吉祥草寺----奈良県御所市茅原279
吉祥草寺は、役行者の開基と伝えられる寺院で、役行者誕生の霊地と伝説されている。「吉祥草寺」との寺名は、役行者が「吉祥草」という草を用いて庵を結び、仏神を祀ったことに由来すると伝わっています。境内には「産湯の井戸」といわれる古井戸がありますが、これについて「一童子現れ、自ら香精童子と称し、大峯の瀑水「香精水」を汲みて役行者を灌浴する。その水、地に滴りて、井戸となる」という言い伝えがある。また、行者堂(祖師堂)には、役行者32歳の自作像と役行者の母君である白専女像と阿弥陀如来が安置されています
本堂
観音堂
役行者--- 役行者は、続日本紀によると、姓が役公(えだちノきみ)で、名を小角(おづぬ)と云い、634年(舒明天皇6年)8月10日大和国葛木上郡茅原の里、奈良県御所市茅原の本山修験宗大本山・茅原山・金剛寿院「吉祥草寺」で生まれ、父は高鴨神に奉仕する高加茂朝臣(たかかもノあそん)で、
加茂役君(かもノえだちノきみ)、加茂間賀介麻(まかげまろ)と云い、又の名を大角(おおづぬ)。母は渡都岐比売(とときひめ)、又の名を白専女(しらとうめ)、刀自女(とらめ)と云って、第25代武烈天皇の御代(6世紀初期)大伴金村に攻め滅ぼされた大臣物部真鳥の娘
蔵王権現
不動明王
十一面千手観音