日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

日の丸の話 2

2011年07月17日 | 日記

前回の「日の丸の話」では、日の丸の文献上の根拠を、『翰苑(かんえん)』が記録する「烏桓(うがん)」に求めました。

今日はもっと遡ってみたいと思います。
文献はある所とない所があります。
推測して組み立てる仮説です。

中国の新疆ウイグル自治区にウルムチという都市があります。
中国語でウルムチを乌鲁木齐と書きます。烏(カラス)は乌鸦です。
烏桓もウルムチも同じ「烏」を使って表音しています。

ウルムチは烏桓の地であったと考えられます。
「ムチ」は土地を意味していると、私は思っています。文献名は覚えていないのですが、そのように言っている文献もありました。
日本では、オオナムチ=大国主命、オオヒルメムチ=天照大御神などで使用しています。

メソポタミアのシュメルにウル、ウルクという都市がありました。
アブラハムと父テラの一族はこのウルからカナンに向けて旅立ちました。
その後、メソポタミアにはアッシリアが国を建てます。

時代は下って、ダビデ、ソロモンのイスラエル王国は、ユダ王国とイスラエル王国に分裂します。
そしてイスラエル王国の人々は、アッシリアによって捕囚となってしまいます。
イスラエルのベカ王の時の捕囚の地は、ハラとゴザンの川ハボルのほとりとメデアです。
ホセア王の時の地は分かりません。そしてこれ以降のイスラエルの人々のアッシリアでの足取りは、全く追えなくなります。

アッシリアの人々はアッシュールという太陽神を主神にしていました。
そのエンブレムを、

http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&langpair=en%7Cja&u=http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Assyrian_cities で見ることができます。


(注)このエンブレムの出典は A General History for Colleges and High Schools by P. V. N. Myers published 1890. です。
   wikimediaも書いていますように、この像には、推測と意匠が入っている可能性があります。しかしアッシュールのイメージは十分伝わります。

      
      
一方イスラエルには、旧約聖書が忌み嫌うカナンの地のアシラがありました。
このアシラは豊穣の女神として、イスラエルの人々は香を焚きました。
『列王記 下』は、この様子を、「青木の下に石の柱とアシラ像を立て」、と書いています。
アシラは、プリミティブな神様として、人々の現世に関わっていたことが分かります。

アッシリアのアッシュールとカナンのアシラの祖形は、シュメルの天の神アンシャルにあるように思われます。
もともと同一神です。

私の考えでは、この両神の習合がアッシリアの地で起こりました。
そして習合の過程で、アシラの持つプリミティブな要素は捨て去られ、強い倫理規範を伴った純粋な神格を持つ太陽へと統合されていきました。

行ったのはイスラエルの人々です。でなければ、アッシリアでどんな役割を担うにせよ、生きては行けなかった事でしょう。
このことを論理的に説明するには、イスラエルの人々のアッシリアでの足跡を追えず、また、ウルムチとアッシリアを結ぶ文献もない現在、
『翰苑』・「烏桓」と『魏志』・「倭人伝」に戻らねばなりません。

『翰苑』は記します。
「資拝日以訓恭」(日を拝するに資(よ)りて恭を訓ずる)。
また、記します。
「計謀従用婦人 戦闘之事乃自決之」(計謀は婦人に従い用い、戦闘の事は乃ち自ら之を決す)。
そして御承知のように、
『魏志』・「倭人伝」は女王国の女王の名前を日御子(ひみこ)と伝えます。

アッシリアはBC609年に亡びましたから、太陽神・アッシュールの神格を持って移動したとも考えられなくはありません。
しかしその神格は、アッシュールのエンブレムを見てもお分かりのように男性を象徴しています。

このような男性のみを象徴する形では日本に伝わりませんでした。
また、イスラエルの世俗社会は母系です。

私の中にある心象も、古代より戦争は男性が行って来ましたから、戦時の男性の精神をシンボライズして宿しています。
しかし同時に、天照大御神は武神でもあります。
これはイスラエルの母系社会の痕跡を留めたものであろうと、考えることが穏当だろうと思います。
日本の女性は、一朝事が起きると国を背負って大事に当たる姿が、しばしば記録されます。

そして繰り返しますが、
移動の過程で、イスラエルのアシラが持っていたプリミティブな要素(はっきりと書けば、『ホセア書』[このホセアはホセア王とは別人の預言者です]が書くような、
プリミティブ、且つ、刹那的な神の名をもって行われる豊穣儀礼や、それに類する行為)は打ち捨てられ、
太陽は、人々が強い倫理規範とともに生きて行くことを証すシンボルへと、その性格を変えていきました。
でなければ、人々は生きて行けませんでした。

この強い倫理規範を伴った生き方は、武士道やあらゆる職業に亘(わた)って、その道を極める精進の在り方として、後世に伝えられ、現在に至っています。


補足1:アップロード時、1)中国簡体字が表示できていませんでした所と、2)アッシュールのエンブレムへアクセスできなかった所は修正致しました。(7月18日)
   2:アップロード時、太陽神と書いていたものを、それぞれ、1)「神格を持つ太陽」と 2)「太陽」に改めました。これは日本では、太陽は「神」の概念では捉えられておらず、
     太陽そのものが人間と諸々の生きとし生けるものに恵みを与えるもの、神々しいものと捉えられていることを考え、そのような表現に改めました。(7月18日)
   3:アッシュール像のwikimedia上の典拠文献を注記しました。(7月19日)
   4:アッシュール像について描写していた文章は削除しました。(7月19日)   

 

 

 

 

 


                           

                                      ねむの花

                           

                                      
雑木林

 

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