金臺寺 境外塔頭 京都市北区等持院西町64 京福電鉄北野線 等持院駅から0.1km 拝観800円 御朱印 500円 すべて 写真不可 テレビ朝日で金臺寺 放映していたので行く 庭も撮影不可は納得できない
初公開 本堂・客殿・御本尊 釈迦如来像・狩野永岳筆襖絵・白隠慧鶴筆「法具変妖之図」など
すべて撮影不可なので、TVより
山門
庫裏
今回訪問した時は、上記の御朱印はなかった
二階茶室
二階瓦
庭園
庭園
金臺寺 境外塔頭 京都市北区等持院西町64 京福電鉄北野線 等持院駅から0.1km 拝観800円 御朱印 500円 すべて 写真不可 テレビ朝日で金臺寺 放映していたので行く 庭も撮影不可は納得できない
初公開 本堂・客殿・御本尊 釈迦如来像・狩野永岳筆襖絵・白隠慧鶴筆「法具変妖之図」など
すべて撮影不可なので、TVより
山門
庫裏
今回訪問した時は、上記の御朱印はなかった
二階茶室
二階瓦
庭園
庭園
慈照院 京都市上京区今出川烏丸上ル相国寺門前町703 非公開 ブラリと歩いていたら、出くわしたお寺
桂宮御牌所
慈雲院 相国寺の境外塔頭 非公開
Kyotofukohより
宗像神社 御苑内 本社は宗像三女神、即ち多紀理姫命、市岐嶋姫命、多岐津姫命を主祭神として祀る。宗像三女神は別名「道主貴」といい、これは全ての道を司る神の尊称である。道の神(交通・運送の神)、また海の神(出産、生産、産業・文化の神)として信仰されている。 この地はもと小一条殿(文徳天皇皇后明子の里、藤原忠平の邸宅)といい、平安の御代、清和天皇ご誕生の地である 神南備より
Netより
花山院邸跡
花山稲荷大明神
京都観光神社 由来
観光神社 鳥居
宗像神社 本殿
舞殿
舞殿 猪 ?
琴平・繫盛稲荷
琴平宮
繁盛稲荷社
少将井神社
少将井神社 右・本殿
本殿
扁額
神社 西の鳥居
絵馬社
豊栄の庭
豊栄の庭
社務所 不在
楠木 神木
厳島神社 御苑内 御朱印 500円 祭神厳島三姫は清盛公坐す厳島大神を崇敬の余り摂津の国兵庫築島に一社を設けてこの大神を勧請したまわし処の神璽にして側に清盛公の母祇園女御を祀る後故有りて 此の拾翠池の嶋中に移転遷座し奉るところなり 厳島神社縁起書より
入口
社殿横
唐破風鳥居 京都三珍鳥居
伴氏社(ともうじしゃ)の鳥居 北野天満宮の境内末社で、菅原道真の母伴氏を祀った神社。
蚕の社、元糺の池の三鳥居
高倉橋
九條池
弁財天の額
閑院宮邸跡 御苑内 無料
閑院宮(かんいんのみや)は、四世襲親王家の一つで、江戸時代中期に第113代東山天皇の第六皇子・直仁親王が創設した宮家。 第2代当主・典仁親王(慶光天皇)の 第六男子・兼仁親王が、嗣子なき後桃園天皇の崩御に伴い、光格天皇として傍系(光格天皇から見て後桃園天皇は再従甥にあたる)
pamphlet
入口
玄関
築山
展示室
pamphlet
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配置図
拾翠亭 京都御苑内 拝観料100円 拾翠亭は五摂家のひとつであった九條家の現存する唯一の建物で、およそ200年前の江戸時代後期に建てられたものと伝えられている貴重な建造物。 御苑内で、 2階部から九條池や高倉橋を望むことができる
格子戸
四阿
屋根の上
獅子
屋根 柿葺
ほたる壁
つくばい
掛け軸
九條池と高倉橋
拾翠亭 数寄屋風の書院造
床の間
障子
茶室
茶室
外壁
清荒神護浄院 京都市上京区荒神口通寺町東入ル荒神町122 寺伝によれば、宝亀3年(772年)に光仁天皇の子の開成皇子が摂津国勝尾山で修行中に荒神が出現し、開成は自らその荒神を模刻するとその場に三宝荒神尊として堂宇を 建て、祀ったのが始まりである。 明徳元年(1390年)に後小松天皇の命で乗厳律師が京都の高辻堀川の東に遷座する。慶長5年(1600年)に後陽成天皇の命で現在地に 遷座し、常施無畏寺(通称は常施寺)の名を賜っている。元禄7年(1694年)、御所の浄域を護るということから東山天皇から護浄院の名を賜る Wikipedia
境内南東を望む
光格天皇御胞塚 へその緒
寺務所
孝明天皇 念持仏 TVより
孝明天皇 念持仏の千手観音像 TVより