2025(令和7)年 4月号(No.137) 了雲寺 釈幸華 |
慶聞抄(きょうもんしょう)
もう渡らない鴨さんたち。でも川での暮らしには「不断の努力」がいるんじゃないの?
そうでないと流される・・・
サイの角のように
Sよ、あなたのお守りをしたの、2歳くらいやったか、六甲の人工スキー場で、お兄ちゃんとお父さんがソリ遊びに夢中になってる間、ずーーッと大泣きしっぱなしやった! あまりのことに、見ず知らずのお父さんが「どうかされましたか?」と心配げに声をかけてくれたくらい。いやいや、ただ単にママがいないので機嫌悪いだけ。根性あったワ、あの時から。
小学校に入ったから、(お兄ちゃんにそうしたように)自転車旅行に誘ったら、「それだけはかんべんして」と、ママのスカートに隠れたね。さてはお兄ちゃんから何か聞いていたか、孫娘と遊べると思い込んでいたジジとババは挫折。
以来ついに、あなたと遊んだ思い出はこれと言ってないのです。中学ではバレーボール、高校では(ママの影響か)ダンス部、塾や友達やとかでいつも忙しかったね。
Sよ、卒業おめでとう! 大学も決まって18歳のあなたは、この春に古巣を飛び立つ。そこで、遊んで貰えなかったババは今こそ一言(二言)言っておきたいことがある。
女性部で一緒やった退職者仲間の名前が最近「とらつば会」になりました。みんな、朝ドラ「寅に翼」に感動したからです。講演の弁護士さんが「このシーン、良かったですね」と真っ先に挙げたのが、(最初の)夫・雄三が出征を前にして、夫の優しさに付け込んでしまったことを謝る寅子に言った言葉。
「トラちゃんが僕にできることは謝ることじゃないよ。トラちゃんのできることは、トラちゃんの好きに生きることです」と激励し、「僕が大好きな、あの~、何かに無我夢中になっているときのトラちゃんの顔をして、何かを頑張ってくれること。いや、やっぱり頑張らなくてもいい。トラちゃんが後悔せず、心から人生をやり切ってくれること。それが僕の望みです」
社会科教師だったから、余計な解説をついしたがるババだけど、コレ、憲法第11条:基本的人権・第12条:不断の努力・第13条:個人として尊重、生命、自由及び幸福追求の権利・第14条:法の下の平等と、キラ星の如く詰まっているところを全部言ってくれているのだからね!
後悔することなく人生をやり切る! そのためには、先ず平和、そして物価も落ち着いていて災害もない(あっても必要な対策がとられ)安穏な社会が前提なのは言うまでもないのだけれど、一人ひとりが間違ってはならないことがある。
それは、自分の人生は自分で決めるということ。自分で決めたのなら、例え思い通りいかなくても後悔だけはしないで済む。
Sよ、さらに、女性の切り込み隊長(と、勝手にこのババはよんでいるのだが)上野千鶴子さんの受け売りです。「自立」と「自律」は全く違います。英語では、自立はインディペンデンス、依存のない状態。自律はオートノミー、自己を律する、自己統治。私のことは私が決めるということ。
介護保険法の自立は「介護保険を使わない者が偉い。介護保険から卒業してください」ということ。それに対して障害者総合支援法の自立は「できない事は助けてもらってもかまわない、でも自分のことは自分で決める」という違いがあるのです。
障害者に限らずどんな人も生まれた時は勿論、やがては誰かに世話してもらわないと生きていくことができません。人は依存的な存在として生まれ、依存的な存在として死んでいきます。
*お東の女性広報誌「あいあう」34 一人(いちにん)に立つ より
サイの角のようにただ独り歩め お釈迦さま
合掌
釈明和の
明かる~く和む今月の一言
先日は、大阪教区石川南組、宗祖親鸞聖人御誕生850年 立教開宗800年 慶讃法要が河内長野ラブリーホールで行われました。色彩豊かな袈裟と、けは(蓮の花びらをかたどった紙)が舞う美しい法要となりました。
第1部は音楽法要、第2部では記念イベントとして、落語家であり天台宗のお坊さんである露の団姫(つゆのまるこ)氏の落語と、相愛大学学長で宗教学者の釈徹宗氏の講演、そしてお二人のトークショーがありました。
私は、ゲストの送迎や接待の裏方で走り回っておりました。ダンスインストラクター時代の舞台で鍛えられていますので、裏方業はお手のもの。張り切って勤めさせていただきました。それにゲストの落語家、露の団姫さんの本を愛読していましたので、とてもラッキーなお役目でした。
そして、私のレッスンのマクラというのでしょうか? 最初のトークに使うネタもいただきました。「私、プロでやらせていただいているんですが、実は、アマなんです。(尼)」 どこかで使っていたら、アレや!と思ってください。きっと乱用します。(笑)
トークショーの中で、共感できることがいっぱいありました。天台宗の修行は、厳しいものだと聞いています。露の団姫さんも、修行したらパッと悟りを開けると思っていたそうです。
ところが、自由時間がないのは当たり前、寝る時間、食べるものも制限される中、修行の身の僧侶とてイライラし、愚痴を言い、争いが起きたり、、、ただただ自分の未熟さを痛感するばかりだったそうです。私も日々そう思っています。得度の時は、我先に食堂へ走っていました。
そんな悟りを開けない私たちのことも救ってくださる阿弥陀さま。ありがたいですよね。
ご参加くださった皆様、ありがとうございました。 合掌