世界の人が「日本語は難しい…」という理由のひとつを作り出していると思われる「漢字」。
基本的な「音読み」「訓読み」だけでも難しいにも関わらず、実は多数の驚くような読み方の漢字が存在している。
そんな驚異の読み方を持つ漢字が集結している地域といえば「関西」は外すことはできない。
そこで、今日と明日に分けて、深く考えても思いつかないほどの読み方を持つ地名・駅名について、【全然読めない…関西の難しすぎる地名・駅名】と題して紹介していく。
【畝傍/奈良県橿原市】
奈良県橿原市の「畝傍(うねび)」について。「うねる火」の意味を持ち、「大和三山」のひとつとして国の名勝に指定されている名山としてこの地にそびえる「畝傍山」が瀬戸内火山帯に属していることも、由来の一端を担っている。 かつて古代にこの地で暮らしていた人々もしっかり火山と認識していたといわれているのだが、さらに田んぼの「畝」のように湾曲した山の形状や、「お峰山(おむねやま)」と呼ばれていたものが「畝峰(うねお)」へと変化したことも由来のひとつになっているそうである。 その後も「畝尾(うねお)」と充てる漢字が変化し、最終的に「辺(べ)」の意味を持つ「傍」が登場し、現在の「畝傍」に落ち着いたという。 |
【京終/奈良県奈良市】
日本屈指の古都でもある奈良だけに、難しい読み方の地名はまだまだ存在している。 例えば、奈良県奈良市の「京終(きょうばて)」の語源は「平城京の端」から。観光客も多く訪れる奈良町の南端に位置しているのだが、奈良時代から続く由緒正しき土地ということがわかるようである。う。 バス停を見てみると、そこには「南京終町」「北京終町」などの地名があり、一般的な認知度の高い中国の地名「南京(なんきん)」「北京(ぺきん)」と読み違えてしまう人も多いというのが頷ける文字並びとなっている。 「絶対に『きょうしゅう』と読んでしまいそう」「ばてとは読めない」という声が多く、さらに「唯一知らなかった」という方もいたほど、難読漢字の中でもより難解なこの名称。実はかつての日本の中心、都の一部分だったと思うと感慨深いものがあるかもしれない。 |
【膳所/滋賀県大津市】
飛鳥時代に天智天皇が大津に都「近江大津宮」を開いた際、「御厨(みくりや)」と呼ばれる天皇の食事を料理する場所が由来になった、滋賀県大津市の「膳所(ぜぜ)」。 かつては「浜田」という地名であり、給仕係という意味を持つ「陪膳(ばいぜん)」と共に「陪膳の浜田」と呼ばれているうちに省略されて遂に現在の「膳所(ぜぜ)」となったという。 琵琶湖へ突き出るような土地の形から「陪膳の崎(おものさき)」と呼ばれ、時を経るうち「膳の崎」、「膳の前(ぜんのさき)」、「膳前(ぜんぜん)」と変わり、最終的に「ぜぜ」になったという説もあるという。 |
【帷子ノ辻/京都市右京区】
京都市右京区の「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」。 その由来は平安時代まで遡り、嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子の美貌にあらゆる男性が想いを寄せたことから始まるという。 その美しさは、修行の身である僧侶たちの心をも奪ってしまうほどであったとか。信仰心の厚かった皇后は「諸行無常」を悟らせようと、亡骸を遺棄するよう命令。カラスや野良犬に食い荒らされ、腐って朽ち果てたのがこの地とされている。 その後、皇后が纏っていた死装束「経帷子(きょうかたびら)」に因み「帷子ノ辻」と呼ばれるようになったらしい。 「京都人以外はまず読めない」「地元の人でも難しいようです」「近所に住んでいますが漢字を覚えられない」という声と共に、女性の亡骸が見えるという怪談も囁かれているという話もある。 |
【喜連瓜破/大阪府大阪市】
大阪府大阪市平野区の「喜連瓜破(きれうりわり)」。その名の通り「喜連地区」と「瓜破地区」のちょうど中間地点にあたり、「喜連駅」としてスタートするはずが瓜破地区の猛反対が勃発し、この名称となったといわれているのだが、古代中国より呉人(くれじん)が移住した「喜連」と同様、「瓜破」もその由来は大化年間にまで遡るというほど歴史深い名称。仏像を祀ろうと供えた瓜が真っ二つに割れたという伝承から名付けられているという。 最終的に、双方を合体させることで落ち着いた「喜連瓜破」。「見た瞬間、2度見をしてしまいそうな字体」「四字熟語っぽい珍しい駅。下車してぶらぶらしたことがあります」「最後の『破』がどうしても無理」と、難解さの極みを感じた人が続出しているという。 |