「居酒屋ゆうれい」

2014-02-01 06:41:03 | 映画の感想(あ行)
 94年作品。横浜の下町にある小さな居酒屋を舞台に、店の主人と死んで幽霊になった前妻、そして新しい妻が繰り広げるドタバタを描いた喜劇。とにかく、この年代に製作されたとはとても思えないような、古くさい人情話である。

 居酒屋「かづさ屋」の主人・壮太郎は妻・しず子が息を引き取る前に、絶対に再婚はしないと約束する。しかし、兄夫婦の奨めで見合いをした相手の里子に一目惚れし、一緒になってしまう。それを知ったあの世のしず子は、恨みを持ってこの世に戻って来る。監督は後年「ぷりてぃ・ウーマン」や「ショムニ」などを撮る渡邊孝好。



 原作が葛飾北斎の娘を描いた「応為担担録」で知られる山本昌代の原作らしく、雰囲気は江戸時代の“町人もの”のようだ。3人の主要登場人物以外のエピソードも、何とも古風に過ぎる。野球賭博で別れた女房が危機に陥ったり、蒸発して自分の居場所もわからなったという客の側の話等は、一見ヴァラエティに富んでいるように見えて、実際はあまり気勢が上がらない。

 新しい女房の元彼が刑務所を出てくるシークエンスも、撮りようによってはいくらでも盛り上がるのだが、何やら沈んで見える。いっそのこと時代劇にしてしまった方が違和感は少なかったかもしれない。

 また、脚本に田中陽造を持ってきているのならば、過去と現在とが入り組んだようなトリッキィな仕掛けぐらい用意してもよかった。

 主演の萩原健一と山口智子、室井滋の3人をはじめ、三宅裕司や西島秀俊、八名信夫、橋爪功、豊川悦司といった多彩な顔ぶれを揃えているのがもったいないような気がする。なお、評論家筋には好評だったらしく、その年のキネマ旬報ベストテンには3位にランキングされていて、後に続編も作られているが、個人的にはあまり持ち上げる気にはならないシャシンである。
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