元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「さかなのこ」

2022-10-15 06:22:32 | 映画の感想(さ行)
 ヘンな映画である。最初から終わりまで、違和感しか覚えない。ただし世評は高いようだ。こういうパターンに過去に遭遇したように思ったが、それはロバート・ゼメキス監督の「フォレスト・ガンプ/一期一会」(94年)であることに鑑賞後に気付いた。あの映画もアカデミー賞を総ナメにするほど高評価だったが、個人的には面白さが感じられなかった。たぶんアメリカ人ならばピンと来るのだろうが、この“素材に対して思い入れのある者しか分からない”という構図は本作と一緒だ。

 千葉県に住む小学生のミー坊は三度の食事より魚の生態が好き。父親は個性的すぎるミー坊を心配するが、母親はミー坊のキャラクターを認めていた。高校生になっても魚のことにしか興味が無く、いつの間にか不良どもに絡まれていても当事者意識ゼロ。それどころか彼らと仲良くなってしまう。ところがミー坊は魚以外のことはからっきしダメで、進学には失敗し、職を得ても上手くいかない。だが、思わぬ出会いから道が開けてくる。さかなクンの自叙伝を元にして劇映画として仕立て上げられたシャシンだ。



 まず、困ったことに私はさかなクン自体に興味が無い。また、映画として門外漢にでも興味が持てるような仕掛けも見当たらない。要するに、さかなクンのファンおよび理解者だけを対象にした作品なのだと思う。強すぎる個性を持った主人公が、ファンタジー風味の御都合主義的な展開を経て世に出る過程を笑って見ていられる層ならば、満足出来るのだろう。当然のことながら、私のような“部外者”はお呼びではない。

 主演は“のん”こと能年玲奈だが、男性であるさかなクンを女優が演じることの居心地の悪さを感じずにはいられない。冒頭に“性別は関係ない”みたいなテロップが流れるが、余計なエクスキューズだろう。「フォレスト・ガンプ」と同じく、個人的には関係の無いキャラクター設定だ。また、意外と魚介類の生態を大きくクローズアップした部分が少ないのも、何か違う気がする。魚類の持つ独特の魅力を強くアピールしないでどうするのかと思うばかりだ。そして自然の神秘を強調するような映像の美しさにも欠けている。

 沖田修一の演出は今回は可も無く不可も無し。柳楽優弥に夏帆、磯村勇斗、岡山天音、井川遥、宇野祥平、鈴木拓、島崎遥香、そしてさかなクン自身と、キャストは多彩。しかし、総花的であまり印象に残らず。CHAIによる主題歌だけは良かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「白い手」

2022-10-14 06:20:48 | 映画の感想(さ行)
 90年作品。この頃話題になった日本映画に篠田正浩監督の「少年時代」があるが、同じく子供を主人公にした神山征二郎監督による本作も、また味のある一編だ。とはいえ、両者のテイストはかなり違う。篠田作品の時代設定は終戦前夜、対してこの映画は昭和30年代の初頭というから、共に監督が作中の少年だった時分であり、両作品の差異はそのまま作者の世代によるものだろう。

 小学5年生のマサルは、千葉県の小さな港町に母親と二人で住んでいる。ある日、彼のクラスに東京から転校生のキヨタカがやって来る。ある“致命的な弱点”を持つキヨタカは早速イジメの対象になるが、マサルは彼の母から友だちになってくれと涙ながらに頼まれ、仕方なく仲良くすることにした。2人の通学経路には瀟洒な洋館があり、マサルたちは二階の窓から出ている白い手が気になって仕方がない。実はそこには病気で寝たきりの女の子がいて、彼らは強い関心を寄せる。椎名誠による同名小説の映画化だ。

 まあ、いつの世もそうなのだが、子供の世界というのはドライで容赦ないものなのだ。皆好き勝手に振る舞うし、転校生はイジメられるものと相場が決まっている。だが、本作の主人公たちを取り巻く環境は、かなり楽天的だ。しかし、本作の登場人物たちは篠田監督の「少年時代」のような明日をも知れぬ切迫した世界には生きていない。

 昭和30年代前半の日本は戦後の混乱期も一段落し、これからは良くなることはあっても悪くなることは無いと誰しも信じていたのだろう。マサルたちの前に少々の逆境が立ちはだかっても、余裕で乗り越えてしまう。

 もちろん、この映画のライトな雰囲気は時代背景だけのせいだけではない。マサルの母親が父親の弟と通じてしまっても、担任の女性教師が名うてのプレイボーイと懇ろになっても、少しも雰囲気が生臭くならない。少しばかりの無茶をやらかしても、それは人間の本性だと見切ってしまう。そんな屈託の無さをとことんポジティヴに描いているし、それに不自然にならないだけの演出の力がある。

 一応は主役扱いの南野陽子は演技が上手いとは言えないし、哀川翔や石黒賢もこの頃は青臭い。桜田淳子が出ているのも隔世の感がある。ただその分小川真由美や前田吟、佐藤オリエといった手練れの人材が頑張っている。飯村雅彦のカメラによる映像は美しく、特に冒頭とラストに映し出される壮大な桜並木は圧巻だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「田舎の日曜日」

2022-10-10 06:13:58 | 映画の感想(あ行)
 (原題:Un dimanche a la campagne )84年作品。昨年(2021年)世を去ったフランスの監督ベルトラン・タヴェルニエの代表作で、第37回カンヌ国際映画祭での監督賞をはじめ、数多くのアワードを獲得している。内容も実に含蓄があり、鑑賞後の満足度はかなり高い。フランス映画の神髄を味わえる逸品だ。

 1912年の秋、パリ郊外の田舎に家政婦のメルセデスと住む画家のラドミラル氏は、日曜日にパリから訪ねてくる息子のゴンザグの一家を迎える準備をしていた。やがて妻のマリー・テレーズと子供たちと一緒にやってきたゴンザグは久々の実家にリラックスするのだが、そこに予告も無く訪ねてきたのはラドミラル氏の娘イレーヌだった。



 奔放な性格で未だ独身のイレーヌだが、パリでブティックをオープンさせて軌道に乗せるなど、なかなかの遣り手だ。しかし恋人との仲には悩んでもいる。ラドミラル氏は疎遠だったイレーネとの関係を修復させるべく、彼女を自分のアトリエに招いたり食事に誘ったりする。

 別にドラマティックな出来事が起きるわけではない。日曜日に子供たちが帰省し、そして夕方になって皆戻って行き、また老画家のいつもの生活が始まるという、それだけの話だ。しかし、何気ない日常が続いているようでも、確実に時は動いてゆく。ゴンザグとイレーネの父に対する態度は、この積み重ねられた時の流れにシンクロするように、共感と反感を繰り返しつつ熟成したものに変化する。

 ラドミラル氏の話し相手は基本的にメルセデスだけだが、その孤独も時と共に自己と折り合いを付けていく。結局、大きな事件がいくつも発生して家族のあり方を問われるというような、物語性に満ちた人生を送る者などわずかしかいないのだ。いつもの日常の繰り返しこそが、我々の生きている世界である。ただし、周りの人間との関係性や環境のちょっとした変化は、考え方や生き方に少しばかり影響を与える。その人情の機微をわずか一日の時間で描ききる本作の巧みさには唸ってしまう。

 タヴェルニエの演出は達者と言うしかなく、キャストの動きと作劇の進め方にまったく揺るぎが無い。ラドミラル氏に扮するルイ・デュクルーをはじめ、サビーヌ・アゼマ、ミシェル・オーモン、モニーク・ショメットらのキャストは万全。タヴェルニエ自身もナレーションを担当している。ガブリエル・フォーレの音楽と、ブリュノ・ド・ケイゼルのカメラによる映像が美しさの限りだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ヘルドッグス」

2022-10-09 06:22:57 | 映画の感想(は行)
 原田眞人監督とジャニーズ系を含むアイドル界隈との相性の悪さを、改めて確認した一作。ならば最初から観るなと言われそうだが、(原作は読んではいないものの)深町秋生の小説群はさほど嫌いではないので、あえてチェックして次第。そして結局は観たことを後悔しているのだから世話は無い(苦笑)。いずれにしろ、鑑賞作品を選定する際の事前の検討は必要である。

 凶悪事件を阻止することが出来なかった警官の兼高昭吾は職を辞し、その後は事件に関わった者たちへ復讐するために生きてきた。数年後、彼は警察組織からその獰猛さを見込まれ、関東最大の暴力団への潜入捜査を強要される。目的はボスが持つ極秘ファイルを奪うことで、そのためには兼高との相性が良好だとされる凶暴な若いヤクザ室岡秀喜と仲良くなり、組織内で成り上がってボスに近付く必要がある。兼高は警察の期待通り室岡と共に名をあげるが、思わぬ落とし穴が待っていた。

 とにかく、登場人物全てが早口で勝手にまくし立て、何を言っているのか分からないのには閉口した。これが原田監督の代表作である「金融腐蝕列島 呪縛」(99年)のようにドキュメンタリー・タッチの実録風ドラマならば臨場感が醸し出されて効果的なのかもしれないが、こういう純然たるフィクションでそれをやられると、違和感を覚えるだけでなくストーリーが追えなくなる。

 もっとも、その筋書き自体も弱体気味のようで、警察を辞めた人間を囮捜査要員に仕立て上げるという設定からして無理がある。いつ正体がバレるかもしれないというサスペンスも希薄で、兼高が疑われる切っ掛けになったエピソードも、完全に底抜け状態だ。主演は岡田准一だが、必要以上に彼を目立たせるためか、余計なモチーフを盛り込みすぎ(例:思わせぶりなタトゥー等)。

 かと思えば、身長が高くはない岡田の外見をカバーする気配もなく、特にバディ役の坂口健太郎と無造作に並べられて小柄な面が強調されるなど、撮り方もヘタだ。その坂口も、いかにも善人キャラの彼に狂的なヤクザ役を振ったのはどこのどいつだと、文句の一つも言いたくなる。肝心のアクションシーンも切れ味不足。完全に「ザ・ファブル」シリーズの後塵を拝している。

 ボス役のMIYAVIも貫禄不足で、松岡茉優に北村一輝、大竹しのぶ、金田哲、酒向芳、赤間麻里子といった他の面子も精彩が無い。それにしても原田監督と岡田のタッグはこれで3回目だ。作品の完成度には結び付いていないようなのに、どうしてこの組み合わせが成り立つのだろうか。まあそれが“業界の事情”ってやつだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「彼女のいない部屋」

2022-10-08 06:22:33 | 映画の感想(か行)
 (原題:SERRE MOI FORT)これは一筋縄ではいかない映画だ。このトリッキィな作劇を敬遠してしまう観客も少なくないとは思うが、私は楽しめた。映画の中心的主体の選定によっては、あえてロジカルな御膳立てをする必要は無いケースもあり得る。もちろんその際は用意周到な仕掛けが不可欠なのだが、本作は上手くいっていると思う。

 主人公クラリスはテーブル上に裏返しに並べられたポラロイド写真を使って“ひとり神経衰弱”みたいなことをするのだが、絵柄が揃わずに最後には写真を全て放り投げてしまう。そして荷物を車に詰め込み、家を出て行くのだ。残された夫のマルクと2人の子供は、これから彼女がいない日々を送ることになる。



 娘のリュシーはピアノを習っており、クラリスが運転する車のカーステレオからはリュシーが弾くピアノを録音したテープの音が流れていた。だが、やっぱり子供たちのことが気になるクラリスは、それからも時折元の家の前を通り彼らの姿を目で追うのだった。しかし、ここで雪山での遭難事故という全く関係が見出せないシークエンスが唐突に挿入され、映画は脈絡の無い展開に突入する。

 本編のほとんどがクラリスの主観(および心情)に基づいて進む。そのような設定を採用すると、必ずしも筋書きを合理的に処置する必然性は存在しない。だが、そこには確固としたメインプロットが必要で、それが無ければドラマは空中分解する。本作の場合そのプロットは最初は判然としないが、姿を現す後半になると俄然興趣が増す。それを具体的に書くとネタバレになるので控えるが、とにかく人間が生きていく上で時には“もうひとつの現実”を自己の中に創造しなければならない場合があるという、ある意味真実を提示しており、この作者のスタンスには説得力がある。

 フランスの俳優マチュー・アマルリックが監督・脚本を手がけた長編第4作で、第74回カンヌ国際映画祭の“カンヌ・プレミア部門”に選出された意欲作だ。97分という短めの尺は最適だし、クラリスを演じるヴィッキー・クリープスの圧倒的なパフォーマンスもあり、鑑賞後の印象は良好だ。アリエ・ワルトアルテやアンヌ=ソフィ・ボーエン=シャテ、サシャ・アルディリ、ジュリエット・バンブニストといった他のキャストは馴染みが無いがいずれも良い仕事をしている。クリストフ・ボーカルヌのカメラによるクールな画面造型も忘れがたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「エンド・オブ・ロード」

2022-10-07 06:22:21 | 映画の感想(あ行)

 (原題:END OF THE ROAD )2022年9月よりNetflixにて配信された、ロードムービー仕立てのサスペンスドラマ。たぶん劇場で鑑賞したならば物足りなさで釈然としない気分で劇場を後にしたかもしれないが、テレビ画面だとちょうど良い。深みは無いが視聴者を退屈させないだけのモチーフは取り揃えており、上映時間も91分とコンパクトにまとめられている。

 ロスアンジェルスに住むブレンダは夫を亡くし、生活も困窮してきたため2人の子供と弟のレジーと共にテキサス州に引っ越すことを決める。ところが、目的地に向けて車を走らせる一同が泊まったモーテルの隣の部屋で殺人事件が発生。ブレンダは目撃者として警察の事情聴取を受けた後にその場を離れるが、何とレジーが現場のクローゼットに隠されていた大金を失敬していた。その金は地元アリゾナ州で悪名を轟かせていた大物ギャングのものだった。たちまち一家は悪者どもからの追撃を受けるハメになる。

 ブレンダは一見普通のオバサンだが、実は腕に覚えがあったり、レジーの行動が後先考えない無謀なものであったりとか、やや強引な筋立てが気になるところだ。しかし、一家に降りかかる災難がスピーディーに繰り出され、飽きさせない。特に、長男が誘拐されてそれを助けに行こうとするブレンダが、途中で別のトラブルに遭遇してしまうあたりの焦燥感はよく出ていた。終盤に明らかになる敵の親玉の正体も効果的だ。

 それにしても、ちょっとしたことで厄介事に巻き込まれるアメリカの田舎は実にリスキーな世界だ。これが都市部ならば常識を持ち合わせた者が少なくないのだろうが、主要幹線道路を少し外れた過疎地域では、ワイルドな所業が今でも横行している。足を運ぶ際は気を付けたいものだ(いや、たぶんそんな機会は無いと思うけど ^^;)。

 ミリセント・シェルトンの演出は安全運転に徹し、突出した部分は無いが堅実だ。ラストの扱いも気が利いている。主役のクイーン・ラティファは好演。レジーに扮するクリス・“リュダクリス”・ブリッジスとのコンビネーションも良好だ。マケイラ・フェイス・リーやフランシス・リー・マッケイン、ショーン・ディクソンといった脇の面子も及第点。超ベテランのボー・ブリッジスの姿が久々に見られたのも良かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アキラとあきら」

2022-10-03 06:21:00 | 映画の感想(あ行)

 正直あまり期待はしていなかったが、思いのほか楽しめた。中身は定番の池井戸潤の小説(私は未読)の映像化なのだが、おそらくは脚色が上手くいっており、語り口も決して悪くはない。加えて主要キャストは健闘しており、2時間あまりを飽きさせずに見せきっている。全国一斉拡大公開される邦画も、常時このくらいのレベルを維持して欲しいものだ。

 伊豆半島の山肌にある小さなプレス工場の経営者の息子として生まれた山崎瑛は、父親の仕事が上手くいかずに工場を手放す有様を子供の頃に見せつけられ、以来貧しい生活を強いられる。しかし苦学の末、有名大学を卒業して日本有数のメガバンクに入社する。同期には、大企業の御曹司だが次期社長の座を蹴って銀行員の道を選んだ階堂彬がいた。

 同じ“あきら”という名前を持つ2人は、優劣付けがたい実力を持ち早々に頭角を現すが、瑛は担当した案件で理想論を押し通した結果、地方に左遷される。一方彬は持ち前の如才なさで出世街道を歩むかに見えたが、病に倒れた父親の跡目争いに関与せざるを得なくなり、銀行を退くことを考えるようになる。

 キャラクター設定が上手い。苦労人で熱血漢の瑛と、冷徹なエリートの彬。図式的な構図のように見えて、それぞれ明確に人物背景が描かれており違和感が無い。また、2人が特定の案件をめぐってこれ見よがしに青臭い議論を戦わせる場面も無い。個々に自分の道を歩んだ上で、ビジネス上の必要性が生じて2人の人生が再び交差するのである。

 瑛と彬以外の登場人物はクセの強い者が多いのだが(特に本店営業部の不動部長の存在感は出色)、主人公たちの立場に踏み入るような多面性を持たせてはいない。あくまでも与えられた性格付けを粛々と受け持つだけである。この割り切り方は賢明だ。また、意外と女っ気が無いのも良い。ビジネス物において色恋沙汰が絡むと、ドラマが停滞する危険性がある。後半に新人の女性行員が登場するぐらいに留めているのは適切な処置だ。

 終盤、瑛と彬が業界知識を駆使して状況を打破する様子が描かれるが、このくだりは池井戸作品のルーティンながら監督の三木孝浩はテンポ良く見せる。瑛に扮する竹内涼真のパフォーマンスには若干危惧していたのだが(笑)、なんと目を見張る奮闘ぶりで大いに見直した。これからも精進して欲しい。彬役の横浜流星もクールな中にパッションを秘めた役柄を好演。高橋海人に上白石萌歌、児嶋一哉、塚地武雅、宇野祥平、奥田瑛二、石丸幹二、江口洋介(儲け役)ら他のキャストも万全だ。舞台が再び伊豆に戻る幕切れも印象的で、鑑賞後の感触は上々である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「LOVE LIFE」

2022-10-02 06:51:18 | 映画の感想(英数)
 今まで順調にキャリアを積み上げてきたはずの深田晃司監督だが、ここに来てまさかの失速。たぶん彼のフィルモグラフィの中では、下位にランクインさせるしかないレベルだ。少なくとも前作「本気のしるし」(2020年)に比べればかなり見劣りがする。第79回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門出品ながら、受賞に至らなかったのも仕方が無いだろう。

 小学生の息子の敬太を連れて会社員の大沢二郎と再婚した妙子は、彼の両親の了承は得られないまでも平穏な生活を送っていた。ところがある日、敬太が不慮の事故で命を落としてしまう。妙子は悲しみに沈むが、葬儀の日に失踪した前の夫であり敬太の父親でもあるパクが突然現れる。宿無しのパクのために成り行きで彼の世話をする妙子だが、一方の二郎は以前付き合っていた山崎理佐と密かに会っていた。矢野顕子が91年に発表したナンバー“LOVE LIFE”に触発されて深田が書き起こしたシナリオを元に、映画は作られている。

 妙子たちが住んでいるのは大規模団地の一室なのだが、実はその部屋は二郎の両親が以前住んでいたところで、その両親は別棟に居を構えている。団地自体は社宅のようで、日常でも職場関係者との交流があるようなのだが、妙子は教会の活動もしていて、関係者が家に出入りしている。二郎と理佐とは結婚寸前だったが、彼が選んだのは妙子の方だった。その理由は明示も暗示もされていない。斯様な無理筋で御都合主義的な設定を見せられただけで、鑑賞意欲は減退する。

 さらに映画が進むと、パクと妙子が一緒になった事情は何ら具体的に描かれず、彼が行方をくらました背景も謎のままだ。そして二郎との再婚を決意した原因も分からない。終盤近くになるとなぜか舞台がパクの故郷である韓国に飛び、それから意味不明の展開が延々と綴られる。そもそも、パクが聴覚障害者であるという造型も、為にするような御膳立てでしかない。

 クレジットを見て気付いたが、本作にはプロデューサーの名前が明記されていない。あるのは製作委員会の名称のみだ。つまりは製作側では責任を回避したいような姿勢が見受けられる。深田の要領得ない脚本を精査する主体が不在だったと思われても仕方が無い。主演の木村文乃は頑張っているが、このように表情を露わにしない役柄が合っているとは思えない。

 永山絢斗に砂田アトム、神野三鈴、田口トモロヲといった面子も印象が薄い。わずかに目立っていたのが理佐に扮した山崎紘菜で、東宝専属と思われた彼女が独立系の作品に出たのは比較的珍しいと思った。なお、肝心の矢野顕子の楽曲との関連性は明確には見受けられなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「旅立ちの時」

2022-10-01 06:22:26 | 映画の感想(た行)

 (原題:Running on Empty)88年作品。高い人気を誇りながらも若くして世を去った俳優リヴァー・フェニックスの代表作は何かと聞かれれば、大抵の人は「スタンド・バイ・ミー」(86年)だと答えるのだろうが、あれは“主要登場人物の中の一人”という扱いだ。純粋な主演作としては、この映画こそが彼のマスターピースだと思う。

 主人公ダニーは両親と弟と暮らす、一見平凡な高校生だ。しかし、この一家には誰にも言えない重大な秘密があった。実は彼の両親は、60年代に反体制派の活動家としてテロ行為に手を染めた容疑で、FBIから指名手配されていたのだ。そのためダニーは幼い頃から各地を転々とし、そのたびに名前や髪の色を変えるなどして世間から身を隠していた。だが今回の引っ越し先であるニュージャージーの高校では、音楽教師からピアノの才能があることを認められ、音大への進学を奨められる。さらには教師の娘であるローナと恋仲になり、初めて普通の若者らしい生活を手に入れるかに見えた。だが、両親のかつての同志が突然訪れ、秘密をばらそうとしたことで事態は急展開する。

 監督が社会派サスペンスの名手であるシドニー・ルメットであることは少し意外だった。幾分社会問題風のネタに触れているとはいえ、このような青春ドラマと相性が良いのかどうか判然としなかったのだ。しかし、実際観てみるとルメットのスクエアーな演出力が、R・フェニックスの清新でナイーヴな持ち味と合致し、目覚ましい求心力を発揮していることに驚いた。

 マトモな人生を歩むことを小さい頃から遠ざけられてきた主人公が、思わず直面した転機に戸惑い、そして悩む。その内面の逡巡が観る者に痛いほど伝わってくる。一方で両親の昔の仲間が引き起こす事件には、この監督の持ち味である骨太なドラマ構築力が活きて、目が離せない。そしておそらくは観客の目頭を熱くさせたと思われるラストシーンでは、演者のパフォーマンスと揺るがない演出が見事にマッチし、大いに盛り上がる。

 R・フェニックスと交際していたと言われるマーサ・プリンプトンをはじめ、クリスティーン・ラーティ、ジャド・ハーシュ、ジョナス・オブリーら他のキャストも万全。トニー・モットーラの音楽とジェリー・フィッシャーの撮影は及第点。なお、原題の“ランニング・オン・エンプティ”とは“空っぽの状態で走り続ける”といった意味だが、個人的にはジャクソン・ブラウンの同名のヒット曲(77年リリース、邦題は“孤独なランナー”)を思い出してしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする