日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

蟻の街のマリア

2023年05月29日 | 日記

1.千葉県船橋市(船橋市役所の近く)に「カトリック船橋学習センター」があります。一般社団法人です。ここでは、講師が演題を設けて講演

を行われ、「ガリラヤ通信」というA3判の新聞を出しています。この新聞の令和5年4月18日号に、かつて東京の言問橋の近くにあった「蟻

の街」に住み、子供たちのために奉仕活動をされた「蟻の街のマリア」と呼ばれた北原怜子(さとこ)さんの話が載っています。今井湧一さんと

おっしゃる「蟻の街」の記録を残されている御方(おかた)のお話です。

 

2.この街は、私の記憶にありました。『蟻の街のマリア』という映画になっていますので、これを観たのだと思います。子供のころだと思いま

す。『蟻の街』では、ゼノ修道士のお名前も憶えていて、調べてみますと、ゼノ修道士はポーランドの方で、来日後、長崎で被爆され、戦後は、

原爆孤児の救済のほか、各地でイエス・キリストの愛と共にある活動を行っていらっしゃいます。広島県では、福山市の沼隈(ぬまくま)町、神

辺(かんなべ)町、岡山県の井原市に、障害のある子供たちの「ゼノ」少年牧場として残っています。

 

3.カトリックに関連して、もう一つ書き添えます。私には、高校時代の恩師があり、その先生がお亡くなりになる前の年賀状に、「わたしは生

きる」とありました。これを、私は、「先生は、生への執着をアポリネールの『ミラボー橋』から書き送られた」と考えていました。しかし、カ

トリックの典礼聖歌12番に、旧約聖書の詩編118番を凝縮して、神の御力(みちから)を賛美し、神の御もとで生きることを願う祈りである

「わたしは、死なず、わたしは、生きる」という詩句があります。これを思うとき、先生は、御自分はカトリックの信徒であることを、私に示さ

れたのであろうと、今、考えています。

 

 
 

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