A.友との再会
1.8月15日、高校以来の友人(男性)に、三十数年ぶりに会いました。盆休みで、広島から東京に出てきている内の半日を、一緒に過ごしました。
こういう時の過ごし方をしたのは、彼が大学を卒業して就職し、その話を聞きながら深夜の新宿の町を酔っぱらって徘徊して以来のことです。時は積(つも)り、お互いに歩んだ道は異なりますが、楽しいひとときでした。
2.朝8時30分にはお茶の水に着き、そこから上野の東京都立美術館でフェルメールの“真珠の耳飾りの少女”を鑑賞し、食事の後、九段へ行き、千鳥が淵墓苑を参拝するというルートを取りました。友を見送った後、私は更に靖国神社に参拝して帰って来ました。彼の家系はキリスト教の教会の家系ということもあり、8月15日に九段へ来て、よくまあ千鳥ヶ淵墓苑にも参拝してくれたと思っています。
3.記念写真を撮りました。嬉しい顔をしているはずなのですが、パソコンで見ると表情がありません。私は、高校時代は松本清張氏に似ていると言われ、壮じては、私の所へアルバイトに来ていた学生君から、羽田(元首相)氏に似ていると言われ、ともに褒め言葉なのですが、元来、顔の造作の出来はあまり良い方ではないのですが、これには少し考えてしまいました。表情を引き締める訓練をしようと思います。
B.オリンピック選手の表情
1.総じて選手の方の表情は素晴らしく、歩まれた道が刻(きざ)まれています。
2.全員の方について書くこともできますが、ここでは特に印象を残された方について書きます。
a.室伏選手(ハンマー投げ)=試合後の会見で示された、あの穏やかな表情とお話のされようには、この人はすごいなと思ってしまいました。
b.入江選手(競泳・背泳ぎ)=競泳チームの中にあって、終始、控え目に振る舞われているように思いました。北京後からロンドンまで、チーム全体を引っ張るのにその存在は大きかったのではないかと思っています。リオデジャネイロに向けた闘志も聴けました。目的が達成されることをお祈りいたします。
c.福原選手(卓球)=銀メダルおめでとうございます。幼少時は神童といわれても、多くの人が、成人するに及んで自分の限界を覚え、壁に突き当たる人が多い中にあって、良く限界に挑み続けられました。そして「夢は叶う」ことを身をもって証されました。範としたいと思います。
d.松本薫選手(柔道)=松本選手の勝負に臨まれる前の表情は、私達が忘れていた闘争本能を思い起こさせてくれました。相手を気遣うあまり、私達はあまりにも無表情になり過ぎて来ました。私達日本人は全員、この闘争本能を持っています。松本選手の表情に、私は、日本人の母のイメージも重ねていました。
松本選手が、日本人全員に与えたインパクトの大きさをもって、ロンドンオリンピック最大の功労者だと思います。
C.危機に臨んで
1.「まなじりを決す」という言葉があります。しかし、現在の内憂外患はそんな段階を越えています。
松本薫選手が示された闘争心をもって、私達は前へ進んでいかなければならない。そう思います。
靖国神社大鳥居(8月15日)
夏雲と空
セミ取り