2008年5月4日 KAZU impressionダイジェスト版

2008年05月04日 | 風の旅人日乗
 
Grand Banks 36
(写真提供:舵社)

さて今回は、ちょっとセーリングボートから離れて、トローラータイプのパワーボートです。とはいえ、乗ってきたのは最近発表されたモデルでもないし、バリバリの新艇でもありません。その名は、グランドバンクス36。実は、前々からとても興味を持っていた艇です。

元祖トローラー型プレジャーボートといってもよさそうなグランドバンクス36は、1964年の発売以来、世界中で人気を博してきました。しかし残念なことにこのモデルは5年前に生産が中止され、今や中古艇市場でしか手に入れることができない、言わばビンテージ。
現在もファンの間で根強い支持を受けているグランドバンクス36(1991年式)に乗って、時折30ノットの突風が吹く東京湾を走ってきました。



 相模湾でまだ島回りの外洋ヨットレースが盛んに行われていた時代、社会に出たばかりのぼくは、神奈川県小網代のシーボニアマリーナにベースを置く、あるレース艇に乗っていた。神子元島や三宅島を回って小網代沖のフィニッシュラインに戻ってくるのは、なぜか夜になることが多かった。

レースの高揚感を保ったままシーボニアの桟橋に戻ると、お隣の船では週末の宴会の真っ最中、ということが少なくなかった。
そんなとき、その船のオーナーで放送作家のMさんから、時々我々にお声がかかる。
「皆さん、片付けが終わったら、うちの船で一杯どう?」

 海水が浸みたウエアでクッションを濡らさないよう気を付けながらいただいたお酒がどんな銘柄だったかは今では忘れてしまったけど、潮っ気のある人々の談笑の場によく似合う、木肌の温もりのあるキャビンで若者たちの外洋ヨットレースでの興奮をジンワリと解きほぐしてくれたMさんの船が、何というブランドの船だったかはよく覚えている。グランドバンクスだ。



 グランドバンクスとは、北アメリカ大陸大西洋岸のニューファンドランド島沖合に広がる海域の名称だ。暖流のメキシコ湾流と寒流のラブラドル海流がそこでぶつかることと、海底に堆(たい)(bank)がいくつもまとまってあることとで、かつては鱈(たら)をはじめ、多くの魚が群れる大漁場だった。

 ただし、その海がいい漁場となるための好条件は、一方で、その海が厳しい海になる条件にも一致する。つまり、暖流と寒流がぶつかることで濃い霧が高い頻度で発生する。ぶつかりあった海流が複雑に流れを変えることで、そこに風が吹くと極めて悪い波が立つ。

グランドバンクスは、黒潮と親潮がぶつかる日本の犬吠埼沖から三陸沖にかけての海域に匹敵する海の難所だ。濃霧の中、タイタニック号が氷山に衝突して沈没したのもグランドバンクスだし、映画にもなった小説『パーフェクトストーム』の舞台もグランドバンクスだ。そんな厳しい海に漁に出かけるトロール漁船をイメージしてデザインされたモデルのひとつが、グランドバンクス36である。


 今回試乗させていただいたグランドバンクス36〈バターボール2〉の桑原 明オーナーは、グランドバンクスの魅力を、
「エンジンで走るヨットのようなものだから」
と謎をかけてくる。

 桑原さんは元・H報堂の広告デザイナー。在職中にウエブデザインを独学で勉強し、同社を早期退職した後、企業を顧客としてパソコンのデスクトップ上の時計やゲーム、クイズなどのデジタルノベルティーを企画・製作する会社を立ち上げて現在に至る。




 元々はシーホース、シードスポーツ、レーザーを乗り継いできたバリバリのディンギーセーラーで、お腹回りが膨らんでレーザーのブームをくぐるのが苦しくなってからはキールヨットに乗り換え、2隻を乗り継いだ。そしてトローラータイプの艇へとシフトし、この〈バターボール2〉はトローラータイプ2隻目。

 1隻目の〈バターボール1号〉(タグ25)もまだ所有していて、こちらには近いうちに帆装を施す大工事を行う予定。バターボール1号にはエンジンが1基しかなく、エンジンもしくはプロペラに問題が発生したら自力で岸まで帰って来られないから、というのが、帆装を加える最大の理由。

ヨットにはない魅力を持つトローラーに乗り換えたものの、何か起きたときのためのバックアップのオプションを常にキープしておきたいという、ヨットマン上がりならではのシーマンシップだといえそうだ。

グランドバンクス36の〈バターボール2〉は2軸推進。2基のディーゼルエンジン(カミンズ6BT5-9 185馬力×2)を装備しているため、2基とも止まってしまう確率はかなり低いはずだと桑原オーナーは考えている。

 〈バターボール2〉は、桑原オーナーの移動オフィスでもある。メインキャビンの右舷側に、ウインドウズとマックを搭載したパソコンが1台ずつ並べられていて、両方とも「イー・モバイル」(携帯電話)でインターネットに繋ぐ。自宅と、江の島の事務所にも同様のパソコンがあって、仕事に使うデータが入ったポータブルのハードディスク2つさえバッグに入れておけば、その日の都合と天気と気分によって、その3カ所のどこかで仕事をすることができる。羨ましい。

 海の上に浮かぶオフィスとしての機能があるだけでいいのなら、別にグランドバンクスでなくてもいいはずだが、桑原さんは「なぜか、グランドバンクスでなきゃ嫌だったんですよ」と笑う。
恐らくそれは、グランドバンクス36に生まれつき染み込まされている『荒れた海からも帰って来られる可能性が高い、野太いボート』という匂いに惹きつけられてしまう、ヨット乗りの本能から来るものではないだろうか? 
だからと言って、敢えてわざわざ荒れた海に出て行くわけではないけれど、そういう、“本筋”の艇を所有していることそのものの喜び。グランドバンクスの魅力を「(エンジンで走る)ヨットのようなものだから」という桑原さんの言葉の謎解きの鍵は、ここの辺りにありそうだ。



 桑原オーナーがマリーナに泊めた〈バターボール2〉にいると、この船を売る意思がないかを聞きに、けっこう頻繁に人が訪ねて来るらしい。そういう人たちのほとんどは、パワーボート愛好家ではなくて、ヨットの経験が長いベテランセーラーなのだそうだ。そうなんだよね、やっぱり。この船にはヨット乗りを惹きつける「サムシング」があるんだな。

 しかし、5年前に生産が中止されたこのグランドバンクス36を手に入れるには、もはや中古艇を探して回るしかない。世界の中古艇マーケット水準から見ると、日本は中古艇の価値が異常に低く評価される国で、たとえばぼくの専門分野のレースヨットの場合だが、40〜45ftのレース艇などは世界標準価格のほぼ半額が日本の中古艇価格水準だ。

 そこで〈バターボール2〉と同じ製造年(1991年)のグランドバンクス36の中古艇の海外の価格動勢を調べてみると、たとえば在ヨーロッパのものが20万〜25万ユーロ(約3,100万円〜3,900万円)、在アメリカ西海岸のものが30万USドル(約3,000万円)でマーケットに出ている。

 日本ではこれよりもかなり安く売買されているはずだが、市場に出ている数自体が少ないようだし、今後はどうなっていくのだろう?いずれにせよ、桑原オーナーはじめ、今現在グランドバンクス36を持っているオーナーたちは幸運な人たちなんだな、と力強く波をかき分けてゴぃンゴぃンと海の上を突き進む〈バターボール2〉の舵輪を握りながら思ったことでした。



●全長:13.50m
●艇体長:11.23m
●水線長:10.72m
●全幅:3.86m
●吃水:1.22m
●排水量(ドライ):12,200kg(参考値)
●燃料タンク:530リットル
●清水タンク:1,514リットル
●巡航速力:12ノット(参考値)