若宮八幡宮
ご祭神:
誉田別尊 (ほんだわけのみこと:応神天皇)
第四本宮の祭神・神功皇后の御子で、第15代応神天皇です。八幡神ともいわれています。 武内宿禰 (たけしうちのすくね:<国家鎮護・厄除開運・安産育児>)
1月12日に行なわれる例祭では、湯立神楽が行なわれます。笛と太鼓の音に合わせた巫女の舞とともに「湯立神事 」が行なわれます。神前に四つの大釜を据え、御幣を振り、笹にて煮えたぎる釜湯を撒きあげる
姿は圧巻です。歴史的背景:この神事は、五穀の豊作を占うとともに、神霊のよみがえり・更新を意味し、春の初めに行うのは、穀物の豊穣を祈るためだといわれています。
祭主一礼に続いて巫女の舞、そして湯立神事。最初に塩、次に米、そして酒が注がれ、炊き上がった糧を神に奉納し、クライマックスの笹による煮えたぎった釜湯の撒きあげに移行する。
次いで巫女による天の岩戸の神楽が奉納され、祭主による祝詞奏上で一連の神事が終わります 約1時間
若宮八幡宮
神楽女
塩
お酒・足は素足
釜の湯を注ぐ桶
笹の葉
笹にて煮えたぎる釜湯を撒きあげる
退場
天の岩戸の神楽
庚申堂 大阪・四天王寺南大門から南へ約200mにあり、以前は四天王寺の末寺だったが、今は独立して『総本山四天王寺庚申堂』と称し、『本邦最初の庚申尊』を誇っている。
青面金剛と三猿
中国道教では、天帝を北斗と同一視することもあり、北斗は天・地・水の三官とともに人の功過善悪を調べ、生死禍福を司るといわれる。江戸時代になると、庚申信仰は、この北斗を本地(本地垂迹の元になるほう)とする比叡山の山王信仰と結びつき、山王権現の使者・猿=申という連想から庚申と結びついたとも考えられるやがて三猿を三尸の虫になぞらえ、「見ざる・言わざる・聞かざる」で、天帝に罪を報告させない、という意味へこじつけていったようである
山門
西門
本堂
七福神
三猿
吉野山口神社・高鉾神社 吉野郡吉野町山口634 祭神;大山祇命
貞観元年正月には正五位下を授かっています 延喜式内の大社に列し、月次新嘗の官幣に預かる「高鉾神社」祭神;高皇産霊神・神皇産霊神 祭祀不詳ですが、延喜式内の小社に列しています 元は、龍門山山上に鎮座していた
拝殿
本殿
高鉾神社
本殿
本殿横
下乗石
下乗石 吉野郡吉野町山口
元弘3年(1333)在銘の「下乗石」です 高さ204cm (重要美術品)頂部の宝珠は後世に載せられた物のようです 塔身上部には月輪内に梵字を刻んでいます通りに面した塔身西面に下乗の文字を刻み、南面に龍門寺・北面に「元弘三年 癸酉 卯月八日」の刻銘が有ります 保護のため鉄柵で囲まれています
龍門の滝 龍門岳の山腹にある高さ10メートル程の滝で、江戸時代にここを訪れた松尾芭蕉が詠んだとされる「龍門の花や上戸の土産にせん」という句碑があります
龍門寺塔跡 白鳳時代に建てられた三重塔跡です 撮影日;2013.05.18 「龍門寺」は7世紀後半に義淵僧正が岡寺「龍蓋寺」と共に国家隆泰・藤氏栄昌のために建立したと伝えられています 金堂・三重塔・六角堂・僧房などの伽藍が立ち並んでいました 三大実録や扶桑略記・今昔物語等に散見し、比曽寺とともに吉野川右岸に並び建つ大寺として特殊な寺格を有していたようです(比曾寺跡) 平安時代には清和上皇・宇多上皇・菅原道真・藤原長道ら、当時の殿上人も「龍門寺」を参詣しています
山口薬師寺 奈良県吉野郡吉野町山口 鎌倉時代中期に造立された宝篋印塔です 建治4年(1276)の銘があり、重要文化財に指定されています
宝篋印塔・重文1278年
五輪塔