大安寺 奈良県奈良市大安寺2丁目18-1
聖徳太子が創建した「熊凝精舎」がもとになっている。太子が「これを大寺にするように」と遺言を残したことから、百済川の近くに
場所を移し、「百済大寺」として造営が始まった。
場所を移し、「百済大寺」として造営が始まった。
百済大寺は、九重塔を持つその当時の最大の伽藍であったとされています。所在地は、広陵町の「百済寺」とされていたが、最近の
発掘調査により、桜井市の巨大な寺跡「吉備池廃寺」が百済大寺跡との見方が有力となってきている。
発掘調査により、桜井市の巨大な寺跡「吉備池廃寺」が百済大寺跡との見方が有力となってきている。
622 推古二十九 推古天皇、田村皇子を遣わして聖徳太子の病気を見舞う。太子、熊凝精舎を大寺と成すことを欲す。
639 舒明十一 百済川の側に百済大寺を建て、九重塔建つ。
九重塔と金堂石鴟尾が焼ける。
645 大化元 恵妙法師、百済寺の寺主となる。
668 天智七 丈六釈迦仏像并脇士菩薩等の像を安置する。
677 天武六 高市大寺を大官大寺とあらためる
639 舒明十一 百済川の側に百済大寺を建て、九重塔建つ。
九重塔と金堂石鴟尾が焼ける。
645 大化元 恵妙法師、百済寺の寺主となる。
668 天智七 丈六釈迦仏像并脇士菩薩等の像を安置する。
677 天武六 高市大寺を大官大寺とあらためる
本堂
嘶堂
不空羂索観音
讃仰殿
聖観音立像 不空羂索観音立像 楊柳観音立像
礎石跡