【Photo: Rolex / Kurt Arrigo。福ちゃんとポール・ケアードが乗るミニマキシ、マニーペニーの練習光景。
ニューポートでの艇のトラブルを解決し、サルディニアでどんな走りを見せるか】
ぼくは、これから羽田に向かい、今日、明日と沖縄。
イタリアでは、第19回マキシヨットロレックスカップが明日、
サルディニア島のヨットクラブ・コスタスメラルダで開幕する。
今回のレガッタでは、北京オリンピックで3個目の金メダルを取ったベン・エインズリーが、
98フィートのカンティングキール艇、アルファ・ロメオの舵を取ることが話題になっている。
イギリスのチームオリジンのスキッパー・ヘルムスマンとして、アメリカズカップの今後の動静を気にかけながらも、
オリンピックキャンペーンを成功させたベン・エインズリーが、明日からのマキシカップでどんなセーリング見せるか。
【Photo: Rolex / Kurt Arrigo】
アメリカズカップと言えば、アリンギのアーネスト・ベルタレッリも、
このレガッタに、ヴローリック66〈ナンバーズ〉をチャーターして参加する。
一緒に乗るのは、いつものブラッド・バタワースやワーウイック・フルーリーなど、
お馴染みのメンバーたち。
ニューポートでの艇のトラブルを解決し、サルディニアでどんな走りを見せるか】
ぼくは、これから羽田に向かい、今日、明日と沖縄。
イタリアでは、第19回マキシヨットロレックスカップが明日、
サルディニア島のヨットクラブ・コスタスメラルダで開幕する。
今回のレガッタでは、北京オリンピックで3個目の金メダルを取ったベン・エインズリーが、
98フィートのカンティングキール艇、アルファ・ロメオの舵を取ることが話題になっている。
イギリスのチームオリジンのスキッパー・ヘルムスマンとして、アメリカズカップの今後の動静を気にかけながらも、
オリンピックキャンペーンを成功させたベン・エインズリーが、明日からのマキシカップでどんなセーリング見せるか。
【Photo: Rolex / Kurt Arrigo】
アメリカズカップと言えば、アリンギのアーネスト・ベルタレッリも、
このレガッタに、ヴローリック66〈ナンバーズ〉をチャーターして参加する。
一緒に乗るのは、いつものブラッド・バタワースやワーウイック・フルーリーなど、
お馴染みのメンバーたち。
現アメリカズカップ・チャンピオンのアリンギが、第33回アメリカズカップに関するニューヨーク最高裁の一連の判決(2007年11月、12月、2008年2月、5月)に対して再審理を求めていた裁判の判決で、
ニューヨーク最高裁の上訴部局が
「スペインのクラブ・ノーティコ・エスパニョール・デ・ベラ(CNEV)を、第33回アメリカズカップのチャレンジャー・オブ・レコード(挑戦者代表)と認める」
旨の判断を下したのは、もう1ヶ月前のことになる。
この裁判の判決を待っていたセーリング・ファンのほとんどは、
アリンギとBMWオラクルレーシングとの、90フィートのマルチハルによる一騎打ちとなることがほぼ決まった第33回アメリカズカップで残されている懸案事項、すなわち一騎打ちのレースの開催場所と開催時期について、ニューヨーク最高裁上訴部局がその明確な方向性を出してくれるものと考えていた。
ところが、出された判決は、チャレンジャー・オブ・レコードの資格無しとして9ヶ月前に議論がすでに終わっていたはずのCNEVを、第33回アメリカズカップのチャレンジャー・オブ・レコードとして認める、という、ほとんどの人が予想も期待もしていなかったものだった。
なんとも訳の分からないこの判決によって、昨年7月以来の、第33回アメリカズカップをめぐるBMWオラクルレーシングとアリンギの裁判闘争は、完全に1年前の状態に引き戻されることになった。
米国セーリング・ワールド誌のスチュワート・ストゥロイリ記者によると、この判決は、審理に当たった5人の裁判官の全員の合意によるものではなく、5人のうち2人が反対の意を表明していたという。
今回の判決による今後の動向を予測していく前に、昨年7月のアメリカズカップ終了後からこれまでの一連の流れを、もう一度整理してみようか。
前回の第32回アメリカズカップが、防衛者のアリンギの勝利で終わった翌日の昨年2007年7月3日。
アメリカズカップ防衛ヨットクラブであるスイスのソシエテ・ノーティコ・ド・ジュネーブ(以下SNG)とアリンギは、次回第33回アメリカズカップのチャレンジャー・オブ・レコード(挑戦者代表)にスペインのCNEVが決定した、と発表した。
CNEVは、その2週間前、2007年6月19日にスペインのバレンシア地区自治体と連携して急遽法人化されたばかりのスポーツ協会だ。
つまり、CNEVは、法人設立からわずか2週間後に、150年以上の歴史があるアメリカズカップの挑戦者代表として認められたことになる。
これに対して、BMWオラクルレーシングと、このチームが所属するゴールデンゲート・ヨットクラブが、
「CNEVは、『海か、海に繋がる水面で、年次レガッタを開催している、法的に認められた外国のヨットクラブであること』とアメリカズカップの贈与証書に記されている挑戦者の資格のうち、『年次レガッタを開催している』という条件を満たしていない」、
という訴えを起こしたのだった。
元々、CNEVは、アリンギとSNG主導で誕生した組織だということが、早い段階から関係者の間で知られ、
実際にCNEVの幹部の一人が、「(噂の通り)組織設立はアリンギ主導で進められた」ことを、複数のメディアの前で暴露した。
BMWオラクルレーシングやチーム・ニュージーランドなど、次回アメリカズカップ挑戦を目論んでいるチームが懸念していることの本質は、CNEVがチャレンジャー・オブ・レコードになったことそのものではなく、
アメリカズカップというヨットレースを、自分たち防衛側にとってのみ都合のいいようにコントロールし、支配してしまおうとしているかのように見えるアリンギとSNGの、特にその指導者であるアーネスト・ベルタレッリの、傲慢な行動であり、それに待ったを掛けることこそが、法廷に訴えた本来の理由なのだと言えた。
ニューヨーク最高裁判所のカーン裁判官はBMWオラクルとゴールデンゲート・ヨットクラブ側の主張を全面的に認め、CNEVは挑戦者代表となる資格はない、として、CNEVのすぐ後に挑戦の意思を表明していたゴールデンゲート・ヨットクラブをチャレンジャー・オブ・レコードとして認めるべき、との判決を下した。
そして更に、ニューヨーク最高裁は、ゴールデンゲート・ヨットクラブが挑戦艇としてアリンギ側に示唆していた90フィートのマルチハル艇による、BMWオラクル対アリンギの、1対1の対戦による第33回アメリカズカップ開催を指示したのだった。
それに対して、アリンギの弁護士団が、ニューヨーク最高裁の判決を不服として、最高裁の上訴部局に再審理を求めていたのが、今回の裁判だった。
アリンギの弁護団の主張の主な内容は、1対1のレースの開催時期を少しでも先に延ばして欲しいという、いわゆる『救済の要求』の類だと目されていた。
だから、今回の判決では、大型マルチハルの次期アメリカズカップの開催時期について、ニューヨーク最高裁の見解が発表されることになると、ほとんどのセーリング・ファンとアメリカズカップ関係者が思っていたのだった。
ところが、今回の法廷では、アメリカズカップの贈与証書に記載されている挑戦者の資格のひとつであるところの「年次レガッタを開催しているヨットクラブ」の文章で使われている“having”が、現在完了進行形なのか、未来形も含むのか、という、アメリカ人にとって『150年前に書かれた古い国語の問題』が、5人の裁判官たちの審理の対象になっていたようなのである。
これまでのセーリング界では、「年次レガッタを開催しているヨットクラブ」という文章は常識的に、「もうすでに年次レガッタを開催している(既存の)ヨットクラブ」と解釈されてきた。
しかし今回の再審理を担当した5人の裁判官のうち3人が、この“having”を、「将来年次レガッタを開催することを計画している」ことも含めた、未来形を含む表現だと解釈すべし、と判断したのだ。
多くのセーリング・ファンは、この判決に『目がテン』になったはずだ。
現在CNEVには、会長、副会長、秘書、ディレクターの、計4人のメンバーしかいない。
つまり、一般的なヨットクラブがヨットクラブとして存続するために不可欠な一般会員は存在しない。
CNEVの役員であり全会員でもある4人は、全員がスペインセーリング連盟の副会長でもあるが、CNEVの建物・クラブハウス・オフィスはどこにも存在しない。
この組織の登記上の住所は、スペインのアメリカズカップ挑戦チーム、デサフィオ・エスパニョールのベースキャンプだ。
CNEVの目標はスペインのすべてのヨットクラブと提携関係を持つことだというが、その作業はまだまったく進んでいない。
一般のクラブメンバーを募集する計画も規約もなく、現在「研究中」とのことで、つまり、一般のヨットのオーナーがこのクラブのメンバーになりたいと思っても、今のところそれは不可能である。
そんなヨットクラブが、今回ニューヨーク最高裁判所によって第33回アメリカズカップの挑戦者として、しかも代表として認められたのだ。
アリンギとBMWオラクルレーシングによる、90フィートのマルチハル対決となる様相が色濃くなって、なんとなく長いトンネルの出口が見えてきたかのように思えた第33回アメリカズカップの行方だったが、
なんだかまた、一気に暗闇の中に引き戻されたような、そんな状況に陥っている。
ニューヨーク最高裁の上訴部局が
「スペインのクラブ・ノーティコ・エスパニョール・デ・ベラ(CNEV)を、第33回アメリカズカップのチャレンジャー・オブ・レコード(挑戦者代表)と認める」
旨の判断を下したのは、もう1ヶ月前のことになる。
この裁判の判決を待っていたセーリング・ファンのほとんどは、
アリンギとBMWオラクルレーシングとの、90フィートのマルチハルによる一騎打ちとなることがほぼ決まった第33回アメリカズカップで残されている懸案事項、すなわち一騎打ちのレースの開催場所と開催時期について、ニューヨーク最高裁上訴部局がその明確な方向性を出してくれるものと考えていた。
ところが、出された判決は、チャレンジャー・オブ・レコードの資格無しとして9ヶ月前に議論がすでに終わっていたはずのCNEVを、第33回アメリカズカップのチャレンジャー・オブ・レコードとして認める、という、ほとんどの人が予想も期待もしていなかったものだった。
なんとも訳の分からないこの判決によって、昨年7月以来の、第33回アメリカズカップをめぐるBMWオラクルレーシングとアリンギの裁判闘争は、完全に1年前の状態に引き戻されることになった。
米国セーリング・ワールド誌のスチュワート・ストゥロイリ記者によると、この判決は、審理に当たった5人の裁判官の全員の合意によるものではなく、5人のうち2人が反対の意を表明していたという。
今回の判決による今後の動向を予測していく前に、昨年7月のアメリカズカップ終了後からこれまでの一連の流れを、もう一度整理してみようか。
前回の第32回アメリカズカップが、防衛者のアリンギの勝利で終わった翌日の昨年2007年7月3日。
アメリカズカップ防衛ヨットクラブであるスイスのソシエテ・ノーティコ・ド・ジュネーブ(以下SNG)とアリンギは、次回第33回アメリカズカップのチャレンジャー・オブ・レコード(挑戦者代表)にスペインのCNEVが決定した、と発表した。
CNEVは、その2週間前、2007年6月19日にスペインのバレンシア地区自治体と連携して急遽法人化されたばかりのスポーツ協会だ。
つまり、CNEVは、法人設立からわずか2週間後に、150年以上の歴史があるアメリカズカップの挑戦者代表として認められたことになる。
これに対して、BMWオラクルレーシングと、このチームが所属するゴールデンゲート・ヨットクラブが、
「CNEVは、『海か、海に繋がる水面で、年次レガッタを開催している、法的に認められた外国のヨットクラブであること』とアメリカズカップの贈与証書に記されている挑戦者の資格のうち、『年次レガッタを開催している』という条件を満たしていない」、
という訴えを起こしたのだった。
元々、CNEVは、アリンギとSNG主導で誕生した組織だということが、早い段階から関係者の間で知られ、
実際にCNEVの幹部の一人が、「(噂の通り)組織設立はアリンギ主導で進められた」ことを、複数のメディアの前で暴露した。
BMWオラクルレーシングやチーム・ニュージーランドなど、次回アメリカズカップ挑戦を目論んでいるチームが懸念していることの本質は、CNEVがチャレンジャー・オブ・レコードになったことそのものではなく、
アメリカズカップというヨットレースを、自分たち防衛側にとってのみ都合のいいようにコントロールし、支配してしまおうとしているかのように見えるアリンギとSNGの、特にその指導者であるアーネスト・ベルタレッリの、傲慢な行動であり、それに待ったを掛けることこそが、法廷に訴えた本来の理由なのだと言えた。
ニューヨーク最高裁判所のカーン裁判官はBMWオラクルとゴールデンゲート・ヨットクラブ側の主張を全面的に認め、CNEVは挑戦者代表となる資格はない、として、CNEVのすぐ後に挑戦の意思を表明していたゴールデンゲート・ヨットクラブをチャレンジャー・オブ・レコードとして認めるべき、との判決を下した。
そして更に、ニューヨーク最高裁は、ゴールデンゲート・ヨットクラブが挑戦艇としてアリンギ側に示唆していた90フィートのマルチハル艇による、BMWオラクル対アリンギの、1対1の対戦による第33回アメリカズカップ開催を指示したのだった。
それに対して、アリンギの弁護士団が、ニューヨーク最高裁の判決を不服として、最高裁の上訴部局に再審理を求めていたのが、今回の裁判だった。
アリンギの弁護団の主張の主な内容は、1対1のレースの開催時期を少しでも先に延ばして欲しいという、いわゆる『救済の要求』の類だと目されていた。
だから、今回の判決では、大型マルチハルの次期アメリカズカップの開催時期について、ニューヨーク最高裁の見解が発表されることになると、ほとんどのセーリング・ファンとアメリカズカップ関係者が思っていたのだった。
ところが、今回の法廷では、アメリカズカップの贈与証書に記載されている挑戦者の資格のひとつであるところの「年次レガッタを開催しているヨットクラブ」の文章で使われている“having”が、現在完了進行形なのか、未来形も含むのか、という、アメリカ人にとって『150年前に書かれた古い国語の問題』が、5人の裁判官たちの審理の対象になっていたようなのである。
これまでのセーリング界では、「年次レガッタを開催しているヨットクラブ」という文章は常識的に、「もうすでに年次レガッタを開催している(既存の)ヨットクラブ」と解釈されてきた。
しかし今回の再審理を担当した5人の裁判官のうち3人が、この“having”を、「将来年次レガッタを開催することを計画している」ことも含めた、未来形を含む表現だと解釈すべし、と判断したのだ。
多くのセーリング・ファンは、この判決に『目がテン』になったはずだ。
現在CNEVには、会長、副会長、秘書、ディレクターの、計4人のメンバーしかいない。
つまり、一般的なヨットクラブがヨットクラブとして存続するために不可欠な一般会員は存在しない。
CNEVの役員であり全会員でもある4人は、全員がスペインセーリング連盟の副会長でもあるが、CNEVの建物・クラブハウス・オフィスはどこにも存在しない。
この組織の登記上の住所は、スペインのアメリカズカップ挑戦チーム、デサフィオ・エスパニョールのベースキャンプだ。
CNEVの目標はスペインのすべてのヨットクラブと提携関係を持つことだというが、その作業はまだまったく進んでいない。
一般のクラブメンバーを募集する計画も規約もなく、現在「研究中」とのことで、つまり、一般のヨットのオーナーがこのクラブのメンバーになりたいと思っても、今のところそれは不可能である。
そんなヨットクラブが、今回ニューヨーク最高裁判所によって第33回アメリカズカップの挑戦者として、しかも代表として認められたのだ。
アリンギとBMWオラクルレーシングによる、90フィートのマルチハル対決となる様相が色濃くなって、なんとなく長いトンネルの出口が見えてきたかのように思えた第33回アメリカズカップの行方だったが、
なんだかまた、一気に暗闇の中に引き戻されたような、そんな状況に陥っている。
城ヶ島沖観測ブイを回航するレースがあった。
風向35度の風で小網代沖をスタートした後、
早めにポートにジャイブして三浦半島の低い丘から吹き降ろしてくる風の道と、
半島に沿って南流する潮に乗るコースを取った。
城ヶ島沖観測ブイへのレイライン手前、風道の南側に出てしまう手前で
スターボに返してからは、
城ヶ島沖観測ブイの実況潮流/風通報のデータを受信しながらアプローチした。
でもなんだか、実際の艇の流され方が、
インターネットで送られてくる潮のデータとは違う感じ。
観測ブイを回航する直前に、風がなくなり、
一緒にいた艇団ともども、西の方向に流された。
バウを観測ブイに向けているのに、ブイがどんどん遠ざかっていくことは
とても悲しい光景だったが、
風がなければどうにもならないのがヨットレースだ。
やっと東風が来て、ブイに再び接近して回航した頃には、
その潮流はもっともっと強くなっていて
観測ブイには、少なく見積っても、3ノットの潮がぶち当たっていて、
ぼくは、イギリスのカウズで行なわれたアドミラルズカップでの、
航路ブイ回航のレースでのシーンを唐突に思い出した。
レース後、逗子の街に出て、
Mオーナーご夫妻に夕食をクルー全員でご馳走になった後、
家に帰って、城ヶ島沖観測ブイの観測データを調べてみた。
それによると、我々が観測ブイを通過した12時過ぎから13時にかけての潮は、
260度方向に、最大で約1ノット、と発表されている。
うーん、あれはとても1ノットなんて程度ではなかったなあ。
不思議に思いながら、データの上のほうを見ると、
『城ヶ島沖観測ブイ観測データの流速に計算プログラムのミスが判明しました。
ご迷惑をおかけしますが、
プログラムの修正までの間は参考程度にご利用願います。』
という一文があった。
なぁるほど。
それで、遠くからブイにアプローチしているときも、
インターネットで流される潮情報と実際の艇の流され方が一致しなかったわけだな。
インターネットで流れてくる『予想』を鵜呑みにできないのはもちろんだけど、
これからは、『実況』情報についても、
自分が現実に出会っている『事実』のほうを
最優先しなければならないことを、
再認識した。
でも、レース途中の長い超微風と潮流のおかげで、
相模湾を久し振りに、お腹一杯堪能することができた1日だった。
風向35度の風で小網代沖をスタートした後、
早めにポートにジャイブして三浦半島の低い丘から吹き降ろしてくる風の道と、
半島に沿って南流する潮に乗るコースを取った。
城ヶ島沖観測ブイへのレイライン手前、風道の南側に出てしまう手前で
スターボに返してからは、
城ヶ島沖観測ブイの実況潮流/風通報のデータを受信しながらアプローチした。
でもなんだか、実際の艇の流され方が、
インターネットで送られてくる潮のデータとは違う感じ。
観測ブイを回航する直前に、風がなくなり、
一緒にいた艇団ともども、西の方向に流された。
バウを観測ブイに向けているのに、ブイがどんどん遠ざかっていくことは
とても悲しい光景だったが、
風がなければどうにもならないのがヨットレースだ。
やっと東風が来て、ブイに再び接近して回航した頃には、
その潮流はもっともっと強くなっていて
観測ブイには、少なく見積っても、3ノットの潮がぶち当たっていて、
ぼくは、イギリスのカウズで行なわれたアドミラルズカップでの、
航路ブイ回航のレースでのシーンを唐突に思い出した。
レース後、逗子の街に出て、
Mオーナーご夫妻に夕食をクルー全員でご馳走になった後、
家に帰って、城ヶ島沖観測ブイの観測データを調べてみた。
それによると、我々が観測ブイを通過した12時過ぎから13時にかけての潮は、
260度方向に、最大で約1ノット、と発表されている。
うーん、あれはとても1ノットなんて程度ではなかったなあ。
不思議に思いながら、データの上のほうを見ると、
『城ヶ島沖観測ブイ観測データの流速に計算プログラムのミスが判明しました。
ご迷惑をおかけしますが、
プログラムの修正までの間は参考程度にご利用願います。』
という一文があった。
なぁるほど。
それで、遠くからブイにアプローチしているときも、
インターネットで流される潮情報と実際の艇の流され方が一致しなかったわけだな。
インターネットで流れてくる『予想』を鵜呑みにできないのはもちろんだけど、
これからは、『実況』情報についても、
自分が現実に出会っている『事実』のほうを
最優先しなければならないことを、
再認識した。
でも、レース途中の長い超微風と潮流のおかげで、
相模湾を久し振りに、お腹一杯堪能することができた1日だった。