行動開始

2011年01月04日 | 風の旅人日乗
セーリングの、熱い話を、久々に、お隣のお宅で、ご主人とその友人と。
ウインドサーフィン人気を再び燃え上がらせたいというパッションを胸に奔走されているお2人の話を聞きながら、閉塞感漂う日本のヨット・セーリングの世界に思いを馳せる。
あきらめたら終わりなのだなあ、と改めて思う。

お2人が、もう一人の仲間と三人で計画しているのは、相模湾でこの冬一番面白そうなウインドサーフィンのサーフ&セーリングイベントだ。



ウインドサーフィンの魅力を、よりたくさんの人たちに知ってもらいたい、という三人の活動の、最初の一歩だ。将来は、ワールドカップの日本招致も見据える。
そうして最終目標は、
遠い将来に生まれてくる孫たちに
「おじいちゃんは何をしてきた人なの?」
と聞かれたときに、
「おじいちゃんはなあ、日本のウインドサーフィンをこんなにメジャーなスポーツにした人なんだぞ」
と答えること。
いいなあ。

静岡県の御前崎で開催されていたサムタイム・ワールドカップのレース運営を、第1回の1984年から1989年まで担当した。
その後、強引に入り込んできた広告代理店Dの担当者の、なんでも独り占め的やり方に吐き気を覚え、あの世界の仕事から離れたが(その後その担当者は麻薬で捕まったっけ)、あのときのウインドの選手たちとの付き合いを、今でも懐かしく思い出す。

当時は、ウインドのレース運営は、自分がヨットレースに出るための資金を稼ぐ仕事として割り切っていたが、その仕事や、彼ら選手たちから学ぶことも少なくなかった。
ヨットのプロセーラーがほとんどいなかった時代に、彼らはすでにセーリングすることそのもので飯を食っていたのだった。
男子選手も女子選手も、すごくカッコ良かった。次世代の若いウインドセーラーにとって、彼らは光り輝くスターだった。

あの時代に比べると、現在の日本におけるウインドサーフィン人気は、すごく低迷しているのだという。
ヨットでのセーリングの人気の凋落ぶりもすさまじい。
マリンスポーツ全体の人気のしぼみ方も、半端ではないらしい。

セーリング界の先輩のお年寄りたちは、ただただそれを嘆いていて、行動を起すことをしない。

でも、この、30代の3人は、違うみたい。
未来を信じて、自己資金も時間も使って、実際の行動を起した。

愚痴ってばかりで行動しない人たちと話をするのはもうやめよう、と思う。
申し訳ないけど、時間の無駄だということに、やっと気が付いたのだ。

それよりも、こういう人たちと話しているほうが勉強になるし、楽しいし、勇気も沸いてくるし、未来を見たくなってくる。

というわけで、美味しいお酒を存分に飲んだ楽しい夜をすごしたあとの仕事始め、
さてさて、行動開始といきますか。