瑞光寺 京都市伏見区深草坊町4
瑞光寺は開祖元政上人開祖のゆえに『元政庵 瑞光寺』といい、別称、上人が竹を好まれたところか ら『竹葉庵』とも称します。 1655、幽趣を愛でた元政上人は、洛南深草の竹の里、旧極楽寺に草庵を結び、庵の名を章安大師の故事にちなんで、称心庵と名付けた。これが瑞光寺の始まりである
山門
玄関帝釈天王・白龍弁財天三十番神社
寂音堂
本堂 1661年
内陣
玄関元政上人廟
嘉祥寺 伏見区深草坊町71番地
嘉祥寺は通称深草聖天(深草聖天)とも言い日本最初の歓喜天と言われる石碑が表参道に建って居ます。 歓喜天とは仏道の魔を拝する神とも言われ、 頭は象で胴は人間の姿をして男女が抱擁して居る像が多くその為秘仏とされているものが多く夫婦和合、子授けの神として信仰されている
歓喜聖天
十二帝供養塔
境内
歴代住職の墓
天皇十二帝陵(深草北陵)嘉祥寺の門を真っ直ぐ細い路地を突き当たり右手に、JR奈良線の手十二帝陵がある。
鎌倉時代にこの地に安楽行院という寺院が創建され、その法華堂に12人の天皇の遺骨が納骨されていた。応仁の乱以降に安楽行院は焼失し、法華堂は残ったものの、その後は荒廃します。江戸中期に再建され、明治時代には法華堂の周辺が深草北陵として整備された
制札 深草北陵ですが、12代の天皇の陵墓ということで、地元では深草十二帝陵と呼ばれています