法楽寺 大阪市東住吉区山坂1-18-30
「小松院」とあるように、平重盛(小松殿)の創建で、保元や平治の乱で戦死した兵士の霊を敵味方の区別なく葬りたいとする重盛の厚い信仰心から建造されたとする説と、この寺を基点として河内源氏の動静を重盛が探ったとする説とがあります。
境内には書道家・小坂奇石の遺族の寄贈により建造された小坂記念館があり、故人の経歴や遺作が紹介されています。また、梵字(サンスクリット)や日本史の研究でも有名な慈雲尊者(1718~1804)が、この寺で13才の時に出家しています。
伝承によれば、源平の戦乱で戦死した平家と源氏の霊を怨親平等に弔うために、源義朝の念持仏であった如意輪観世音菩薩を安置し、壮麗な伽藍が営まれたことが起源とされる
山門
本堂
三重塔・平成8年(1996年)11月26日-三笠宮崇仁親王臨席のもと落慶法要
三重塔 本尊大日如来、脇侍 不動明王立像・愛染明王坐像
大師堂
800年 樹高26m、幹の外周は8m。枝葉の外周は26m。大阪府下では住吉大社の楠の次に古い、樹齢800年の木であると言われていおり、昭和56年6月1日には「大阪府指定天然記念物」の指定を受けている
山阪神社 大阪市東住吉区山坂2-19-22
当社は一に田辺神社といい、三代実録にも掲載されている「田辺西ノ神」です。
田辺の地名は、田辺宿禰に関係ありといわれておりますが、詳かではありません。
天穂日命の子孫が、この土地に住し、その祖神 天穂日命を祀って社殿を建立しました。さらに、その同族土師(ハジ)氏たる野見宿禰命を合わせて祀られたのが当社の創めとされています。
後に土師氏弓部十六人を率い神功皇后に従い三韓に渡り偉功をあらわしたとあります。凱旋後、摂津住吉神社創立と共に、その地に邸宅を賜り梅園氏と称し、住吉松葉大記によりますと、大海、大依羅、開口、座摩、生国魂の各末社の上位にしるされ、当社が住吉大社より重視されていたあかしでもあります
拝殿
拝殿内
遥拝所
遥拝所
力石 右端 千代の富士貢 本人が書いたもの