週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

法楽寺  山阪神社  2016.02.10

2016年02月10日 | 神社仏閣

  

法楽寺 大阪市東住吉区山坂1-18-30
「小松院」とあるように、平重盛(小松殿)の創建で、保元や平治の乱で戦死した兵士の霊を敵味方の区別なく葬りたいとする重盛の厚い信仰心から建造されたとする説と、この寺を基点として河内源氏の動静を重盛が探ったとする説とがあります。
境内には書道家・小坂奇石の遺族の寄贈により建造された小坂記念館があり、故人の経歴や遺作が紹介されています。また、梵字(サンスクリット)や日本史の研究でも有名な慈雲尊者(1718~1804)が、この寺で13才の時に出家しています。
伝承によれば、源平の戦乱で戦死した平家と源氏の霊を怨親平等に弔うために、源義朝の念持仏であった如意輪観世音菩薩を安置し、壮麗な伽藍が営まれたことが起源とされる

 

 

山門

本堂

三重塔・平成8年(1996年)1126日-三笠宮崇仁親王臨席のもと落慶法要 

     

三重塔 本尊大日如来、脇侍 不動明王立像・愛染明王坐像

八十八カ所

大師堂

 大楠 楠大明神

800年 樹高26m、幹の外周は8m。枝葉の外周は26m。大阪府下では住吉大社の楠の次に古い、樹齢800年の木であると言われていおり、昭和56年6月1日には「大阪府指定天然記念物」の指定を受けている

 模型    

田辺大根由来難波大道跡

 

 

山阪神社  大阪市東住吉区山坂2-19-22
当社は一に田辺神社といい、三代実録にも掲載されている「田辺西ノ神」です。
  田辺の地名は、田辺宿禰に関係ありといわれておりますが、詳かではありません。
  天穂日命の子孫が、この土地に住し、その祖神 天穂日命を祀って社殿を建立しました。さらに、その同族土師(ハジ)氏たる野見宿禰命を合わせて祀られたのが当社の創めとされています。
  後に土師氏弓部十六人を率い神功皇后に従い三韓に渡り偉功をあらわしたとあります。凱旋後、摂津住吉神社創立と共に、その地に邸宅を賜り梅園氏と称し、住吉松葉大記によりますと、大海、大依羅、開口、座摩、生国魂の各末社の上位にしるされ、当社が住吉大社より重視されていたあかしでもあります 

拝殿

拝殿内

稲荷社 

 三宝荒神  

遥拝所

遥拝所

力石 右端 千代の富士貢 本人が書いたもの

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二条城 その2 2016.02.04

2016年02月09日 | 神社仏閣

二の丸御殿(遠侍と車寄)

御殿の天井黒書院大広間

二の丸御殿唐門

唐門と築地

鳳凰

懸 魚

  

 入り口

二の丸庭園

白書院

本丸庭園  本丸御殿本丸御殿御殿 本丸御殿玄関本丸櫓門蘇鉄

本丸庭園

北中仕切り門土蔵城入り口

櫓門

   天守閣より   天守閣跡    

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二条城 その1 2016.02.04

2016年02月09日 | 神社仏閣

二条城  京都市中京区二条通堀川西入二条城町541  拝観料 600園
二条城は(1603)徳川初代将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営し、3代将軍家光により、伏見城の遺構を移すなどして、5重天守や本丸御殿などが造られ(1626)完成、現在の規模となった。したがって、豊臣秀吉の残した文禄年間の遺構と家康が建てた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合されて、いわゆる、桃山時代様式の全貌をこの城に見ることができる。
(1867)15代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は、朝廷のものとなり、ついで明治17年(1884)離宮となり、昭和14年(1939)京都市に下賜され現在に至る。

唐門

唐門

      

唐獅子

唐獅子

 

 

蝶・鳳凰

亀乗り仙人

鳳凰唐獅子と牡丹

鳳凰

二の丸御殿

車寄せ五羽の鶯鳥

二の丸御殿の玄関

車寄せ

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西本願寺 その2 2016.02.04

2016年02月08日 | 神社仏閣

TVより 飛雲閣・国宝

唐門への道

唐門

唐門・彫刻

 中国故事の彫刻馬上の黄石公

 唐門右

大玄関門

経蔵説明

経蔵

渡り廊下

 埋め木説明   

沓石説明

天邪鬼説明    御影堂廊下

歌仙の間歌仙の間

噴水 

太鼓楼

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西本願寺 2016.02.04 その1

2016年02月08日 | 神社仏閣

西本願寺 京都市下京区堀川通花屋町下ル門前町60
本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山で、その所在する位置から、西本願寺ともいわれている。
 浄土真宗は、鎌倉時代の中頃に親鸞聖人によって開かれたが、その後、室町時代に出られた蓮如上人によって民衆の間に広く深く浸透して発展し、現在では、わが国における仏教諸宗の中でも代表的な教団の一つとなっている

向かって左:御影堂 右:阿弥陀堂(本堂)

親鸞聖人本尊・阿弥陀如来

御影堂門

御影堂門

御影堂

御影堂

御影堂

御影堂内陣 撮影可

    

阿弥陀堂

阿弥陀堂門

阿弥陀堂内陣

     紅梅

太鼓楼

太鼓楼

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

興正寺 2016.02.04

2016年02月07日 | 神社仏閣

興正寺 下京区堀川通七条上ル 

  阿弥陀如来

三門

  

阿弥陀堂

阿弥陀堂 1915年再建

 

御影堂 1912年再建

内陣

内陣

     

西本願寺の飛雲閣が見える

経蔵 1848年建立 御影石の欄干を巡らしてあり、中には経典が納められている

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渉成園(東本願寺の別邸) 2016.02.04

2016年02月06日 | 神社仏閣

渉成園 下京区烏丸通七条上る 入園料 500円

 

MAP

臨池亭

滴翠軒

蘆庵・茶室傍花閣

 

ロウフウテイ

侵雪橋

侵雪橋

印月池

臥龍堂 印月池

塩釜茶室縮遠亭層塔

回悼廊

回悼廊

獅子吼

代笠席

茶室

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東本願寺へ行く 2016.02.04

2016年02月05日 | 神社仏閣

東本願寺 京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754                                                                                                                    

江戸時代に4度の火災に遭っており、その火災の多さから「火出し本願寺」と揶揄される。しかし、東本願寺が火元となったのは、
文政6年(1823年)11月15日の火災のみである。現存建造物の多くはどんどん焼けの後、明治期の再建だが、建築・障壁画等は当時の技術の粋を集める。
御朱印はなくスタンプ
 
 
飛雲閣 TVより
勅使門
阿弥陀門
  
阿弥陀堂 修復中
御影堂
渡り廊下
    鐘楼
大寝殿
廊下
御影堂内陣
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白毫寺 2010.10.26 Archives

2016年02月02日 | 神社仏閣

白毫寺  奈良市白毫寺町392   2010.10.26
その創建は715年。天智天皇の皇子である志貴皇子の没後、その山荘を寺としたと伝えられている。鎌倉中期に、西大寺で真言律宗を
おこし、多くの寺の復興に関わった叡尊によって復興される。1261年には、叡尊の弟子である道照が、宋から「大宋一切経」の摺本を
持ち帰ってからは「一切経寺」とも呼ばれ、庶民信仰の場として栄えた。

御影堂

宝蔵薬師如来弥勒如来十王地蔵地蔵菩薩宝篋印塔

 

  

 

  

   

   

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大安寺 2010.12.04 Archives

2016年02月01日 | 神社仏閣
大安寺 奈良県奈良市大安寺2丁目18-1
 
聖徳太子が創建した「熊凝精舎」がもとになっている。太子が「これを大寺にするように」と遺言を残したことから、百済川の近くに
場所を移し、「百済大寺」として造営が始まった。
 
百済大寺は、九重塔を持つその当時の最大の伽藍であったとされています。所在地は、広陵町の「百済寺」とされていたが、最近の
発掘調査により、桜井市の巨大な寺跡「吉備池廃寺」が百済大寺跡との見方が有力となってきている。
 
622 推古二十九 推古天皇、田村皇子を遣わして聖徳太子の病気を見舞う。太子、熊凝精舎を大寺と成すことを欲す。
639 舒明十一 百済川の側に百済大寺を建て、九重塔建つ。
 九重塔と金堂石鴟尾が焼ける。 
645 大化元 恵妙法師、百済寺の寺主となる。
668 天智七 丈六釈迦仏像并脇士菩薩等の像を安置する。
677 天武六 高市大寺を大官大寺とあらためる
 
本堂
 
 PKの横にある
嘶堂
不空羂索観音
讃仰殿
聖観音立像 不空羂索観音立像 楊柳観音立像
礎石跡
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする