医療過誤の続きです。
私は、医療従事者の数が少ないことにより医療過誤や医療サービスの低下を招く場合が多いのではないか、と思っている。日本の医療機関は経営効率が悪いために、医療費が高くなり医療機関の経営もよくないという議論もあるようであるが、それが現状の全てとは考えていない。経営効率が悪い代表的な医療機関は大きな大学病院や、旧国公立病院など、赤字の補填が主に補助金等の公金によって行われてきたところではないかと推測する。これは、当然のことながら、そこにいる職員全体が、経営的意識に乏しかった可能性はある。かつての国公立病院の7割以上は赤字であったのがいい例である。
医療機関の効率化を図ることによって質の高い医療が提供されるか、ということになるとそうとも言えないと思う。効率化を優先すると不採算な治療や処置をしたがらなくなる可能性があるし、利益の少ない診療科目は切り捨てられる可能性もある。人件費削減のため人員配置はぎりぎりで、給与も低く抑えられるかもしれない。
昔は「医者は金持ち」のような印象がありましたが、今は実際にどうなのかわかりません。開業医は減少して、大病院勤務の医師が多いとは聞いた事があります。そう考えると給与所得がべらぼうに高いとは考えられませんが。勿論、中には病院経営をしている人で所得の多い人がいるかもしれませんが、全体から見ると少なくなっているのかもしれません。
医療過誤が問題になる場合、大きく2つの要因があると思う。技術や知識が十分でないために起こってしまうものと、人員不足や過酷な労働環境などによって見逃しや勘違いを生じ起こるものである。前者は教育や臨床上での技術習得システムなどが関与する問題であるので、この場では検討しない。後者について考えてみたい。
日本の医療機関のジレンマは人員確保である。医療サービスを充実していこうと思ったら、今の水準では明らかに足りない。ところが経営効率を良くしようと思ったら、できるだけ人員を少なくするしかないのである。また、医療行為に関わるため、医師や看護師等の限られた職種の人達だけが許容される行為がたくさんあり、当然のことながら無資格者がたくさんいても仕方がない面もある。
これらを考慮して、やはりある程度人員配置を増やす方向で考えるしかないと私は思う。医療従事者のグレードを幾つかつくり、医療行為がある程度許容される人員を増やしてゆくべきなのではないか。先に述べたような医療過誤を防ぐには、チェックを複数で行うことが必要であろうし、医療機器のアラームや機器異常の見逃しなどは看護師以外でも発見できることなので、やはりチェックを行う人員を配置すべきなのではないだろうか。
救急救命士が気管内挿管や除細動器を使用できることになったように、一定の教育制度やトレーニングによって医療行為の可能な職種を拡大し、医療サービス全体の底上げを図る方がよいと思う。介護関係の職種についても、現在は介護福祉士やヘルパーなど複数が関与しているが、医療と介護全体で職種を整理して新たな枠組みをつくるか、ある程度の医療行為が許容される範囲を職種ごとに規定してゆくことを考えてみてもよいのではないか。
医療費が毎年増大するということは市場規模が毎年拡大する成長市場と捉えて、単純に労働力の供給が必須であると仮定すると、その市場の労働力をコストの高い人員で調達するのではなく、専門性が少し劣るがコストの低い人員で調達した方が全体としては効率化が図れるのではないだろうか。
雇用政策として考えても、コストの高い少数の人員を配置するよりもコストの低い人員を多く配置する方が有意義であろう。
これを実際に行うことになる場合には、医療費の全体的なバランスを考える必要があると思う。一般論として日本は薬剤コストの比率が他の先進諸国に比べて高いとされており、これは使われる薬剤の量的問題と薬価単価の問題の両者があるためであろう。このことは、医療制度改革の中で改善される必要があると思う。
薬価や診療報酬については、また改めて考えてみます。
私は、医療従事者の数が少ないことにより医療過誤や医療サービスの低下を招く場合が多いのではないか、と思っている。日本の医療機関は経営効率が悪いために、医療費が高くなり医療機関の経営もよくないという議論もあるようであるが、それが現状の全てとは考えていない。経営効率が悪い代表的な医療機関は大きな大学病院や、旧国公立病院など、赤字の補填が主に補助金等の公金によって行われてきたところではないかと推測する。これは、当然のことながら、そこにいる職員全体が、経営的意識に乏しかった可能性はある。かつての国公立病院の7割以上は赤字であったのがいい例である。
医療機関の効率化を図ることによって質の高い医療が提供されるか、ということになるとそうとも言えないと思う。効率化を優先すると不採算な治療や処置をしたがらなくなる可能性があるし、利益の少ない診療科目は切り捨てられる可能性もある。人件費削減のため人員配置はぎりぎりで、給与も低く抑えられるかもしれない。
昔は「医者は金持ち」のような印象がありましたが、今は実際にどうなのかわかりません。開業医は減少して、大病院勤務の医師が多いとは聞いた事があります。そう考えると給与所得がべらぼうに高いとは考えられませんが。勿論、中には病院経営をしている人で所得の多い人がいるかもしれませんが、全体から見ると少なくなっているのかもしれません。
医療過誤が問題になる場合、大きく2つの要因があると思う。技術や知識が十分でないために起こってしまうものと、人員不足や過酷な労働環境などによって見逃しや勘違いを生じ起こるものである。前者は教育や臨床上での技術習得システムなどが関与する問題であるので、この場では検討しない。後者について考えてみたい。
日本の医療機関のジレンマは人員確保である。医療サービスを充実していこうと思ったら、今の水準では明らかに足りない。ところが経営効率を良くしようと思ったら、できるだけ人員を少なくするしかないのである。また、医療行為に関わるため、医師や看護師等の限られた職種の人達だけが許容される行為がたくさんあり、当然のことながら無資格者がたくさんいても仕方がない面もある。
これらを考慮して、やはりある程度人員配置を増やす方向で考えるしかないと私は思う。医療従事者のグレードを幾つかつくり、医療行為がある程度許容される人員を増やしてゆくべきなのではないか。先に述べたような医療過誤を防ぐには、チェックを複数で行うことが必要であろうし、医療機器のアラームや機器異常の見逃しなどは看護師以外でも発見できることなので、やはりチェックを行う人員を配置すべきなのではないだろうか。
救急救命士が気管内挿管や除細動器を使用できることになったように、一定の教育制度やトレーニングによって医療行為の可能な職種を拡大し、医療サービス全体の底上げを図る方がよいと思う。介護関係の職種についても、現在は介護福祉士やヘルパーなど複数が関与しているが、医療と介護全体で職種を整理して新たな枠組みをつくるか、ある程度の医療行為が許容される範囲を職種ごとに規定してゆくことを考えてみてもよいのではないか。
医療費が毎年増大するということは市場規模が毎年拡大する成長市場と捉えて、単純に労働力の供給が必須であると仮定すると、その市場の労働力をコストの高い人員で調達するのではなく、専門性が少し劣るがコストの低い人員で調達した方が全体としては効率化が図れるのではないだろうか。
雇用政策として考えても、コストの高い少数の人員を配置するよりもコストの低い人員を多く配置する方が有意義であろう。
これを実際に行うことになる場合には、医療費の全体的なバランスを考える必要があると思う。一般論として日本は薬剤コストの比率が他の先進諸国に比べて高いとされており、これは使われる薬剤の量的問題と薬価単価の問題の両者があるためであろう。このことは、医療制度改革の中で改善される必要があると思う。
薬価や診療報酬については、また改めて考えてみます。