元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「アイスクリームフィーバー」

2023-08-12 06:07:08 | 映画の感想(あ行)
 これは参った。今どき“こういう映像”や“こういう作劇”をオシャレだと思っている作家がいて、そんなスタンスを“そのまま”映画にしてしまったプロデューサー陣も存在しているという事実に接すると、まさにアイスクリームを急に食べた際の頭と奥歯がキーンと痛む現象と似た、愉快ならざる症状を覚える(意味不明 ^^;)。とにかく、評価のしようがない作品だ。

 都内の美大を卒業してデザイン会社に就職した常田菜摘は、社風に馴染めず数年で退社。現在は渋谷のアイスクリーム店でアルバイトをしているものの、将来の展望は開けない。ある日菜摘は、店に入ってきた若い女性客に強い印象を受ける。彼女は作家の橋本佐保で、その独特のオーラに菜摘は心奪われてしまう。



 一方、アイスクリーム店の近所に住むOLの高嶋優の元に、姉の娘である高校生の美和が急に訪ねてくる。彼女は夏休みを利用して、数年前に出て行った父を探しに上京したという。成り行きで美和との共同生活に突入した優だが、実は優は昔、美和の父をめぐって姉とライバル関係にあった。川上未映子の短編小説「アイスクリーム熱」(私は未読)の映画化だ。

 菜摘と佐保の関係はまったくの絵空事。何かあるようで、実は何もない。同性愛的なテイストも匂わせるが、突っ込んだ描写は皆無。だから、話に求心力が出てこない。同じ店で働く貴子は何かと菜摘のことを気に掛けているようだが、具体的に何をしたいのか分からない。聞くところによると原作では佐保のポジションにいるのは男性とのことだが、わざわざ変更した意図は見いだせない。

 優と美和のエピソードは菜摘たちのそれよりいくらか分かりやすい。ただ面白いかと言われればそうでもなく、盛り上がりに欠けたまま推移。せいぜい優が行きつけの銭湯を買収するの何のという話が挿入される程度だ。斯様にストーリーは微温的に進むだけなのだが、エクステリアはヘンに気取っている。奇を衒ったようなスタンダード・サイズの画面にパステル調の色合い。カメラワークは決まらずカッティングも恣意的に過ぎるのだが、撮っている側は“こういうのがイケている”と思い込んでいるフシがある。

 監督はアートディレクターの千原徹也なる人物で、これが初演出とのこと。悪い意味で“なるほどなァ”と納得するような出来だ。吉岡里帆にモトーラ世理奈、安達祐実、MEGUMI、松本まりかとキャストは多彩ながら大した仕事はさせてもらっていない。貴子に扮する詩羽は音楽ユニット“水曜日のカンパネラ”のヴォーカルだが、彼女でなければならない必然性は希薄。ついでに言うと“水曜日のカンパネラ”の前任ヴォーカルのコムアイも出ており、作者がこのユニットのファンであることは窺えるが、それが映画的にどうだという話でもない。
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「仁義なき戦い 頂上作戦」

2023-08-11 06:08:25 | 映画の感想(さ行)
 74年東映作品。シリーズ第四作目だが、第一作(73年)にいくらかは感じられた主要登場人物たちのヒロイックな造形は完全に無くなっており、全編これ欲得尽くに振る舞うヤクザどもの無軌道な行状がこれでもかと展開する。まさしく“仁義なき戦い”そのもので、現実を正しく照射しているという意味では大いに存在感のあるシャシンだ。

 前作から引き続き描かれる、昭和38年の広島を舞台にした明石組と神和会という神戸の広域暴力団2つの代理戦争は激化の一途をたどっていた。カタギの市民にも被害が及ぶに至り、広島県警はついに本格的な暴力団撲滅に乗り出し、“頂上作戦”と銘打った幹部の一斉検挙を敢行する。その頃、呉市を根城にする広能昌三率いる広能組は明石組系の打本組に与していたが、神和会系の山守組傘下の槙原組と激しく対立していた。



 広能たちは中立を守る義西会の岡島会長を味方に引き入れようとするが、交渉が成立する前に広能組の若衆が勝手に事を起こす。それを切っ掛けに広能組と山守組との関係は一触即発になるが、広能は殺された組員の葬式を行なうという名目で、全国から大勢の助っ人を呼び寄せて一気に山守組を潰そうとする。昭和38年から40年まで続いた第二次広島抗争を題材にした実録物だ。

 一応は主人公で狂言回し的な役どころも担っていた広能は映画の中盤で表舞台から退き、あとは各組の構成員たちの勝手な狼藉ぶりが延々と繰り広げられる。前回まではその背景には金目の話以外に面子とかプライドとかいう心情的なものが介在していたようだが、今回はそれさえも無い。本作の狼藉行為の主役になっている若い連中は、組のためとか筋を通すためとか、そんな建前的なことは一切考えない。単に自分たちが気に入らないとか、ただ暴れたいとか、そういう動物並みの感情によりひたすら凶器を振り回す。

 すでに中年以後の年齢に達した幹部連中は得にならない争いは極力したくはないのだが、下の者たちが動き回っている関係上、事を穏便に収めることが出来なくなっている。中には岡島のように関与しないことを公言しているにも関わらず、いつの間にか消されてしまう例もあるほどだ。多数の犠牲者を出しながらも、最終的に誰の何の利益にもならなかった広島抗争の有様を通じて、映画は戦いの無常さを強く印象付ける。

 終盤、寒風に晒されながら暴力の応酬の虚しさを語り合う広能と山守組若衆頭の武田の姿が、作者が最も言いたかったことを象徴している。深作欣二の演出は相変わらずパワフルで、密度の濃さを見せつけながらも1時間40分の適度な尺に収めているあたりは名人芸。菅原文太に黒沢年雄、加藤武、小林稔侍、金子信雄、田中邦衛、小林旭、山城新伍、梅宮辰夫、夏八木勲、小池朝雄、松方弘樹など、キャストは強力。吉田貞次によるカメラワークと津島利章の音楽も手堅い。
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「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」

2023-08-07 06:05:07 | 映画の感想(あ行)
 (原題:INDIANA JONES AND THE DIAL OF DESTINY )前作「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」の公開から15年も経っているのに、引き続きハリソン・フォードが主人公を演じているという事前情報だけで、期待するのは禁物だなと身構えた。そして実際に作品に接し、その予想は的中した。

 前回はインディの息子のマットが登場し、いよいよ本シリーズも仕切り直しかと思ったら、マットに扮していたシャイア・ラブーフが出られなくなったということで、ハリソン大先生演じる老インディの続投と相成ったらしい。つまりは、世代交代に失敗したのである。ラブーフが登板出来ないのならば別の俳優を持ってきても一向に構わないと思うのだが、諸般の事情とやらでそれが不可になったとか。



 いくらハリソン御大が年の割には元気だといっても、80歳の高齢者にアクションを昔と同じスタイルでやらせるのは、製作者側の自己満足と片付けられても仕方がない。事実、老体に鞭打った挙句に“身体のあちこちが痛い”と自虐的に呟いても、そこにはユーモアは醸し出されずに痛々しさばかりが強調される。これではダメだ。

 それでも映画の内容が面白ければ何とか許せるのだが、これがどうにも弱体気味。時代設定は1969年で、インディが勤める大学の講義の最中に、旧友の娘ヘレナが現れる。彼女は、戦時中にインディがナチスから奪った秘宝“アンティキティラのダイヤル”の片割れの捜索を持ち掛ける。この秘宝は世界を変えるほどのパワーを持っているらしい。一方、かつてのナチスの科学者フォラーもこのお宝を探しており、インディとの争奪戦が勃発するという筋書きだが、古代の謎をめぐるナチスとのバトルという設定自体マンネリだ。

 インディたちの大暴れはワールドワイドに展開するものの、どの活劇場面も既視感がある。ジェームズ・ボンド映画やアメコミ作品などのアクションシーンと御膳立てはさほど変わらない。加えて、ヘレナも途中からインディたちを助ける少年も、ほとんど魅力が無い。特にヘレナはガサツで暴力的で愛嬌に欠け、観ていてウンザリする。善玉キャラが意味も無く次々と殺されるのも気分が悪く、そして何より、インディの息子がすでに戦死しているという話には絶句した。

 ジェームズ・マンゴールドの演出は冗長で、賑やかな画面とは裏腹に退屈だ。結果としてシリーズ最長の2時間半強という尺に達してしまったが、大作感はそれほど出ていない。フィービー・ウォーラー=ブリッジにアントニオ・バンデラス、ジョン・リス=デイヴィス、トビー・ジョーンズら共演陣はパッとせず、目立っていたのが敵の首魁を演じたマッツ・ミケルセンだけという結果には脱力するばかり。

 当然インディ・ジョーンズの冒険もこれで終わりになるわけだが、キャラクターの若返りを自ら拒否した結果が、今後もある程度は観客動員が見込めるシリーズを自ら反故にしてしまったわけで、何とも釈然としない気分になる。
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「ミックスド・バイ・エリー 俺たちの音楽帝国」

2023-08-06 06:05:18 | 映画の感想(ま行)

 (原題:MIXED BY ERRY )2023年5月よりNetflixより配信。取り上げられた題材は興味深く、各キャラクターは十分“立って”いる。正直、ストーリー自体はそれほどでもないのだが、作品のカラーは捨てがたく、観て損しないレベルに仕上げられていると思う。特に音楽好きにはアピールするところが大きいだろう。

 1980年代のナポリ。フォルチェッラ地区に住むDJ志望の若者エンリコ(通称エリー)は、兄と弟と共に既存の音楽ソースから自身で選曲したカセットテープを作成し、それを大量生産して売りさばくビジネスを始める。これが大当たりして販路を全国規模に広げるが、サンレモ音楽祭の未発表音源を海賊版としてリリースしたことを切っ掛けに警察からマークされるようになる。実話に基づいたシモーナ・フラスカのノンフィクション小説の映画化だ。

 冒頭、くだんの三兄弟が服役する場面が描かれるので結末は分かっている。映画はそれから時制を遡ってエリーたちがこの一件に手を染めた経緯が示されるのだが、DJとして芽が出ないことを思い知らされたエリーがミックステープの作成に行き着いたという話は、いささか強引ながら納得できる。音楽に関わる仕事という意味では同じだし、この時代はそれが許されていたのだ。

 しかも、三兄弟の父親はニセ高級酒の詐欺販売という香ばしい稼業に身をやつしており、それを子供の頃から手伝っていたエリーに罪の意識など最初から無かったと推察される。とはいえ、ストーリー展開は一本調子で捻ったところは見られない。それが不満点ではあるのだが、当時の音楽業界の事情は分かりやすく描かれている。

 著作権という概念が一般的ではなく、音楽雑誌などにもブートレッグ盤の広告が大っぴらに出回っていた時代。それがCDの登場により無断複製が問題視されるようになるプロセスが平易に紹介されている。また、80年代の楽曲が鳴り響くのも楽しい。個人的にはこの頃のポップスを積極的に聴いたことはないが、現時点で接すると懐かしい気分になる。

 シドニー・シビリアの演出は突出したところは見当たらないが、破綻無くドラマを奨めている。ルイジ・ドリアーノにジュゼッペ・アリーナ、エマヌエーレ・パルンボ、フランチェスコ・ディ・レーヴァ、クリスティアーナ・デランナといった顔ぶれも申し分ない。また、劇中で描かれるナポリの下町の風景は、古いイタリア映画を思い起こさせて効果的だ。
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「山女」

2023-08-05 06:08:02 | 映画の感想(や行)
 題材と作品の雰囲気は悪くないが、釈然としない部分目立ち、個人的には評価しがたい。柳田國男の「遠野物語」に着想を得た作品としては、82年に公開された村野鐵太郎監督の「遠野物語」よりはマシだとは思う。しかしながら、元ネタが逸話や伝承に基づいた一種のファンタジーであっても、ドラマ化する場合はストーリーの整合性は保たれるべきだ。本作はその点が食い足りない。

 18世紀後半の東北地方は冷害に見舞われ、主人公の若い娘・凛の住む村でも食糧難にあえいでいた。しかも、凛の父の伊兵衛は先祖の罪により村人から冷遇されている。苦しさに耐えかねた伊兵衛はある“事件”を引き起こしてしまうが、凛は父の代わりに全責任を負い村を去る。一人で山の奥深くへ進んだ彼女は、そこで半人半獣の不思議な男と出会う。彼こそ村人たちから恐れられる山男だったが、凛はその男と行動を共にするようになる。



 村の状況は厳しいはずだが、どうも全体的に描写が小綺麗だ。もちろん、リアリズムを強調して観る者に過度の不快感を与える必要はないが、この映画には実体感が不足している。山男はどうして以前から村人にその存在を知られ、恐れられていたのか、その事情がハッキリしない。また、どうやって生き延びていたのかも不明。特に東北の冬を乗り切れるだけの備えも無いように見えるのには、違和感を覚えるばかり。そして、勿体ぶって出てきた割にはあまり活躍しないのには脱力する。

 凛の風体はこの時代の人間とも思えないほど身ぎれいだ。他の村人も一応はそれらしい格好はしているものの、役になりきっていないように思える。終盤は伝奇的な展開になるが、それほど劇的でもない。いわば想定の範囲内だ。

 長田育恵と共に脚本も担当した福永壮志の演出は、時代劇としての体裁を整えることより理不尽な村八分の実態やヒロインの境遇等を通して現代にも通じる社会問題を炙り出そうとするかのような仕事ぶりだが、キャストの演技指導の面では腰が据わっていない印象を受ける。

 凛に扮するのは山田杏奈だが、明らかに作品のカラーからは浮いている。2021年公開の「彼女が好きなものは」や「ひらいて」で見せた彼女の強烈な個性が抑制されているようで、観ていて不満だ。永瀬正敏に三浦透子、森山未來、山中崇、川瀬陽太、白川和子、品川徹、でんでんなど芸達者な面子を集めてはいるが、あまり機能していない。とはいえダニエル・サティノフのカメラによる鬱蒼とした山中の風景や、アレックス・チャン・ハンタイの音楽は申し分なく、その点だけは認めたい。
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「見えない目撃者」

2023-08-04 06:05:26 | 映画の感想(ま行)
 2019年作品。キャストは頑張っている。ドラマ運びもスピーディーだ。しかし脚本があまりにも不出来である。2011年公開の韓国製サスペンス映画「ブラインド」(私は未見)のリメイクということだが、この企画が持ち上がる際にプロデューサーはシナリオをチェックしなかったのだろうか。それとも、作劇に勢いさえあれば筋書きの欠点など余裕でカバーできると踏んだのか。いずれにしろ、評価しがたい内容だ。

 新人警察官の浜中なつめは、警察学校の卒業式の夜に弟の大樹を車に乗せて帰宅中、事故を起こしてしまう。大樹は死亡し、なつめ自身は視力を失い警察官の道を諦めるしかなかった。それから3年経ったある晩、盲導犬のパルと共に外出中、なつめは車の接触事故に遭遇する。そこで車中から助けを求める少女の声を聞いた彼女は、誘拐事件の可能性を考え警察に通報する。だが、警察は目の見えない彼女の言い分を聞き入れない。納得できないなつめは事故現場で車に接触したスケボー少年の国崎春馬を探し出し、独自に捜査を始める。



 まず、ヒロインが失明する原因になった自動車事故は、完全に彼女の過失だ。新米とはいえ、警察官がやらかすミスとは考えにくい。そして真犯人はどうして初めの接触事故の際に“目撃者”であるなつめと春馬を始末しようと考えなかったのか、大いに謎だ。ハッキリ言うと、犯人は誰なのか早い時点で見当が付く。だが、その先入観を覆すような仕掛けも無い。

 目が見えないため動作の遅いヒロインを、これまたノンビリと歩いて追い詰めようとする犯人。地下鉄の駅に逃げ込んだなつめだが、そこには駅員が一人もいない異世界(苦笑)。当のなつめも、運良く乗り込んだ地下鉄で他の客に助けを求めようとせず、下車した駅にはいつの間にか犯人が待ち構えているという意味不明の展開。

 敵のアジトを突き止めて応援を要請したにもかかわらず、それを待たずに単独で行動する刑事。加えて、銃声が聞こえてヤバい状況になったにも関わらず、あえて敵地に乗り込むなつめと春馬。さらには応援の警察隊が駆けつけるのは要請から数時間も経った後という、あり得ない顛末。まさに、ツッコミどころ満載の中身だ。森淳一の演出は歯切れは良いが、ストーリー自体がこのような有様なので空回り状態。

 主演の吉岡里帆は健闘している。同世代の女優の中ではそれほど演技が上手い方だとは思わないが、それでも必死でやっているのは認めて良い。高杉真宙に大倉孝二、浅香航大、酒向芳、國村隼、松田美由紀、田口トモロヲと、演技が下手な者はいないのだが、話がこの程度なので“ご苦労さん”としか言いようがない。改めて、同様のネタの元祖とも言うべきオードリー・ヘップバーン主演の「暗くなるまで待って」(1967年)がいかに快作だったのか思い知らされた。
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