♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして9年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄2025年4月号

2025-03-19 15:21:32 | 随想

2025(令和7)年

4月号(No.137)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

もう渡らない鴨さんたち。でも川での暮らしには「不断の努力」がいるんじゃないの?

そうでないと流される・・・

 

サイの角のように

Sよ、あなたのお守りをしたの、2歳くらいやったか、六甲の人工スキー場で、お兄ちゃんとお父さんがソリ遊びに夢中になってる間、ずーーッと大泣きしっぱなしやった! あまりのことに、見ず知らずのお父さんが「どうかされましたか?」と心配げに声をかけてくれたくらい。いやいや、ただ単にママがいないので機嫌悪いだけ。根性あったワ、あの時から。

小学校に入ったから、(お兄ちゃんにそうしたように)自転車旅行に誘ったら、「それだけはかんべんして」と、ママのスカートに隠れたね。さてはお兄ちゃんから何か聞いていたか、孫娘と遊べると思い込んでいたジジとババは挫折。

以来ついに、あなたと遊んだ思い出はこれと言ってないのです。中学ではバレーボール、高校では(ママの影響か)ダンス部、塾や友達やとかでいつも忙しかったね。

Sよ、卒業おめでとう! 大学も決まって18歳のあなたは、この春に古巣を飛び立つ。そこで、遊んで貰えなかったババは今こそ一言(二言)言っておきたいことがある。

女性部で一緒やった退職者仲間の名前が最近「とらつば会」になりました。みんな、朝ドラ「寅に翼」に感動したからです。講演の弁護士さんが「このシーン、良かったですね」と真っ先に挙げたのが、(最初の)夫・雄三が出征を前にして、夫の優しさに付け込んでしまったことを謝る寅子に言った言葉。

「トラちゃんが僕にできることは謝ることじゃないよ。トラちゃんのできることは、トラちゃんの好きに生きることです」と激励し、「僕が大好きな、あの~、何かに無我夢中になっているときのトラちゃんの顔をして、何かを頑張ってくれること。いや、やっぱり頑張らなくてもいい。トラちゃんが後悔せず、心から人生をやり切ってくれること。それが僕の望みです」

社会科教師だったから、余計な解説をついしたがるババだけど、コレ、憲法第11条:基本的人権・第12条:不断の努力・第13条:個人として尊重、生命、自由及び幸福追求の権利・第14条:法の下の平等と、キラ星の如く詰まっているところを全部言ってくれているのだからね!

後悔することなく人生をやり切る! そのためには、先ず平和、そして物価も落ち着いていて災害もない(あっても必要な対策がとられ)安穏な社会が前提なのは言うまでもないのだけれど、一人ひとりが間違ってはならないことがある。

それは、自分の人生は自分で決めるということ。自分で決めたのなら、例え思い通りいかなくても後悔だけはしないで済む。

Sよ、さらに、女性の切り込み隊長(と、勝手にこのババはよんでいるのだが)上野千鶴子さんの受け売りです。「自立」と「自律」は全く違います。英語では、自立はインディペンデンス、依存のない状態。自律はオートノミー、自己を律する、自己統治。私のことは私が決めるということ。

介護保険法の自立は「介護保険を使わない者が偉い。介護保険から卒業してください」ということ。それに対して障害者総合支援法の自立は「できない事は助けてもらってもかまわない、でも自分のことは自分で決める」という違いがあるのです。

障害者に限らずどんな人も生まれた時は勿論、やがては誰かに世話してもらわないと生きていくことができません。人は依存的な存在として生まれ、依存的な存在として死んでいきます。

*お東の女性広報誌「あいあう」34 一人(いちにん)に立つ より

 サイの角のようにただ独り歩め    お釈迦さま

                      合掌

 

釈明和

明かる~く和む今月の一言

 

先日は、大阪教区石川南組、宗祖親鸞聖人御誕生850年 立教開宗800年 慶讃法要が河内長野ラブリーホールで行われました。色彩豊かな袈裟と、けは(蓮の花びらをかたどった紙)が舞う美しい法要となりました。

第1部は音楽法要、第2部では記念イベントとして、落語家であり天台宗のお坊さんである露の団姫(つゆのまるこ)氏の落語と、相愛大学学長で宗教学者の釈徹宗氏の講演、そしてお二人のトークショーがありました。

私は、ゲストの送迎や接待の裏方で走り回っておりました。ダンスインストラクター時代の舞台で鍛えられていますので、裏方業はお手のもの。張り切って勤めさせていただきました。それにゲストの落語家、露の団姫さんの本を愛読していましたので、とてもラッキーなお役目でした。

そして、私のレッスンのマクラというのでしょうか? 最初のトークに使うネタもいただきました。「私、プロでやらせていただいているんですが、実は、アマなんです。(尼)」 どこかで使っていたら、アレや!と思ってください。きっと乱用します。(笑)

トークショーの中で、共感できることがいっぱいありました。天台宗の修行は、厳しいものだと聞いています。露の団姫さんも、修行したらパッと悟りを開けると思っていたそうです。

ところが、自由時間がないのは当たり前、寝る時間、食べるものも制限される中、修行の身の僧侶とてイライラし、愚痴を言い、争いが起きたり、、、ただただ自分の未熟さを痛感するばかりだったそうです。私も日々そう思っています。得度の時は、我先に食堂へ走っていました。

そんな悟りを開けない私たちのことも救ってくださる阿弥陀さま。ありがたいですよね。

ご参加くださった皆様、ありがとうございました。    合掌

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慶聞抄2025年3月号

2025-02-21 16:56:31 | 随想

2025(令和7)年

3月号(No.136)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

 

かならずかならず

2月の仏教女性会は、お弁当をとって新年会をしました。コロナもあって何年か振りかの、です。それに、昨年3人もの会員さんが往生され、いずれも家族葬のためお別れが出来なかったので、いつもと変わらないお勤めは追悼会になりました。

9年前の新年会の写真があったので見てもらいました。お元気だった頃の懐かしいお顔。それに今は施設に入っておられたり、お体に不自由があったりするので、17人は12人になっていました。

3月15日に、石川南組の親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の慶讃法要がお勤めになります。宗祖讃仰作法・音楽法要です。もう14年も前になりますが、親鸞聖人750回大遠忌でお参りした時の感動がよみがえります。この後半の和讃が有難くて、最近の朝のお勤めやお逮夜参りでもついこれに。

 

十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる

煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり

 

この私も念仏の衆生の一人、「心は38歳」と常日頃言っているので、煩悩は人並み以上。

 

五濁悪世のわれらこそ 金剛の信心ばかりにて ながく生死をすてはてて 自然(じねん)の浄土にいたるなれ

弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益(りやく)にて 無上覚をばさとるなり

 

トランプに呼応して、自国ファーストの「極右」が勢いづき、国連中心でやって来た戦後世界が崩壊の危機に瀕しています。新聞、本など読まない人が、SNSを鵜呑みにしてフェイクニュースを拡散するのだからたまらない。

五濁の中の「見濁」と言って、間違った意見が蔓延する状態をいうそうです。昔、グーテンベルクの活版印刷で「魔女裁判」がヨーロッパで横行したことを引き合いにしている記事を読みました。こんな世の中だからこそ、いただいた信心には違いはないのだけれど、お念仏の値打ちがダイアモンド級に輝きます。

 

弥陀の回向成就して 往相還相ふたつなり これらの回向によりてこそ 心行ともにえしむなれ

弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなふべし

 

往相はいのち終えてお浄土に行く姿、還相はお浄土に着いても残してきた者たちが心配でまたこちらに還ってきてくださる姿。阿弥陀さまのお陰で私は自由自在。どう考えてももう御恩報謝のお念仏しかありません!

 

最後は、宗祖親鸞聖人が関東のある方に書かれたお手紙で終わります。

 この身は いまは としきはまりて さふらへは さだめて さきたちて往生し 候はんすれは 浄土にて かならす かならず まちまいらせ さふらふへし

                 合掌

 

         天王寺にて・・特急「くろしお」

 

釈明和

明かる~く和む今月の一言

 

厳しい寒さに耐え、立春を迎えてココロもカラダも春に向かっています。

 

とは言え、まだまだ寒い時もあり、外気と身体の中のアンバランスから自立神経も乱れやすくなり、耳鳴り、めまい、耳の閉塞感を感じる方も多いです。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

 

先日、新聞で不登校の小中学生は、過去最多の34万人越えを記録し、これは11年間連続で増加している、というのを目にしました。

 

これが、現代社会の出した結果ですね。この結果が、良い悪いではなく、原因があってこんな結果が出ました、というもの。

 

仏教では因果と言います。種を蒔けば芽が出るし、木を燃やせば煙が出る。

 

日本が戦争に負けた時、孤児が増え、少年犯罪が増えました。少年たちが悪かったわけではなく、そうしなければ生きていけなかったわけです。

 

そして、焼野原からGHQの指導のもと少年法が改定され、家庭裁判所もできました。(朝ドラ「虎に翼」であった!)未来を創る子どもたちの教育として小中学校の9年間の義務教育が生まれました。

 

そんな夢の教育システムが、100年も経たないうちに子どもたちを苦しめている原因の一つになってきているのです。

 

ものごとは、それだけ速いスピードで変化しています。諸行無常ですね。

 

さて、ライフピボットという考え方をご存じでしょうか。

かつての日本人の常識は、教育を受け、仕事に就き、または家庭に入り、老後を迎えるという3段階のすごろくでした。

 

これからは、教育を選択し、仕事は何回も変え、死ぬまで何らかのカタチで社会に関わっていく、という人生をカスタマイズする生き方に変わるそうです。

 

なので、今の常識で判断して、その親御さんや子どもたちに余計なプレッシャーをかけないようにしたいものですね。 合掌

 

*カスタマイズする・・パソコン用語。既存のものに手を加えること。自分好みに作り変えること。

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慶聞抄2025年2月号

2025-01-22 13:51:08 | 随想

2025(令和7)年

2月号(No.135)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

噫(ああ)弘(ぐ)誓(ぜいの)強(ごう)縁(えん)

 年末、「震災支援を続ける会」&「てんぷる食堂よしざき」の

 能登半島地震支援活動に参加しました。輪島朝市での一周忌法要の

 あと、焼きソバとたこ焼きを作って食べてもらいました。

 

イスラエルとハマスの停戦。これはよしとして、問題はトランプ! ニュースのたびに顔がTVに出るのを嫌った連れ合いは、完璧にニュースを見なくなり(ミステリーは相変わらず)タブレットで用を足しています。そして、ザッカーバーグがファクトチェック(情報の正確性を検証すること)はしないと発表してからはフェイスブックも止めました。明らかにトランプに追従する姿勢です。かつては性的少数者や人種、移民などに対する偏見・差別を見逃さない姿勢だったのに。今のところ米国内だけですが、「自由な表現という原点に立ち返る」と言うのが聞き苦しい。言論よりビジネスでしょ!

「御堂さん」1月号の表紙の見返りに、元旦会(え)に、『総序』が読まれる寺院が多いとありました。これは、親鸞聖人の主著『教行信証』の冒頭に書かれた、たった2ページではありますが、あまりにも有名で格調高い序文です。

ひそかにおもんみれば、難思の弘誓(ぐぜい)は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり。

と、始まります。現代語版・・私なりに考えてみると、思いはかることのできない阿弥陀仏の本願は、渡ることのできない迷いの海を渡してくださる大きな船であり、何ものにもさまたげられないその光明は、煩悩の闇を破ってくださる智慧の輝きである。

このあと「観無量寿経」に出て来る王舎城の悲劇❘我が子が王である夫を殺し、自らも捕らわれる❘韋提希(イダイケ)に、阿弥陀仏の浄土を願わせ、如来の慈悲の心が簡潔に述べられます。あらゆる功徳をそなえた名号は、悪を転じて徳に変える正しい智慧のはたらきであり、得がたい金剛の(最上の)信心は、疑いを除いてさとりを得させてくださるまことの道であると。釈尊の説かれた教えの中で、この浄土の教えに及ぶものはなく、悟りの世界を願いながらも知識が少なく罪深く思うものは、このすぐれたまことの道に帰して、この信を尊ぶがよい。

「ああ、弘誓の強縁多生(たしょう)にも値(もうあ)ひがたく、真実の淨信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽(ふへい)せられば、かへってまた曠劫(こうごう)を経歴(きょうりゃく)せん。誠なるかな、摂取不捨の真言、超世稀有の正法、聞思して遅慮することなかれ。」

ああ、この大いなる本願は、いくたび生を重ねてもあえるものではなく、まことの信心はどれだけ時を経ても得ることはできない。思いがけずこの真実の行と信を得たなら、遠く過去からの因縁をよろこべ。もしまた、このたび疑いの網におおわれたら、もとのように果てしなく長い間迷い続けなければならないであろう。如来の本願の何とまことであることか。摂め取ってお捨てにならないという真実の仰せである。世に超えてたぐいまれな正しい法である。この本願のいわれを聞いて、疑いためらってはならない。

「ここに愚禿(自身のあり方を内省された言い方)釈の親鸞、慶ばしいかな、西番・月支(インドとパキスタン地域)の聖典、東夏・日域(中国と日本)の師釈(祖師方の解釈)に、遇(あ)ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。ここをもつて聞くところを慶び、獲(う)るところを嘆ずるなりと。」

ああ、は噫。声に出して読めば、800年前のご開山の胸の震えが感じられます。

ザッカ―バーグさんよ、あなたのこれからのビジネスに、どんな感動があるというのでしょうか ⁇                         

      合掌 

 

         

 除夜の鐘に集まって、年越し蕎麦をよばれました。

 

釈明和 

明る~く和む今月の一言

 

昨年は、大晦日に年越し蕎麦の振る舞いをさせていただきました。たくさんの方にお参りいただき、一緒に和やかに年を越すことができました。

 

ありがとうございました。

 

お参りくださった方に、お寺にどんな事を期待しますか ⁇ と聞いたところ、昔から神社仏閣に興味があるものの、お寺とはお葬式以外はご縁がなかったというご意見が多かったのです。

 

そして、お寺でしたい事で多かったのは、写経でした。

 

私自身も西山別院で正信偈の写経をしたことがあります。静かな環境で一心に丁寧にお経を書き写すだけなのですが、一つの事に集中する時間が有難く、これを毎日10分でも出来れば良いのになぁと感じたものです。

 

いつか了雲寺でも実現出来たらいいですね。

 

そして、仏教のこと、お寺での作法、葬儀の段取りなど、分からない事ばかりで毎回オロオロしている、誰に聞いていいか分からないので、教えてほしいともいただきました。

 

人の生死は、身内が一大事になってから焦る方が多いです。身内の介護も一緒ですよね。一大事になる前に、基礎知識があったなら・・と後悔することも多いですね。

 

最近、終活という言葉が流行っていますが、人生の棚卸・・在庫を確認する作業?・・もお手伝い出来ましょうか?

 

了雲寺がたくさんの方々とご縁がありますように、今年も頑張っていきます。

 

今年はヘビ年、脱皮の年です。新しい事を一つでもしていきましょう。

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慶聞抄2025年1月号

2024-12-21 10:56:28 | 随想

  モチノキ  日本原産。暑さに強い。樹皮から鳥もちを作ることができ、これが名前の由来。中国名は、全緑冬青。雌雄異株。(鳥もちは小鳥や虫を捕らえるのに使う。チューインガム状の粘り気のある物質)

2025(令和7)年

1月号(No.134)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

他者性を受け入れる

 

しまったしまった島倉千代子

こまったこまったこまどり姉妹

つい口に出しては「古っ」と自分で突っ込む。さっきも、やかんのお湯がハッと気がついた時にはもう半分も蒸発していて。仕事は一つひとつ片付けてと決心したこともまた次の瞬間には忘却の彼方。一番危険なのは自分であるとの自覚は深まるばかりです。

能登地震で幕開けの旧年でした。物価上昇、韓国の戒厳令など年末もびっくりすることが多く、嬉しいニュースは被爆者団体のノーベル平和賞くらいでしょうか。現代の菩薩行。新年は彼らが被爆してから80年になります。皮肉にも最も核戦争の危険が高まるやも。 

年末、金臺寺の高田先生からご本をいただきました。「りゅうこくブックス138 今ここの苦によりそう」 この数年の龍谷大学であった8人の先生方のご講演の記録です。全部紹介出来ないのが残念。以下厳選2つ。

先ず、中央仏教学院長・福間義朝師のお話。スナックの四十代のママさんは「一度死のうと思ったことがある」と、こんな話をしてくれました。

「同棲して結婚の約束もしていた男が、やっと貯めた金を持って逃げた。しかも同じお店の女の子と。1週間泣き続けて死のうと思った時、高校生で家出してそれっきりの実家に帰った。でも兄もそのお嫁らしい人も、父母も困ったような様子。

もういいやと思った時、おばあちゃんの写真が見えた。お仏壇の前に座ると一緒に正信偈をお勤めしていた時のことがよみがえってきて、日曜学校の住職の言葉も思い出された。

『この人生、決して思い通りにはいかない。時には、死のうと思うこともあるかもしれないけれど、阿弥陀さまはどんな時もしっかりとあなたを抱いていらっしゃるんですよ。』わんわん泣きながら正信偈を最後まで読んで、そこから人生をもう一回やり直しました。」

私が特にこの時代に必要だと思ったのは、高田文英師が紹介された故杉岡孝紀師の問題意識です。「他者の他者性」と表現されていますが、それは「他者は私が決して理解することのできない存在である。その理解できないという事実を無視して、勝手に自分のなかで理解したつもりになるならば、それは相手の独自性を抹殺することであり、それは暴力に他ならない」ということです。

「親鸞聖人もあらゆる諸仏や菩薩たちなど信仰の中に位置づけられているし、異なる考えの人びととの関係性や現実の生活のなかで考えを巡らされたことでした。」

それで思い出した、戦後間もない数年間使われたという旧文部省の教科書の記述があります。「民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは、まちがいである。民主主義の根本は、もっと深いところにある。それは、みんなの心の中にある。すべての人間を、個人として、尊厳な価値を持つものとして、取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である。」

 

天下和順し日月清明なり。風雨時をもってし、災厲(さいれい・天災や疫病)起こらず、国豊に民安くして兵戈用ゐることなし。(人民)徳を崇め仁を興しつとめて礼譲(らいじょう・礼儀と謙譲)を修す 

                        *仏説無量寿経 巻下

天災や疫病などは仕方ない部分がありますが、武器をとって争うことなく、思いやりの心を持ち礼儀を重んじ互いに譲り合うことが出来たら・・。五濁悪世の世界だからこそ、仏さまの世界がますます真実に輝きます。

 

よかったよかった吉永小百合

ありがとありがと南無阿弥陀仏   合掌

 

     民生・児童委員協議会からのプレゼント

 

釈明和 

明る~く和む今月の一言

 

2024年は、皆さまにとってどんな年だったでしょうか? 了雲寺にとっては、チャレンジの年でありました。

 

3月に僧籍を取得し、住職に習いお参りやお通夜に参加させていただきました。

 

大晦日には、除夜の鐘と初の年越しそばの振る舞いをさせていただきます。

 

「除夜」とは旧年を除く夜、すなわち大晦日の夜という意味です。煩悩の数とされる百八つの鐘を撞き、一年を振り返ると自然と感謝の気持ちがわいてきますね。

 

年越しそばの風習は、「長いお蕎麦のように長生きできますように」という願いがかけられています。

さて、2025年の了雲寺は、老若男女が集えるお寺としての活動を、少しずつ行っていきたいと思います。

 

こんな事をしてほしい、こんな助けがあると助かりますなどのリクエストもお待ちしています。

 

今後も起こるであろう災害や恐慌などでも、手と手を取り合って助け合えますように。

 

2025年了雲寺をどうぞ宜しくお願いします。

 

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慶聞抄2024年12月号

2024-11-22 04:35:09 | 随想

2024(令和6)年

12月号(No.133)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

        曽爾高原ーススキの原を行く

トランプショック

11月6日の朝。「またトラ」が現実になった日。スマホでいち早く米大統領選挙の結果を知った連れ合いは、「ニュースは見たくない」と言いました。友人からもラインで「ショック」の文字。私も「間違いなく地球環境は悪くなるし、貿易(摩擦)、戦争、差別と分断etc.が進み、民主主義どころか人類の破滅への歩みが顕著になることでしょう! 最悪のシナリオのスタート・・」と返していました。友人は、「ヒットラーも選挙で選ばれたからね・・」

チャーチルが言ったという言葉を思い出します。「民主主義は最悪の政治形態である。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては。」専制政治や独裁国家は嫌だから民主主義しかない。だけど、上手く回していくのは難しい。

スマホを見ていたらこんなのも。「公平な議論を進める手順の面倒さ。少数派の意見を大切にする心くばり。多数派が何ごとも数の力で押し通す危険。皆さんのクラスの話し合いや討論でも意見をまとめきれず、議長役は大変でしょう。でもそうした『苦労』が民主主義の土台をつくるのです。」劇場支配人・毎日新聞客員編集委員・玉木研二

そこのところを言っているのが日本国憲法第12条。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」

トランプを選んだ人たちに言いたい。彼をヒーロー扱いするのはよしましょう。むしろヒーローは作ってはダメなのです。ヒーローに熱狂するのは子どもだけでいい。(子どもさん、失礼!)熱狂は冷静な判断を阻害する。責任ある大人は、自分の責任まで人に負わせないし、他者に忠誠を誓わない。かつてJ.Fケネディは言いました。「国が諸君に何をしてくれるかを問うな。諸君が国に対して何をできるかを問え」

ハリスさんの敗北宣言をみてみましょう。「私たちの国で忠誠を誓う相手は大統領や政党ではなく、合衆国憲法と自らの良心、神です。・・(中略)・・ 自由のため、機会のため、公平のため、そしてすべての人の尊厳のための闘い・・私たちの国の核心にある理想、アメリカが最も輝く理想のための闘い・・私はこの闘いを決して諦めません。・・また、日々の生活の中でも静かに実行していきます。互いに親切と敬意をもって接し、見知らぬ人の顔に隣人を見出し、自分の力を人々を元気付けすべての人の尊厳を守る闘いのために使うという方法で。」

臆面もなくてらいもなく、こういうのを公の場で言うのがいい!特に後半がいい。これこそ憲法第12条のキモでしょう! 誰だってできる。

 美辞麗句ではない、ましてや誹謗中傷ではない、こういう演説を聞きたいと思います。言う方も聞く方も、自分を問い連帯を呼びかける態度と人間精神の高みへと誘う言葉を。私はそれを可能にする「神」に注目します。そしてあと1枚になった今年の法語カレンダーの、特に10月の言葉を思い出します。「人間が人間だけでやっていく 現代の問題はそこにある」

 

トランプショックの友人は「しばらくは溜まっている録画を見ます」と言いました。連れ合いは「人がいないところへ行きたい」とテレビのスイッチを切りました。(竹林の七賢人か!?) 私は、1930年代初めに似ているこの世界を前に、腹をくくってその目撃者になろうと思います。      合掌

 

 

釈明和 

明る~く和む今月の一言

 

了雲寺の報恩講さん、お陰様で無事お勤めすることが出来ました。有難うございました。

 

今年のご講師は、奈良からお越しくださった冬野先生でした。お話は分かりやすく、丁寧で、時々笑いあり、熱中して聞かせていただきました。

 

そのお話の中で、なぜ毎年このように報恩講をするのか、成り立ちやその意味を教えていただきました。

 

永仁2(1294)年、親鸞聖人のひ孫である本願寺第3代宗主の覚如上人が23歳の時、親鸞聖人の33回忌を本願寺にてお勤めされたことに由来します。

 

以来700年を超える歴史の中で、先人たちが親鸞聖人のご命日の法要を「報恩講」と

して脈々として受け継ぎ、今日まで大切にお勤めしてきました。

 

私が一番感心したのは、23歳の青年の一言で始まった報恩講という行事が、浄土真宗で一番重要な行事として今まで続いていることです。

 

こりゃ、何でも言ったもん勝ちやな(笑)

 

これは後世に絶対伝えたい!というものは、声を大にして言わないといけない。そして、それが行く行くその家の家風になるかも知れません。

 

反対に、不要な慣例や決まり事、意味も分からずやっていることもあるかと思います。

これ、一回やめてみません? って自分から声をあげてみてはいかがでしょうか?

 

*覚如上人は「報恩講私記」「本願寺聖人親鸞伝絵」など多くの著作を残され、また「大谷廟堂」の寺院化に尽すなど本願寺の実質的な開祖と言われています。

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