ホクレア夜話/第六夜~太平洋航海民の英雄が、“故郷”日本列島を訪れる日。

2006年09月25日 | 風の旅人日乗
9月24日。
スロベニアでレース準備に忙しい日々が続く。
ソロベニアのポルトロッシュという港町は、『バラの港』という意味の名を持つ港で、確かに町中にバラが咲いている。とても穏やかな雰囲気の町だ。

さて、ナイノア・トンプソンが日本に来て講演などをしているホクレア関係の話題だが、思わぬところからホクレアのニュースが入った。

こちらをご覧下さい。
この情報を送ってくれたのは、ロビー・ヘインズという、オリンピック金メダリストのカリフォルニアのセーラー。セーラーなら皆さんご存知の名前だと思う。

ロビーはロイ・ディズニーの所有するヨットのスキッパーで、かつロイの私設秘書もやっている。

ロイ・ディズニーは、現在、ディズニーとして初めてのドキュメンタリー映画の製作に入っていて、それはセーリング未経験のアメリカ人の若者たちをオーディションで募り、来年のロス-ホノルル間のトランスパックレースに挑戦させ、そこで起きるドラマを映画にするというもの。

ロビーはその青年たちのコーチを務めるとともに、このプロジェクトの広報の一部も担当している。


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さて、『ホクレア夜話』の第六夜目は、2003年の舵誌に掲載された『海人ウォーターマンの肖像‐ナイノア・トンプソン(Nainoa Thompson)』の後半から。
(text by Compass3号)

『海人ウォーターマンの肖像‐ナイノア・トンプソン(Nainoa Thompson)』<<舵2003年掲載>>

文/西村一広
Text by Kazu Nishimura

(第5夜から)

太平洋航海民の英雄が、“故郷”日本列島を訪れる日。

ナイノアはミクロネシアのサタワル島を代表する航海士、マウ・ピアイルグから伝統航法を学んだが、それと同時に、現代の天文学と自然科学を猛勉強した。天文学を勉強したのは自分独自の星測航法を取り入れるためだった。自然科学を勉強したのは観天望気を近代科学で補強するためだった。航海士はカヌーのコースを決めるだけでなく、天候の変化を予測し、カヌーと乗員の安全にも責任を持つ。ナイノアはこれらの工夫と努力によって、成人してから伝統航法を学ぶというハンディキャップを克服しようと考えたのだ。
1980年。27歳のとき、ナイノアは全長62フィートの双胴セーリングカヌー〈ホクレア〉のナビゲーターとしてハワイ-タヒチ間、片道それぞれ約30日に及ぶ往復航海を成功させる。安全の目的で伴走船が付いたが、針路はもちろん〈ホクレア〉の航海士ナイノアが決定した。伴走艇はその後ろを、後日の研究のために〈ホクレア〉の実測コースを記録しながら走ったに過ぎない。航海後に照らし合わせてみると、ナイノアの推測コースと電波航法で伴走艇が測定した実測コースは、誰もが驚くほど接近していた。それはその後のいかなる航海の際にも同様だった。
1985年には、2年間をかけてタヒチ、ニュージーランド、トンガを巡ってハワイに戻るという大航海に出かけ、ナイノア率いる〈ホクレア〉はそれらのコースのすべてを伝統の航海術で走ることに成功した。
タヒチからニュージーランドに至る航海は、ハワイキ(現在のタヒチ西側の島だと想定されている)から指導者パイケアに率いられて祖先がやってきたというマオリ神話を実証する形になり、ニュージーランドの先住民であるマオリの人々に深い感銘を与えた。マオリに再び誇りを思い出させたという意味で、2003年に日本でも上映された映画「クジラの島の少女」が制作される遠因にもなったことだろう。
ニュージーランドに限らず、伝統航法による〈ホクレア〉の太平洋周航は、太平洋の民族に大いなる勇気を与えることになり、各島でホクレアと同じような航海カヌーが相次いで造られ、それぞれが伝統航法を使って太平洋へと乗り出すようになった。
〈ホクレア〉に乗せてもらった日のことを思い出す。一晩をかけてオアフ島からマウイ島までをセーリングした。左右両舷の後ろ側、航海中ナイノアが常に座る場所の手摺には、幾筋かの切り込みが彫り付けられていた。タヒチへの行き帰りに使う星の目安なんだとナイノアが教えてくれた。真夜中。波の大きなモロカイ・チャンネルの真ん中だというのに、伴走艇のドライバーと運転を交代して休ませるために、Tシャツを脱いだナイノアは小さなトーチだけを手に海に入り、伴走艇へと泳いでいった。月のない夜。〈ホクレア〉とその周囲の海は、なんだか不思議な空間と時間に包まれていた。短いけれど、素晴らしい航海であった。
ナイノアは2003年6月、サバニに乗るために沖縄にやってきた。慶良間諸島の座間味島から那覇までの航海に乗り出す朝、ナイノアに率いられる我々クルーはそれぞれの手を繋いで円陣になって航海の安全を祈る。〈ホクレア〉の出港前にも同じ儀式を行なったことを思い出した。目を閉じてナイノアがつぶやく静かな祈りの声を聞いていると、自分にも航海民である先祖の血が流れているのだという、不可解だけれど幸せで、雄々しい気持ちが満ち満ちてくる。
先日、ナイノア・トンプソンは2005年に〈ホクレア〉で日本を訪れることを発表した。太平洋航海民のファミリーの一員だとナイノアが信じている私たち日本列島在住民族に、敬意を表するための訪問である。太平洋の航海民として、彼ら仲間達を大歓迎で迎える準備を始めるべきだと思うのだが、いかがだろう。