峰定寺 京都市左京区花背原地町772
以上 TVより
冬に備えて 槇が積んである
石碑
井戸
紅葉 見事なり
門前橋
寺谷川
手水
鎮守社
ミヤマカタバミ
イカリソウ
毘沙門天立像 重文
毘沙門天 重文 post card
板絵 鷲図 江戸期 post card
釈迦如来 重文 post card
阿弥陀三尊 鎌倉 post card
金剛力士像 平安 post card
峰定寺 京都市左京区花背原地町772
以上 TVより
冬に備えて 槇が積んである
石碑
井戸
紅葉 見事なり
門前橋
寺谷川
手水
鎮守社
ミヤマカタバミ
イカリソウ
毘沙門天立像 重文
毘沙門天 重文 post card
板絵 鷲図 江戸期 post card
釈迦如来 重文 post card
阿弥陀三尊 鎌倉 post card
金剛力士像 平安 post card
峰定寺 京都市左京区花背原地町772 本堂 撮影不可
藤原通憲(信西)が記した『大悲山峰定寺縁起』によれば、この寺は平安時代末の久寿元年(1154年)、鳥羽上皇の勅願により観空西念(三滝上人)が創建したもので、 鳥羽上皇の念持仏の十一面千手観音像を本尊として安置し、本堂や仁王門の造営には信西と平清盛が当たったという。観空西念は大峯山、熊野などで修行を積んだ修験者で あった。大悲山中には「鐘掛岩」「蟻の戸渡り」などと称する行場が点在し、古くから修験者の修行の場であったとされる。修験の行場として著名な大和の大峯山 に対し、大悲山は「北大峯」とも呼ばれた Wikipedia より
パンフ
パンフ 本堂
燃えるような真っ赤な紅葉
入口
山門
TV より
左・コウヤマキ 右・山門
山門
蟇股
寺務所
収蔵庫
収蔵庫
コウヤマキ
TV より
懸崖造 本堂 TV 山門から本堂までは400段ほどの石段
撮影 不可 パンフ より
パンフ
TV より
パンフ
TV
TV
TV
旅館名
バスより
山門
寺谷川 上桂川、保津川に合流
阿弥陀寺 京都市左京区大原古知平町83
pamphlet
本坊
内陣
本堂 横
六体地蔵
瑞雲閣
ダイモンジソウ
ダイモンジソウ
実相の瀧
山門
扁額
ススキ
駐車場の紅葉
本堂前庭 Post card
本堂 パンフ
本堂 パンフ
古知谷 阿弥陀寺 京都市左京区大原古知平町 前からぜひ、行きたかったお寺
阿弥陀寺・峰定寺・志明院 ジャンボ Taxiで回る日帰りツアー 20人参加
1609年(慶長14年)3月、弾誓(たんぜい)上人が開山した念仏道場である。弾誓は尾張国の出身で、9歳で出家後、諸国を行脚して修行の後、この地に来た。開山から 4年後の1613年(慶長18年)5月23日、弾誓は当寺で62歳で示寂した。弾誓は体質を樹脂化したうえで自ら石棺に入り即身仏となったと伝えられる Wikipedia より
パンフ
カエデ
瑞雲閣 茶室
蹲
掛け造り
本坊
本堂
本堂正面
本尊 弾誓上人
阿弥陀如来坐像・重文
阿弥陀如来
石廟
五智如来
蹲
大雄院 京都市右京区花園妙心寺町52 特別公開は11/15からなので、早く来すぎた 創建者は石河光忠(後の尾張藩名古屋城代/当時9歳)。豊臣家臣・石河光元(竜野城主)の長子で、 父の菩提を弔うために慶長8年(1603年)大雄院を創建。開祖は光忠の叔父・慧南玄譲(えなんげんじょう)。美濃鏡島城主 石河家の水庵宗掬(すいあんそうきく)の 法孫にあたります。歓請開山は慧南玄譲の法祖、石河氏の菩提寺 美濃乙津寺の2世 蘭叔玄秀(らんしゅくげんしゅう)
Kyotofukoh より
外観のみ
庫裏
玄関
このような御朱印がもらえるらしい
長慶院 京都市右京区花園寺の中町8-1
Kyotofukoh より
玉鳳院 京都市右京区花園妙心寺町60 花園法皇さまが妙心寺に隣接して創建した建物です。法皇さまと開山さまは、ここで問答を行い、禅の教えを深められました。 内陣には花園法皇さまの木像が祀られています。また玉鳳院の北東には、豊臣秀吉の子・棄丸のお霊屋があります 1656年創建 最初の塔頭
外観のみ
Kyotofukoh より
庫裏
宝蔵
宝蔵
宝蔵
向唐門
平唐門
開山堂
以下 妙心寺650年の歩み より
開山堂・重文
庭園 名勝
開山堂 微笑庵
微笑庵 内陣
方丈 外観
霊屋 外観
妙心寺型石灯篭
龍の襖絵
長興院 御朱印 千円 京都市右京区花園妙心寺町63 釈迦如来 長興院を創建した滝川一益は織田信長に仕え、関東管領に命ぜられた。しかし本能寺の変後の賤ヶ岳の戦では柴田勝家・織田信孝とともに豊臣秀吉に敗れ、伊勢5郡を 秀吉に差し出して降伏した。
Kyotofukoh より
御朱印 千円 300円のも、あったが 住職のペースにはまってしまった
別の御朱印
宣伝が上手
山門
庭
本堂
庫裏内
願い地蔵
墓地
桂春院 京都市右京区花園寺ノ中町11拝観料400円 慶長3年(1598年)に織田信忠(織田信長の長男)の2男・織田秀則(津田秀則)が水庵宗掬(すいあんそうきく)を開祖として見性院(けんしょういん)を創建。 秀則死後、美濃の豪族・石河貞政(いしこさだまさ)が寛永9年(1632年)に父の50年忌の追善供養のために桂南守仙(けいなんしゅせん)を請じて建物を整備し、 父の法名「天仙守桂大禅定門」・母の法名「裳陰妙春大姉」から1文字ずつをとり桂春院と改めた pamphletより 庭園が見事なり
庫裏
延段
花頭窓
蹲
達磨
方丈
龍仙天空霊神
蹲
竹垣
侘びの庭
三尊石風に組まれた石
龍神が祀られている瀧池
本堂 方丈
思惟の庭
思惟の庭
思惟の庭
茶の井戸
方丈 扁額
方丈
方丈
梅軒門と方丈
坪庭
茶室
清浄の庭
清浄の庭
真如の庭
真如の庭
書院
書院
既白庵 石河貞政が寛永8年(1631年)に城主を務めていた長浜城から書院ともに移築した茶室。深三畳台目、杮葺、東側を切妻造として出庇をつける。藤村庸軒流の茶室と伝えられる。
大法院 右京区花園大薮町20 菓子付き抹茶700円 長姫 江戸時代に、真田幸村の兄・信之の孫にあたる長姫が開き、祖父である信之の法名“大法院殿徹岩一明大居士”にちなんだ寺名がつけられました。 建物には、真田家の家紋「六文銭」もみられ、信之の家系の真田一門の墓や、幕末の兵法学者・佐久間象山の墓もある、由緒ある塔頭寺院です 露路庭園が素晴らしい
由緒
山門
庫裏 扁額は旧字体 大灋院
坪庭
延段
墓地参道
長姫
真田信吉墓
真田信之
真田信利
佐久間象山 墓
納骨堂
本堂
内陣
襖絵
襖絵 扁額
折戸
玄関
玄関
茶室
茶室飛び石
飛び石
蹲
蹲
釣り灯籠と手水鉢
釣り灯籠
菓子と抹茶
蹲
坪庭