慶聞抄(きょうもんしょう)
慶讃法要を告げるポスター
立教開宗800年
3年前の1月に始まった新型コロナは、第8波真っ最中です。感染者数合計は3192万余人、死者数は6万余人。人口100万人あたりの新規感染者数は6333人で世界1です。(1/19現在)ワクチン開発に遅れをとったり、医療崩壊を招いたりで、伝染病に対するこれまでの認識が問い直されています。春には、インフルエンザ並みの扱いになるよう検討が始まりましたが、私はそうそうおさまるとは思えないのでこれには疑問です。
さて、この春と言えば宗門では、親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要がお勤めされます。
850年前といえば平安時代の末、1173(承安3)年5月21日(旧暦4月1日)のお生まれです。京都の東南、日野の里の藤原氏末流の下級貴族で、父・有範(ありのり)は皇太后の教育係?、母は源氏の流れをくむ女性と言われています。よくは分かりませんが、父と4人の兄弟がいずれも出家していることから、貴族政治から武家政治への転換期に一家にただならぬ事態が起こったことが推測されます。9歳の春、叔父・範綱に伴われて青蓮院に。慈円僧正が戒師だったのですが、この時、夕方遅かったので、「式は明日にしましょう」と言われて聖人が詠まれたと伝わる和歌が有名ですね。
明日ありと思ふ心のあだ桜
夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは
今はきれいに咲いている桜が夜中に嵐が吹いて散ってしまうかもしれない。この私も明日はどうなるか分からない。子ども心に自ら の進む道を定めておられたのでしょうか。
比叡山での20年におよぶ修行に行き詰まりを感じて、京都東山の吉水、法然聖人の草庵を訪ねられます。貴族と僧侶だけの仏教が、そこでは様々な身分の人に開かれていました。親鸞聖人29歳、法然聖人69歳、「雑行(ぞうぎょう)を棄てて本願に帰す」と主著全6巻の浄土真宗の根本聖典『顕浄土真実教行信証文類』略して『教行信証』にあります。
「雑行」とは何か。阿弥陀さまのお働き(他力)をいただく念仏=「正行」に対する行。いわゆる念仏以外の自力作善の行です。
私たちがお勤めする「正信偈」は、この「行巻」の最後にあり、そしてその「化巻上」に「わが元仁元年(1224年)」との記述があります。この時、聖人52歳。稲田の草庵(現在の茨城県・西念寺)で執筆されました。その後20年、推敲を重ねられるのですが、宗門ではこれをもって「立教開宗」の年と定めます。
国宝「教行信証」坂東本・親鸞聖人直筆 東本願寺蔵
前後しますが、「雑行」と切り捨てられた既成仏教団の怒りは想像できます。念仏禁止を求めて朝廷を動かし、4人が死罪、法然聖人や親鸞聖人は流罪になりました。(承元の法難・1207年) 華厳密教の明恵上人が法然批判の本を著したのは1212年。法然聖人は亡くなっており、その著『選択本願念仏集』を読み違えても反論できない。元仁元年は法然聖人の13回忌の年で、法然聖人のお墓が壊されるなどまたもや弾圧事件が起こります。『教行信証』は残された法然門下にとってその課題に応えるべき必然の書だったのです。
4月25日、近隣の3か寺で団体参拝を予定しています。希望される方はお申し出ください。コロナ対策で7人限定です。 合掌
慶讃法要を告げるポスター
立教開宗800年
3年前の1月に始まった新型コロナは、第8波真っ最中です。感染者数合計は3192万余人、死者数は6万余人。人口100万人あたりの新規感染者数は6333人で世界1です。(1/19現在)ワクチン開発に遅れをとったり、医療崩壊を招いたりで、伝染病に対するこれまでの認識が問い直されています。春には、インフルエンザ並みの扱いになるよう検討が始まりましたが、私はそうそうおさまるとは思えないのでこれには疑問です。
さて、この春と言えば宗門では、親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要がお勤めされます。
850年前といえば平安時代の末、1173(承安3)年5月21日(旧暦4月1日)のお生まれです。京都の東南、日野の里の藤原氏末流の下級貴族で、父・有範(ありのり)は皇太后の教育係?、母は源氏の流れをくむ女性と言われています。よくは分かりませんが、父と4人の兄弟がいずれも出家していることから、貴族政治から武家政治への転換期に一家にただならぬ事態が起こったことが推測されます。9歳の春、叔父・範綱に伴われて青蓮院に。慈円僧正が戒師だったのですが、この時、夕方遅かったので、「式は明日にしましょう」と言われて聖人が詠まれたと伝わる和歌が有名ですね。
明日ありと思ふ心のあだ桜
夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは
今はきれいに咲いている桜が夜中に嵐が吹いて散ってしまうかもしれない。この私も明日はどうなるか分からない。子ども心に自ら の進む道を定めておられたのでしょうか。
比叡山での20年におよぶ修行に行き詰まりを感じて、京都東山の吉水、法然聖人の草庵を訪ねられます。貴族と僧侶だけの仏教が、そこでは様々な身分の人に開かれていました。親鸞聖人29歳、法然聖人69歳、「雑行(ぞうぎょう)を棄てて本願に帰す」と主著全6巻の浄土真宗の根本聖典『顕浄土真実教行信証文類』略して『教行信証』にあります。
「雑行」とは何か。阿弥陀さまのお働き(他力)をいただく念仏=「正行」に対する行。いわゆる念仏以外の自力作善の行です。
私たちがお勤めする「正信偈」は、この「行巻」の最後にあり、そしてその「化巻上」に「わが元仁元年(1224年)」との記述があります。この時、聖人52歳。稲田の草庵(現在の茨城県・西念寺)で執筆されました。その後20年、推敲を重ねられるのですが、宗門ではこれをもって「立教開宗」の年と定めます。
国宝「教行信証」坂東本・親鸞聖人直筆 東本願寺蔵
前後しますが、「雑行」と切り捨てられた既成仏教団の怒りは想像できます。念仏禁止を求めて朝廷を動かし、4人が死罪、法然聖人や親鸞聖人は流罪になりました。(承元の法難・1207年) 華厳密教の明恵上人が法然批判の本を著したのは1212年。法然聖人は亡くなっており、その著『選択本願念仏集』を読み違えても反論できない。元仁元年は法然聖人の13回忌の年で、法然聖人のお墓が壊されるなどまたもや弾圧事件が起こります。『教行信証』は残された法然門下にとってその課題に応えるべき必然の書だったのです。
4月25日、近隣の3か寺で団体参拝を予定しています。希望される方はお申し出ください。コロナ対策で7人限定です。 合掌