ホクレア夜話/第四夜~ラピタ人

2006年09月23日 | 風の旅人日乗
10月23日 スロベニア

果てしない飛行機と車旅の末にスロベニアのポルトロッシュのヨットクラブにたどり着いたのは、今朝の午前0時10分、日本時間で朝7時10分。昨日朝7時過ぎに葉山を出てからキッチリ24時間の旅でした。

ヨットクラブの宿に入り、そのまま8時間爆睡して、朝8時半爽やかな目覚め。いい天気。

マリーナの事務所に行き、艇がハンガリーのブダペストから無事到着しているのを確認して、それからマリーナに舫っていた、ここの知り合いが所有する古いボルボ60クラスでセーリングだ。

マリーナを出てセールを揚げ、まずはコース0度、イタリアのトリエステの西側の海岸目指して走る。ボルボ60は、ボルボ70ほどではないが、速い。東北東からの20~23ノットの風が吹くアドリア海の波を心地よく切って豪快に走る。ラダーを介してステアリングに伝わってくるアドリア海の水の感触を楽しむ。風上にある古い町並みのトリエステの向こうに、アルプスの山々が見える。

しばらく走ってからタック・アンド・ベア。今度はコース180度で、クロアチアの海岸目指して走る。スロベニアの海岸線は直線に伸ばしても40キロほどしかなく、2時間で両隣の国と合わせて3カ国の領海をセーリングすることができる。不思議な体験。

スロベニア語のイエスは「ヤ」、ノーは「ネ」。タッキングの際にジブシートをオーバーレイしてしまったジブ・トリマーに向かって、ネ!ネ!ネ!ネ!ネ!の声が船中から集まる。頑張ってネ!

西村一広

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ナイノアの福岡での講演、内ヤンとのトークも無事に終えられて、一息ついている頃でしょうか。
さて、『ホクレア夜話』の第四夜目は、2001年の舵誌に掲載された『太平洋のセーリング・ルナッサンス』の終盤から。
5年前に、ホクレアに乗った体験が綴られています。
(text by Compass3号)

『太平洋のセーリング・ルネッサンス』<<舵2001年掲載>>

蘇る太平洋古代外洋カヌー

文 西村一広
text by Kazuhiro Nishimura

(第三夜から)

ラピタ人

ポリネシア人の祖先はラピタ人といわれている人たちだ。
ラピタ人は現在のフィリピンやパプア・ニューギニア、ニューカレドニアあたりに住んでいたとされているが、彼らがどこから来たのかは謎のままだ。
ラピタ人は舟を操り、土器を使い、釣針を使って魚を獲っていた。
縄文土器は、日本から遠く離れたメラネシアのバヌアツと、南米のエクアドルで発見されている。
バヌアツで見つかった土器は大量で、一度の偶発的な運搬(漂流など)ではなく、幾度にも渡って運ばれたものと考えられている。
誰が持ち込んだのだろう。エクアドルやバヌアツまで縄文土器が運ばれたという事実は、縄文人の海洋文化を否定する考古学者を苦しめている。
縄文人はラピタ人ではないのか、と考える学者が国際的に増えつつある。

KAMA’KU’RA

この6月に、ハワイに行った。太平洋を自在に走り回ってきた古代セーリングカヌー<ホクレア>に乗せてもらい、オアフ島のハワイ・カイからマウイ島のラハイナまでをセーリングした。内田正洋、<ホクレア>生え抜きのハワイ人クルーたち、そして“星の航海師”ナイノア・トンプソンも一緒だ。
セールを揚げ、ココヘッドの横を通り抜けてモロカイチャンネルに滑り出ると、いつもの貿易風が海面を走って<ホクレア>のセールに吹き込んだ。伝説のカヌーは、その風に乗って力強く加速していく。
ヨットレースのケンウッドカップで走るときに感じるモロカイチャンネルのいつもの厳しい波とは異なり、<ホクレア>の船首に寄せてくる波はなぜか優しく、なにか親しみを覚える波だった。
生きている伝説そのものであるナイノア・トンプソンが静かに星を見上げているすぐ横で、<ホクレア>の舵をとっているときの気分がどんなだったかは、申し訳ないがここでは言葉にしたくない。個人的な宝物として自分の内に留めておきたいからだ。

いま日本で、我々は日本独自のセーリングカヌーを造ろうとしている。そのカヌーの名前は“日いずるところの子供”、すなわち<カマ・ク・ラ>だ。
ハワイで、内田正洋とぼくがナイノアの指揮する<ホクレア>に乗って訓練を受けることができたのは、ナイノア・トンプソンやハワイ、太平洋圏の外洋航海カヌーの仲間たちがこの<カマ・ク・ラ>プログラムを応援してくれているからだ。
<カマ・ク・ラ>は子供たちを乗せて日本の各地を周った後、太平洋へと乗り出し、最終的には南米大陸にも出かける。はるか昔、日本を旅立った縄文人がラピタ人になりポリネシア人になったとする大胆な仮説をバックグラウンドに、その海の道を5000年の時を経て辿るのだ。
そしてその先、20年か30年後、<カマ・ク・ラ>でセーリングを知った日本の子供たちが、太平洋独自のセーリング文化で培った技と確固としたアイデンティティーを携えて、西洋のセーリング文化の象徴ともいえるアメリカズカップに挑戦する、という未来の仮説を夢見るとき、ぼくはウットリとしてしまう。そして、「日本人の祖先は農耕民族だからセーリング文化では西洋にかないっこない」という、セーリングの先輩諸氏の“常識”をくつがえしてあげるのだ。
カマ・ク・ラ計画は今、産みの苦しみを味わっている。たくさんの応援を必要としている。日本の海で、息の長い活動をしていこうとするこの計画は、サーファー、シーカヤッカー、セーラー、漁師の人たち、といった日本の海の民みんなに支えられなければ実現し得ない計画だ。建造に向けてゆっくりと前進を始めたばかりの<カマ・ク・ラ>だが、このプログラムについてもっと深く知りたい人、興味のある方は是非、下記ホームページをチェックしてみてほしい。

参考資料
An Ocean in Mind Will Kyselka University of Hawaii Press
イースター島の悲劇 鈴木篤夫 新評論
海を渡った縄文人 樋口尚武 小学館
海を渡った縄文人 小田静夫 講演会資料
古代日本の航海術 茂在寅男 小学館
縄文時代の商人たち 小山修三、岡田康博 洋泉社
スターナビゲーションとは 石川直樹 個人資料
誰も知らないハワイ ニック加藤 光文社
日本語の起源 大野晋 岩波新書
発掘捏造 毎日新聞旧石器遺跡取材班 毎日新聞社
ハワイイ紀行 池澤夏樹 新潮社
星の航海師 星川淳 玄冬社
映画「ガイア・シンフォニー第三番」龍村仁氏監督

(第五夜へ続く)